アシという男
「......ぁ」
声が、でない。
暗闇から突然現れた気色の悪い生物に見つめられ、膝が震えて立っていられない。
カチカチと歯が小刻みに音を鳴らし、ひどい耳鳴りに眩暈がする。
腰が抜け落ち、ペタンと尻もちを着いたグリムの眼前。その奇妙で歪な生命体は、頭部から生えた二本の腕を器用に動かし、軽快なステップで近づいてきた。
ジリジリと亀歩の速さで後退するグリムに、無遠慮にも距離を詰める『それ』。
その黒瞳に光は灯っておらず、ただただ目の前の獲物を食い殺さんとばかりに思える。
「い、嫌ぁ......!!」
必死に身をよじり、微々たる距離をなんとか稼ぐ。
涙で霞んだ視界で捉えた『それ』は体の皮膚が漆黒の鱗で覆われており、形容しがたいほどに、生命としての理から外れた容貌をしていた。
抵抗虚しく、目と鼻の先まで近づいてきた『それ』は無造作に右腕を振りかぶる。
ーーー死。
そう覚悟したグリムは、反射的に目を瞑った。
見たくない現実から目を背けるように。
次の瞬間グリムの体は太い腕に貫かれ、激しい苦痛とともに命をこぼす......ことはなく。
「オマエ、食い物もってねえか?」
低く野太い声が鼓膜をゆらし、いつまでたっても痛みが来ないことに疑問符が浮かんだ。
「っ!!......え?......く.....食い物?」
自分の結末をうっすら覚悟したグリムは、とっさに挙げていた腕の隙間から顔をのぞかせた。
自分は攻撃ではなく要求されたのだと脳が理解しても、紫紺の瞳から困惑の色を消すことはできない。
珍獣は何度も頷き、
「んだんだ。オイラ、今日食い物もらってない.......なんか、フラフラする.......」
右腕で頭部の下あたり......唇溝をさすり、太い眉を下げた。
田舎者のような口調で悲しげに空腹を訴える珍獣に、グリムは少しばかり警戒心を緩める。
無性に母性をくすぐられるそれに同情の念を抱きそうになり、それを取り払うように頭を振ると。
「あなた......何者?」
「オイラか?オイラは、アシってんだ。......食い物もってねえか?」
「あなた足ないじゃないってツッコミはしないわよ......敵じゃ、ないってことでいいのね?」
見定めるような視線をアシに向け、珍獣の答えを待つ。
「敵......? それ、食えるのか?オイラ、お腹すいたぞ......」
ポリポリと頭を掻き、質問の意味がわからないと、強く空腹を訴えるアシ。
その様子にグリムは複雑な表情を浮かべ、しばし腕組をすると。
「じゃあ、こうしましょう。私の質問に正直に答えてくれたら、食べ物をあげる。どう?」
片目をつむり、3本指を立てて提案するグリムにアシは目を輝かせ、鼻息荒く首を振る。......両腕を地に立て、肩を回すように。
その様子に満足げに頷いたグリムは、一本ずつ指を折り曲げながら質問を口にした。
「一つ。あなた、ここに詳しい?」
「詳しい詳しい詳しい!オイラがこの廊下を作ったんだ!もちろん詳しいだ!」
「廊下......?まぁいいわ。二つ。私のほかに、ここに入ってきた人を知ってる?」
「知ってる知ってる知ってる!オイラの罠にかかって、今はトイレに座ってる!」
「トイレ......?無事ってことでいいのね?じゃあ最後に。......食料はその男が持ってるわ。トイレからこっちに転送してくれる?」
「了解了解了解!オイラ、食い物運ぶ!」
お兄さんも一緒に頼むわよと釘を刺し、アシの様子を見守って居ると。
「テレポート!」
アシが呪文を唱えたとたん、地面に淡い紫色の光が灯った。
膨大な魔力の波に目を細める。そして、瞬きした直後。
足元には白い紙でグルグル巻きになったコログが横たわっていた。
「食い物、くれ!」
「おおいうおうおう!?(どういう状況!?)」
ユサユサ体を揺する珍獣に目を白黒させ、コログは塞がれた口を動かし涙目にグリムを見る。
屈んで包帯を取ってやると、
「......ぷはっ。グリムちゃん!?なんで、っていうか。こいつはなにっていうか...」
「食い物食い物食い物食い物食い物!」
「なんだこの卑しい生き物は!ちょっ、そこにはなっ......!ああああああああ!!」
パニック状態のコログにアシが飛び掛かり、あちこちまさぐって食料を求めた。
なにやら顔を赤くして叫び出したコログに白い眼を向けると。
「こいつはアシ。敵じゃないっぽいから安心してよ。......あと、食料あげる約束だから、適当に渡してあげて」
「え.....?あ、ああ。......ほ、ほら。これでいいか?」
懐をまさぐり魔道具からパンを取り出すと、アシに手渡すコログ。
アシは唇を横に割くと、目を輝かせて無我夢中で飛びついた。
コログはアシの食事シーンをまじまじと見て、瞳に困惑の色を浮かべる。
「グリムちゃん。こいつなんなんだ?こんな生き物、見たことないぞ。......ていうか、アシって言った?」
「私に聞かれたって仕方ないわよ......でも、こいつがこの洞窟に魔法をかけたのは確かなようね」
名前に関しては取り合わず、肩をすくめて困惑に困惑を返すグリム。
「魔法、か......こんなやつが、ソーサラー......?」
眉をひそめ、怪訝な表情を見せるコログだったが、視界の端に腕を組むグリムが見えた。
彼女のことだから、なにか作戦を考えているのだろうかとぼんやり想像していると。
「お兄さん、私に合わせて」
グリムが突然近づいてきて、そっとコログに耳打ちした。
「え?」
グリムはコログに目くばせするや否や、耳障りな咀嚼音を隠そうともしないアシに近づいて。
「ねえ、アシ。あなたどこに住んでるの?」
「.....?アシの家。パパの家でもあるだ」
「ふふっ、そう。......私、アシの家に興味あるな~。きっと素敵な家具であふれてるでしょうね」
そう言うと、コログを一瞥。
「.....!あ、ああ。俺も興味あるな~。アシほどの強力なソーサラーの家屋、参考にしたいものだ」
グリムの目配せに姿勢を正し、たどたどしく合わせるコログ。
コログの大根役者っぷりにグリムは青筋を立てたが、どうやら杞憂だったらしい。
機嫌をよくしたのか、アシはパンの粕がついた口を歪ませると、
「そこまでいうなら、オイラの家に案内するだ。......ほら、二人とも」
片手で手招きする珍獣に二人は顔を見合わせ、アシの足元に出現した淡い光の元へ向かう。
「さっすがグリムちゃん......なんだけど、一つどうしても言いたいことがあるんだ」
「なによ。私の完璧な作戦に文句でもあるわけ?」
「いや、そうじゃなくてだな」
もごもごと口ごもるコログに冷たい視線が突き刺さる。
「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。気分悪いわね」
「ご、ごめん......じゃあ言うんだけど......」
そう言ってコログが口を開いた瞬間、野太い声が響きわたる。
「こいつ足ないじゃ....」
「テレポート!」
コログの至極真っ当な疑問は、珍獣の詠唱によりかき消されてしまった。
ご愛読ありがとうございます!
なんだかここ最近のシーンは書いてて難しい!
もし面白いと感じていただけたら、星とコメントよろしくお願いします!




