第8話 例の少女
その日の授業は模擬戦を通した戦闘訓練だった。
場所はアルベルス学園の東に位置する闘技場と呼ばれる施設である。
すでにクラスメイト達は闘技場に集まっており、みな思い思いに休み時間を過ごしていた。
まだ授業開始5分前。
アステルは手持ち部沙汰になったので、周囲を一望してみる。
前世で何度か足を運んだ「野球場」みたいな空間であった。
石の壁がぐるりと円を描くように周囲を囲んでおり、その上には観客席が備え付けられている。
天井はなく、太陽の光が燦々と降り注いでくる。時折、風が吹くと土がふわりと宙に浮かび、周囲に砂埃が舞う。授業開始の合図である鐘が鳴る。
Aクラスの担任教師であるディーノが、生徒たちを見渡した。
「これから戦闘訓練を始めるぞ。・・・・・・そういうわけで、さっさと二人組を作ってくれ」
先生にそう言われたアステルは、顔見知りのクラスメイトの姿を探すが、
「リーニャ・・・・・・裏切ったのかッ」
リーニャは既に別の女子とペアを組んでいた。アステルは愕然とする。
「ち、違いますよう! 私とアステルさんじゃ勝負になりません!」
栗色の髪を揺らしながら、リーニャは首を横に振る。
仕方がない、とアステルは諦め、近くにいた男子生徒に声をかけてみる。
「ねぇ、私と組まない?」
「いやいや、俺とキミじゃ勝負にならないよ!」
にべもなく男子生徒に断られてしまう。
アステルは左隣にいた女子生徒に懇願する。
「・・・・・・私と組んでくれませんか?」
「え? いや、私とブラックさんじゃ釣り合わないと思うんだけど・・・・・・」
申し訳なさそうに女子生徒が断ってくる。
そんなこんなで、あわあわしているうちにクラスメイト達は二人組を作り終えていた。
残されたのは自分一人のみ。アステルは闘技場で一人、茫然と立ち尽くす。
ディーノが憐憫の眼差しをアステルに向ける。
「嬢ちゃんはおじさんとやるか・・・・・・まぁ気になさんな。嬢ちゃんなら一人でいても絵になると思うし」
「あはっ、微妙にフォローになってないフォローをありがとうございます」
アステルが乾いた笑みを浮かべる。
「ほら、危ないから広がれー! 今回はお前たちの実力を見たいから、全力で戦って欲しい。内容は各グループに任す。魔法をぶつけあってもいいし、剣とかで打ち合うのもアリだ」
そう言うと、ディーノが闘技場の端を指さす。そこには大きな木箱が置かれており、木製の剣や槍が顔をのぞかせていた。
「この闘技場には特殊な補助魔法が付与されているから、痛みは感じないし、傷も負わない。・・・・・・まぁ気楽にやってくれや」
ペアを組んだ者同士、模擬戦を開始していく。闘技場に魔法を打ちあう音が響き渡る。
「じゃあ、俺はずっと防御してるからさ。嬢ちゃんの好きなタイミングで仕掛けてきなよ」
「ふふっ、先生の期待に応えられるように頑張ります」
アステルは思案する。
どの程度、自分の力が王国最強の魔法使い(ディーノ・リノバー)に通じるのだろうか。
師匠と修行してなんとなく把握しているが、自分の実力は王国内で中の上くらいだ。
ゆえに、どれだけ本気を出したとしても先生には勝てないだろう。そこまで自惚れるつもりはない。
だが変にいい勝負をして目立つのも嫌だし、6割程度の力で様子を見てみようかな。
あとは戦いの最中に先生の強さを算出し、そこから微調整を加えていき、上手いこと引き分けに持ち込もう。
アステルは腰を落とし、眼前のディーノを見据える。
棒立ちしているように見えて、こちらをじっと観察している。その眼光は歴戦の戦士の如く。
風が吹いた瞬間、地面を蹴り飛ばし、一瞬のうちに間合いを詰める。身体を捻り、挨拶代わりに拳打を叩き込む。しかし繰り出した攻撃は当たらず、空を切るだけであった。
視線を真横に向けると、ディーノが上半身を引き、攻撃をいなしていた。ディーノは笑みを浮かべる――が、すぐさま目を見開き、後ろに飛び跳ねる。
アステルの膝蹴りが腹部に直撃したのだ。闘技場全域に張り巡らされた補助魔法のおかげで痛覚はないが、衝撃は生じるらしい。動揺するディーノに、疾風の如き速度を以って接近。地面を踏み鳴らし、左足を軸にして回し蹴りを放つ。ディーノは右腕を突き出し、防御。勢いを殺す。さらに左腕で突き出された足を払い除ける。続けざまにアステルは袈裟切り手刀を繰り出すが、ディーノは熟練した回避技術を見せ、掻い潜る。アステルから逃れるべく、後ろに飛ぶ。再び距離を取られたアステルは、魔法を行使すべく、意識を集中させる。
「過ぎたる薬 欲する者よ その身を焦がし 腐り去ね ――過剰回復!」
転瞬、爆風が発生。闘技場が砂埃に包まれる。
アステルが過剰回復を地面に使ったことで、ディーノの足元が爆発したためだ。
視界が砂埃一色に染まる。――どこに消えた?
砂埃の中に、ディーノと思わしき人影を視認。向こうに気付かれる前に、一瞬のうちに間合いを詰め、顔の前で拳を止める。闘技場が静まり返る。
「あー、うん。嬢ちゃん、手を戻してくれるか?」
「はい、ありがとうございました」
アステルは腰を折り曲げ、深く頭を下げる。
周囲を見渡していたディーノは、ふう、と息を吐いてから、生徒たちに向けて声を張り上げる。
「おーい! 今日の授業はここまでだ! あとは各自、寮に戻ってゆっくり休んでくれ」
教師の言葉を聞いた生徒たちは、一様に出口へと向かう。
去っていくクラスメイトの背を見ながら、アステルが呟いた。
「それにしても、先生って強いんですね。先生に比べたら私なんてまだまだですよ」
「あ、ああ・・・・・・まぁな!」
ディーノは力強く、そう頷いた。
不意に風が吹いた。
アステルが空を見上げると、日が傾き始めており、橙色の光が闘技場を照らしていた。
夕焼けに包まれた闘技場。
学園長、パーシバル・フォン・オールブライトはAクラスの授業を陰から見学していた。
生徒たちが全員とも寮に向かったことを確認してから、後片付けをしている男性に声をかける。
「先輩、お疲れ様です」
顎に無精髭を砂鉄のように生やした男性、ディーノ・リノバーが振り返る。
「ん? オールブライト・・・・・・学園長。泣く子も黙る学園長様が何の用事でしょうか?」
ディーノ・リノバーは、パーシバルの先輩にあたる人物だ。
立場的には平教師の彼より学園長である自分の方が上。
だが若いころに何度もお世話になったので、対等な口を利く気にはなれず、公の場以外では後輩として接していた。
「他に誰もいないんですし、そんなに畏まらないでください」
パーシバルがそう言うと、ディーノはだらりと身体から力を抜く。
「お前がそういうならいいけどよ・・・・・・こんなところに来て探しものか?」
「いえ、少し気になる生徒がいまして」
「嬢ちゃん・・・・・・アステル・リリィ・ブラックのことか?」
考えていたことをズバリと言い当てられ、パーシバルは肩をすくめる。
「先輩には隠し事はできませんね」
「お前さんが正直すぎるんだよ。どうせ嬢ちゃんのことを調べてるんだろうが、ありゃ白だよ。隠し事なんてするタマじゃねーよ」
アステル・リリィ・ブラック。1万人に1人しか使えない治癒魔法を使える絶世の美少女。
組分け試験の筆記試験において、10教科全て70点という異常な記録を叩き出した彼女のことを、パーシバルは気にかけていた。
狙った点数を取れるなら、本当は満点をとれるだけの学力を有しているはず。
なぜ実力を隠すのか。いくら考えても答えが出そうになかったので、アステル・リリィ・ブラックの様子を見ようと、授業をこっそりと見学させてもらっていたのだが・・・・・・。
「私の気にしすぎでしょうか」
「気にしすぎだ」
あっけらかんとした様子の先輩に、毒気を抜かれてしまう。
パーシバルはずり落ちた眼鏡を直す。ディーノは腕を組んで、考え込むそぶりを見せる。
「むしろ俺としては相手を気遣ってるようにも見えたがな」
「と言いますと?」
「なんつーかさ、おっかなびっくりって感じなんだよな。喋るにしても拳を交えるにしても。手を抜くっていうより・・・・・・遠慮してる?」
「そういえば先輩と組み手をしていましたね、強さはどの程度でしたか?」
ディーノは苦笑し、手をぶんぶんと振った。
「嬢ちゃんが本気を出したとして・・・・・・現役時代なら余裕で勝てる。今だったら・・・・・・うん、無理だ。ボコボコにされるわ」
「先輩に!? それは面白くない冗談ですね」
パーシバルは驚愕した。衰えたとはいえ、ディーノは王国でも最強クラスの魔法使いである。そんな彼に匹敵するだけの力を、あの少女は有しているというのか。
「俺だってそう思いたいよ。・・・・・・嬢ちゃんの魔力量から推測するに魔法の射程範囲は50メートル前後。あの爆発させる治癒魔法の威力は桁外れ。こっちの攻撃は全部回復されちまう。それに身体能力は今の俺と同格だけど、反射神経の衰えを考えると無理だな」
それほどまでにアステル・リリィ・ブラックは強いのか。
魔族戦争の立役者、六英雄の一人にここまで言わしめるとは。パーシバルは唸った。
パーシバルが、例の少女について考えていると、ディーノがにやにやと含み笑いを浮かべる。
「やたら嬢ちゃんのこと気にするけど・・・・・・お前って年下の子が好きだったのか?」
「違いますよ、ただ知らないままでいるのが嫌な性分でして」
やれやれとため息をつきながら、パーシバルはそれを否定する。
「まー、お前は昔からそういう奴だよ。真面目なお坊ちゃん」
自分でもそう思います、とパーシバルはつぶやくと、空を見上げる。
日は完全に落ち、星が煌々と輝いていた。彼女もこの星空を見ているのだろうか。