胸に証もつ俺の一生 6
「後継者は私の子どもですもの」
そう言う母親に、うなずく祖母。義理だというのに祖母は俺を孫のように扱い、あの子を紙くずのように眺めた。母も右に習った。祖父は外交に出ており、それを退いてからは自領にて暮らしていて滅多に会わない。数回顔を合わせただけだったが、祖母は何度も家を訪れては、息子よりも俺の母親を気にかけた。
子どもは別の男の子どもだというのに、それで本当に良いのだろうか。
そんな思考を遮るように、手にした編み物の目を数えながら祖母があの子が平民になることを告げた。
「修道院でもわがまま三昧で、手に負えなくなったのですって。貴族の義務も忘れて……本当に嘆かわしい。だから私は言ったんですよ、修道院にいるにも寄進が必要なの、お金がかかるのよって。あなたが果たす義務があるでしょって。なのにあの子ときたら、じゃあ平民になるだなんて……なんて」なんて短絡的、直情的、感情のない、思慮に欠ける言葉なの。
並べてみれば矛盾だらけのその毒を、あの子はきっと静かに受けたのだろう。
仮面をつけたように表情をなくして、気持ち悪い。あの子は自分が本当に我が家の娘だとでも思っているのかしら。
そう言って、苦い顔をしながら嗤う女に、追従する母親が薄く見えた。
何も見えない。俺には、産んだ女すらもう意識できない。
嫌いなものは見なくていいのよ、好きなものだけ見ていいのよ。
そう誰かに、あの子が言っていた。くちごたえするな、と怒られていたから、……きっと自分への言葉だろう。
でも、それは俺の心に残って、そしていつしか救いになった。
夫とも話したのですけれど、一度平民の生活でもさせてみて、それがどれだけ苦労するものかというのを、あの子に学ばせてはどうかと。すぐに音を上げると思います。だって美味しくないからって、ケーキが出るまでご飯を食べないような子ですもの。そうしたら夫が手を差し伸べればよいのです。あの子だって自分のおこないに気がついて、夫の想いに気がつくでしょう。
ふふふくすくす。嘲笑に重なって、外で遊ぶ弟の軽やかな笑い声が聞こえた。
あの子が十二の頃には、メイドが近寄りもしなくなって、すべてを自分で片付けるようになっていた。それを修道院出身の家庭教師たちは当たり前だと教えていた。当たり前ではないのに、誰もそれを指摘しなかった。
あのときはひどい奴らだと思った。思ったがもしかしたら、、こんな将来の可能性を察知してあの子に教育をほどこしたのかもしれない。
平民のように日常をこなし、修道院でまた職を得るに足る技術を学んだのだとしたら、あの子が離籍する際に幾ばくかの金があれば、慎ましやかに暮らしていけるだろう。少し豊かな平民の暮らしをすればいい。貴族の義務も、平民の苦労も必要ないそんな暮らしをすればいい。
俺は何も言わず、休日を過ごして家を出た。




