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食いしん坊スライムはダンジョン最深部を目指す  作者: バナナ


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第15話 水底の扉

最後の作戦は、骨鎧守護者を閉じ込める城ではない。俺が帰るための城だ。

開戦時点の状態は、HP36/52、魔力39/64。決戦用に持ち出したのは、鉱殻板半枚、黒殻片一枚、圧縮器官一つ、守護骨片半枚、金属片半本、水半単位だけ。横穴へ逃がした水二単位、白肉一食分、守護骨粉、黒殻膜二枚、鉱殻片六枚は絶対に使わない。勝った後、傷ついた俺が生き残るための備蓄だ。

「決戦前の俺、わりと元気。帰る頃の俺、たぶんぼろぼろ。……よし。ぼろぼろでも、帰る俺がいる作戦にする」

階段裏のくぼみへ、排水路から落ちる細い水と、守護者が踏み込むたび跳ねる水を集めた。黒殻片は底へ沈め、鉱殻板は左右の壁へ押しつける。金属片と守護骨片は崩れた段の裏に離して置いた。圧縮器官だけは中央に置かない。中心が潰れた時にも、核が通る線を一つ残すためだ。

浅い池は、敵を止めるほど深くない。水圧を受けたら崩れ、骨針を受けたら縁から欠ける。それでも、何が先に壊れるかは決められる。守る地形ではなく、崩れる順番を選ぶ地形だ。

「五呼吸。六じゃない。欲張った六呼吸目に壊れるのは、罠じゃなくて俺だ。帰れない流れを五つだけ作る」

口に出したのは勇気づけではない。固定工程が保つ長さを、自分で取り違えないためだった。俺は核を低い排水路の脇へ寄せ、防水膜を薄く張る。正面に残した水だけが、池の底へ落ちるよう角度を作った。

石段の上で、骨鎧守護者が止まった。

ぎ、ぎ、と骨が擦れる。右足の踵から胸へ走る青い膜が脈打ち、前回傷つけた接続を避けるように、背へ細い線を逃がしている。空の鎧なのに、池の水面が低く押され、核の内側まで重くなる。守護者は俺の位置を探すのではない。先に水の帰り道を読んでいた。

だから俺も、守護者を見ない。金属片に映った膜の揺れを見る。右足の線が太くなれば胸へ逃がす。背の線が淡くなれば足元を使う。弁を壊して逃げた時に覚えたのは、傷の場所ではなく、敵が傷を避ける順番だった。

守護者の胸の膜が一度だけ明滅した。俺が池へ水を落とす前から、あちらは足元の水位を測っている。ここで先に水刃を投げれば、相手はまた背の線を太らせるだろう。切れた場所を追っていては、敵の用意した順番に乗るだけだ。俺は水中感知を浅く広げ、膜の下にある骨の空洞と、流れが戻る速さだけを数えた。

胸の圧が増すたび、防水膜の表面が粟立つ。逃げたい、と核の奥が縮む。しかし逃げるなら、敵が踏み込んだ後だ。まだ骨針は飛んでいない。まだ池は崩れていない。俺は恐怖を消そうとせず、動く合図として残した。早く動けば帰路を失う。遅ければ杭を置けない。その間だけを取る。

「怖い、逃げたい、今すぐ逃げたい。だからまだ動くな。あいつが一歩を置いた瞬間だけ、俺の五呼吸に変える」

独り言の直後、守護者は頭部のない鎧をわずかに傾けた。返事ではない。青い膜が右足から床を這い、俺の池を避ける半円を描いた。守護者は同じ穴へ二度入らない。それでも、選べる線を減らせば、次に置く足は読める。

守護者が踏み込んだ。どん、と石の奥まで震え、青い膜が池へ伸びる。俺は水圧制御で正面から弾かなかった。黒殻片の上へ水を落とし、骨針が戻る流れと、核を運ぶ流れを二つに分ける。骨針が鉱殻板へ刺さり、池の縁が砕けた。けれど崩れた水は、予定どおり段の裏へ流れた。

「鉱殻、一枚終わり! でも崩れる向きは合ってる。さあ骨鎧、胸へ逃がすか、背へ逃がすか――選べ!」

守護者は背の線を開くと同時に、肩甲から骨針を散らした。一本は避けた。二本目は防水膜で滑らせた。三本目は、回避した先にあった。核の手前まで骨先が食い込み、身体の四分の一が弾け飛ぶ。

HPは36から27へ。魔力は39から25へ。予定より一枚多く膜を張り、予定より一度早く水圧を分けた代償だった。

「いったあ! 三本目、そこに置いてたのか! でもまだ動ける。失敗した分は、次の一手で取り返す!」

俺が守護者の右足へ出たからではない。水が一拍遅れたため、守護者の胸の膜が先に膨らんだ。骨鎧の内側で低い唸りが重なり、背の青い線が開く。敵は接続を胸から背へ替え、俺の池を迂回しようとした。

その動きで、最後の線が決まった。俺は金属片を壁へ押し、残る膜跡を細く光らせる。守護骨片を段の裏の隙間へ差し込み、圧縮器官をその下に置いた。三つを同じ役目にはしない。骨は杭、器官は押し返す支点、金属は切る場所を示す印だ。

魔材クラフトの固定工程を起動する。三呼吸。骨片が石へ噛む。四呼吸。圧縮器官が震え、俺の魔力が急に軽くなる。五呼吸目に、杭の根元が砂を噛んだようにずれ始めた。ここから先は支えではない。崩れる前提で使う刃だ。

俺は水刃を、守護者の肩へ置いた。水刃は鎧を断つほど太くできない。肩から背へ移った膜を、ほんの少し浮かせるだけだ。守護者は胸へ逃がそうとする。しかし足元の接続は杭に引っかかり、池の水は黒殻片へ先に落ちる。行き場を失った青い膜が、肩の傷へ集まった。

ぎゃり、と骨鎧が初めて形を崩した。威圧が途切れたのではない。重さを支えていた流れが一瞬だけ外れ、片膝が石へ落ちたのだ。骨爪が壁を薙ぎ、最後の鉱殻板が砕ける。俺は勝ちを確かめるために近づかず、核を段の裏へ滑らせた。城の半分が消えても、帰る線だけは残っている。

片膝をついた守護者は、倒れるどころか左腿の膜へ全重量を預けた。石段が沈み、崩れた城の床ごと俺を押し潰す。防水膜が鳴り、核が潰れた金属板のすぐ脇まで押しやられた。

俺は囮水流を右側に放った。守護者の爪が假の揺れを潰す。但し、本体を左へ逃がす余力はない。一度目は失敗し、核の縁を骨爪が擦った。二度目、囮を小さくし、水圧を逃げる方ではなく、潰れた金属片の下だけへ流す。できた指一本分の隙間へ、核を押し込んだ。

HPは27から12へ。魔力は25から8へ。視界の縁が黒く欠け、水刃を形にするだけで核が吐きそうに震える。

「強すぎる。俺、こんなのに喧嘩売ったの? 馬鹿だろ……。でも、ここまで読んだ。最後の線だけは、絶対に外さない!」

「今だ! 俺の帰る水は残せ。あいつの逃げる線だけ――水刃、そこを切れ!」

五呼吸目の終わりに、水刃を押し込んだ。露出した膜が切れ、青い火が骨の隙間から細く漏れる。守護者は叫ばない。ただ、軋む音を何重にも響かせ、前脚を上げたまま固まった。次の瞬間、鎧は自分の重さを思い出したように崩れた。水路へ骨が落ちる音が何度も続き、最後に赤い魔核が一つ、濁った水の中を転がった。

崩壊の直前、守護者の爪が最後まで伸びた。避ければ水刃が外れ、留まれば核が割れる。俺は身体の右半分を爪の下へ捨て、核だけを左へずらした。骨爪が身体を削ぎ、水圧制御の最後の一押しが魔力を食い尽くす。

決着時点でHP4/52、魔力1/64。その一手違いで、水刃が青膜を断ち切った。

「倒れろ……倒れてくれ。これで立ったら、俺、もう泣くぞ」

骨鎧守護者は立たなかった。

「……勝った。勝った! うわああ、やった! 怖かった! 本当に死ぬかと思った!」

跳ねようとして、残った身体が水底へべしゃりと潰れた。

「お祝いの跳躍、今回も失敗……。でも勝ちは勝ちだ」

水も、鉱殻板も、黒殻片も、圧縮器官も、守護骨片も、金属片も残っていない。それでも赤い魔核は食べない。鑑定は、高い魔力と固定工程の定着、魔材の役割分離への適性を示した。同時に、未整理で吸収すれば骨鎧連結の残滓が核を圧迫すると警告した。

俺は魔核を無限胃袋のいちばん奥へ隔離する。勝った直後ほど、何でも食べれば次が楽になると思う。だからこそ今は、拾った力より、食べなかった判断を残す。

隔離した魔核には触れない。触れれば、空腹ではなく好奇心が理由になってしまう。俺は胃袋の中で保存場所を分け、魔核の表面の冷たさだけを覚えた。これが役に立つか、災いになるかはまだ分からない。分からないものを力と呼ばず、保留と呼べるなら、次に取り出す時の俺は少しだけ違う判断をできる。

骨鎧が崩れた後の静けさにも、まだ圧が残っていた。水路の上流で水が一度だけ逆に鳴り、切れた接続の先に別の流れがあると知らせる。俺は追わない。今の俺に残ったのは、帰るための現在地と、使い切った素材の記録だけだ。勝利の先を急ぐより、城が消えた後に戻れることを確かめる。

崩れた階段の上に青い文字が浮かんだ。守護骨の魔力記録。素材構造の定着。魔材クラフトの固定工程Lv1。そして、骨鎧守護者の大量経験値が流れ込む。レベルは五から六へ。最後まで空白だった進化条件「格上個体の単独撃破」に、ようやく光が灯った。

進化候補「クラフトスライム」。実行可能。但し、進化中は十二時間の完全硬化。移動、攻撃、感知は不能。

勝った喜びの真ん中に、冷たい恐怖が落ちた。ここで実行したら、別の魔物に発見されても何もできない。

「進化できる。今すぐできる。……でも、今すぐやったら死ぬ! 帰れ、俺。夢の新種族は、安全な穴で見よう!」

進化を選ぶ文字へ触れかけ、俺は身体を引っ込めた。いまのHPは四。魔力は一。ここで硬化すれば、通りすがりの小魔物にかじられても抵抗できない。

「強くなる前に食べられました、は絶対に嫌だ。帰るぞ。這ってでも帰る。十二時間ぶんの寝床と、起きた後の朝ごはんまで用意してからだ!」

帰路は、来た時の三倍も長く感じた。残しておいた水跡へ身体を落とし、一息ぶん進んでは止まる。骨が転がる音だけで身体が縮み、二度も隙間へ潜った。勝ったのに、まだ弱い。けれど、勝つ前の俺には帰るための水も食料も残せなかった。いまは計画どおり、横穴に水二単位、白肉一食分、守護骨粉、黒殻膜二枚、鉱殻片六枚が待っている。

「あった……! 俺の備蓄、天才! 決戦前の俺を抱きしめたい。身体がないから無理だけど!」

白肉の匂いを確かめ、食べたい衝動をこらえて一食分すべてを無限胃袋へ隔離した。いま食べれば楽になる。でも、進化中は何もできず、目覚めた直後も動ける保証はない。これは覚醒後の非常食だ。次に横穴の入口へ骨杭を三本立て、外へ向かう偽の水跡を二本引く。黒殻膜を内側、鉱殻片を外側へ置き、守護骨粉を接合材にする。進化中に吸収させる栄養泥を一塊、保存水を二単位用意した。

準備を一つ終えるたび、文字を読み直した。十二時間、移動不能。攻撃不能。感知不能。途中解除は失敗扱い。進化そのものより、眠っている間に何もできないことの方が怖い。

「杭よし。偽水跡よし。水よし。ごはんよし。……怖さ、全然よくない。でも、あいつに勝って得た進化だ。ここで怖がって捨てたら、骨鎧に笑われる」

俺は横穴の最奥へ身体を収め、進化を選んだ。

黒殻膜と鉱殻片が身体へ吸いつき、守護骨粉が白い筋になって隙間を埋める。薄い殻は一枚、二枚と重なり、やがて繭のように俺を包んだ。魔力が核から引き抜かれ、外の水音が遠ざかる。最後に残った感覚で、入口の骨杭が立っていることだけを確かめた。

「十二時間後に起きろ、俺。強くなって、朝ごはんを食べるんだ。絶対だぞ」

返事をする身体さえ固まり、暗闇が落ちた。


挿絵(By みてみん)


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