第19話:反撃
「あ――がっ!」
我に返ったマフユは、自分が咥えさせられている触手が、今から何をしようとしているか、即座に察した。
理解は想像を掻き立て、想像は確固たる推論として脳裏を焼く。
死魂の呪毒を直接体内に流し込まれようという事態へ対し、少女の横面に凛然たる奮起が湧いた。
「ぐっ、ふぅぅぅ」
マフユの双眸がギラリと光る。
苦しげだった呻きは一転、今宵の間に蓄積鬱憤された灼怒へ代わった。
不浄共への夥しい敵意、絶対的な滅意、囂々と燃えて煮え立つ反抗の決念だった。
未だ四肢は封じられ、力の入りようもない。だが腹の奥底から昂ぶり噴くものがある。
マフユは直ちに意識を巡らせ、内なるそれを腹から引き出し、咥内へと結集させ、上下の顎に染み渡らせた。
そこから一気に歯を立てて、力の限りに思い切り噛み閉ざす。
「フンッ!」
渾身の大噛みは淡い明光を全歯に纏わせ、触れる肉管を切断した。前歯の閉ざしに飲まれた部位と、その外側部とが瞬時に分断される。
口内に残った触手先端の断裂部を、マフユは溜まっていた唾液と共に、忌まわしさ万倍表情で力の限り吐き捨てた。
「ベッ! 随分と愉快なメに遭わせてくれたわね」
放られた触手の先端が、セイギの胸板にぶつかって消える。
憤激の劫火を燃やす両瞳で睨み、マフユは大きく息を吸った。
眼前の光景に理解が追い付かず、精霊は幾許か呆けた顔で硬直する。少女を捕える全ての触手も、揃って動きを鈍らせた。
「何故です、確かに力は封じていました。そんな反撃はできる筈が……まさか、体内の奥深くに霊子力を隠し留め、ずっと潜め置いていたと? ワタシが悦に入って警戒を綻ばせるまで、反撃の機会が訪れるまで、隠し通していたというのですか?」
マフユに噛み千切られた触手は悶え荒れ、次第に萎びて縮こまる。
相反する生の力へ逆浸食され失われた触手の末路を横目に見て、セイギの顔へ狼狽が生まれた。
「しかしワタシ達は本気で嬲り、打擲してきました。手加減などしていない。それを成すがままになりながら、秘めた力を気取らせず、やり過ごしてみせたというのですか。お嬢さんのような小娘が、かように老獪な真似を?」
「私は過去の経験から心掛けていることがある」
「そ、それは、なんですか?」
「どんな事態に追い込まれても、絶対に無策で流されないこと。どんな小さな手段でもいい。一矢報いるためのテを必ず隠し持つ。絶望的な状況へ押し潰されようと、諦観に暮れて抗うことをやめない。かつての愚かな自分を、けして再演しないために」
爛々と煌めく藍色の瞳。その奥に燃えて栄える無限の後悔と、同じ轍を踏むまいとする真意。
その血反吐に塗れた強光を覗き、セイギは思わず半身を引いた。
罠に嵌めたはいいが獲物の本質を見誤ったという一念が、精霊の胸中を掠め過ぎる。
思い違いの証拠であるか、破られた一本からマフユの霊子力が伝播して、他の触手群を緩慢にさせていた。死魂を逆流する生の意思が、それぞれを蝕んで拘束力まで緩ませる。
「その用心深さと気概は賞賛に値しますよ。けれど、そうであろうとワタシの施した縛を破るには至りません。例え一時しのいだとしても所詮――」
「チアキ!」
セイギの発言を遮って、マフユは鋭く風の精霊に呼びかけた。
特別な命令を与えたわけではない。しかし少女の覚悟と有事の対処を、付き合いの長い精霊は瞬時に理解する。
主の求めていることを正確に読み解いて、触手の緩みに生じたささやかな間隙へ滑り込む。
風刃が閃いた。不可視の速斬は一度きりの好機を穿ち、マフユの右腕を肩口から切断する。
脅威の斬れ味と鋭敏さで皮膚、筋肉、血管、神経、骨格全てを一息で且つ華麗に切り離す。
断面から血液が舞い散る刹那、分離した右腕が宙へ、少女とセイギの合間に躍った。
「点火!」
切り飛ばした腕の痛みへ苦悶を刻むより早く、マフユは炎の精霊に叫ぶ。
応じて躊躇を差し挟むことなく、シュウカは力を注いだ。
右腕に込められていた霊子力を内燃させ、即刻に起爆。少女の右腕は熱と圧で膨らみながら大爆発を遂げる。
炸裂した大火が波形に衝撃を振り撒く。赤と黒が混在する炎柱が噴き立った。
轟音と爆泡が続き、火勢が闇間に紅蓮の条線を描き震わす。熱火の暴れは尋常でない。悉くを飲み込んで、合切噛み砕いてしまう。
生じた爆風が一帯を総浚い、後に濃い煙幕となって棚引いた。
そして訪れる暫しの静寂。多くの寝静まった正しい夜の様。
数秒後、コツリコツリという足音が聞こえてくる。
厚く垂れ込める煙の層、これを突き破ってマフユが歩み出してきた。
全身を絡め取っていた触手は一つもない。
ただの一束さえ残さずに、爆発に巻いて跡形もなく消失している。
とは言え影響は小さくなかった。ずっと締め付けられていた手足へは触手に縛られた痕が残り、痛みと痺れもある。いたぶり玩ばれた腹部も赤く腫れ、臓器へのダメージさえ懸念される。
全身にはべたつく粘液を浴び、顔と髪にも不浄の汚液は付着したまま。ブレザーははだけ、ワイシャツは千切れ焼け去り、黒い下着が露出されていた。摺り下げられたスカートこそ引き上げられていたが、申し訳程度の布面積しか残していない。その姿は散々に穢し尽くされた満身創痍。
なにより右腕が肩から先、丸々なくなってしまっている。傷口は炎の精霊に焼いて塞がれ、無理矢理ながら止血は済んだ状態だが。
それでもマフユは左手にチアキの変じた黄色の大鎌を握っていた。既に痛覚が麻痺しているのか、激痛に苦しむ様子でもなし。
両の瞳は力強い戦意を宿して揺らがない。疲弊は著しくとも意気軒高。心は折れていなかった。




