【第五話】 獣の誓い
「奴が犯人だ!!」
コルネリウスの甲高い告発が、狂気の濁流に最後の一押しを加えた。
憎悪と「正義」の矛先が、聖遺物を手にしたカイ、ただ一人に集中する。
「「「殺せえええええ!!」」」
騎士たちが、民衆が、波となって押し寄せる。
カイは、その憎悪の濁流の中心で、血に濡れたまま立ち尽くしていた。
脇腹の傷が焼けるように熱い。だが、ダゴを失った心の穴が、それ以上に冷たい。
(……これが、人間か)
(これが、てめえらの『正義』か)
手の中にある『アウリナの涙石』が、皮肉にも炎を反射して神々しく輝いている。
人間の「欺瞞の証拠」。
そして、カイが「犯人である証拠」。
(……捨てるか?)
一瞬、そう思う。
これを投げ捨てれば、ただの「騎士団長殺し」だ。
だが、これを持っていれば、「都市の生命線を奪った大罪人」になる。
(……違う)
カイは、その聖遺物を強く握りしめた。
(これは、てめえらが俺に押し付けた『罪』だ)
(だったら、この『罪』ごと、てめえらの喉元に突き返してやる)
「どけえええええええっ!!」
カイは、迫りくる騎士団に向かって、真正面から突進した。
「馬鹿な!」
「囲め!」
騎士たちは、カイが逃げずに突撃してきたことに狼狽する。
カイは、迫る槍の穂先を、先ほど拾った鉄パイプで弾く。
脇腹の激痛を、奥歯を噛み砕くほどの憎悪でねじ伏せる。
猫人の最後の瞬発力を振り絞り、人間の壁の一番薄いところ――狂気に浮かれた民衆の群れへと、あえて飛び込んだ。
「うわあっ!」
「来たぞ!」
「『犯人』だ!」
民衆はカイを殺そうと棍棒を振り上げるが、ガストンを殺した「本物の『犯人』」 を目の当たりにし、その殺気に一瞬怯む。
カイは、その一瞬の怯みを見逃さない。
壁を蹴り、屋根に飛び、炎の中を駆け抜ける。
背後から「逃がすな!」「聖遺物を奪い返せ!」というコルネリウスの金切り声が聞こえる。
(……そうだ、追ってこい)
(てめえら全員の憎悪を、俺が引き受けてやる)
カイは、ただひたすらに、ダゴが仲間たちを逃がした「古い地下水路」へと向かって、炎上する故郷を駆け抜けた。
どれだけ走ったか。
背後の追っ手の声も、もう聞こえない。
カイは、亜人街の最も奥、打ち捨てられた区画にある地下水路の入り口に、転がり込むように落ちた。
「……がっ……は……っ」
脇腹の傷口から、命そのものが流れ出していくのがわかる。
暗闇の中、カビと汚水の臭いが鼻をついた。
「……だ、誰か……いるのか……?」
カイは、最後の力を振り絞って声を出す。
「……ダゴさんに……言われて……」
暗闇の奥から、物音と、怯えた息遣いが聞こえた。
「……う……」
「……ひっ……」
やがて、小さな灯り(ランタン)が一つ、カイの顔を照らした。
そこにいたのは、昼間カイが助けた、あの兎人の子供だった。
彼の後ろには、数人の老婆や、子供を抱えた母親など、十数人の「生き残り」が、恐怖に震えながら身を寄せ合っていた。
「……カ、カイ……兄……?」
兎人の子供が、震える声でカイの名を呼ぶ。
その目は、カイの姿――血まみれで、ボロボロの「化け物」の姿を見て、恐怖に引きつっていた。
「……ああ」
カイは、安心させるように笑おうとした。
だが、うまく笑えなかった。
「……ダゴさんは……」
子供が、希望を込めて尋ねる。
カイは、首を横に振った。
「……守れ、なかった」
それだけ言うのが、精一杯だった。
子供の大きな目から、涙が溢れる。
他の生き残りたちからも、絶望的な嗚咽が漏れ始めた。
(……そうだ)
(俺は、守れなかった)
(ダゴさんも、仲間も、故郷も……全部)
カイの脳裏で、ダゴの最後の言葉が蘇る。
『……『まっすぐ』……生き……』
『……西の……奴らを……頼れ……』
カイは、自嘲するように、血に濡れた手を見つめた。
(……『まっすぐ』生きた結果が、これかよ)
(熱くなって、突っ込んで……何もかも失くした)
(あんたの言う通りだ、ダゴさん。……俺の『まっすぐ』は、全部折れちまった)
その時、カイの手の中で、冷たい「何か」が輝いた。
『アウリナの涙石』。
地下水路の暗闇の中で、それは皮肉なほど美しく、淡い光を放っていた。
生き残った子供たちが、その光に気づき、息を呑む。
「……それ……『涙石』……?」
「……なんで、カイ兄が……」
カイは、その光を見つめ、そして、生き残った仲間たちの顔を見つめた。
(……折れた?)
(……違う)
カイは、ゆっくりと立ち上がった。脇腹の激痛が走るが、もはやどうでもよかった。
(……ダゴさん。あんたは、間違ってた)
(俺の『まっすぐ』は、折れちゃいねえ)
(……熱くて、脆かったモンが、
ダゴさんや仲間たちの血を吸って、
炎で焼かれて、
ただ、……冷たく、硬く、『研ぎ澄まされた』だけだ)
カイは、生き残った子供たちに向かって、光り輝く『聖遺物』を掲げてみせた。
これが何を意味するのか、カイにはまだ完全には理解できていない。
だが、これが人間の「悪意」の証拠であることだけは確かだった。
「……ダゴさんは死んだ」
カイの、冷たく、静かな声が、地下水路に響く。
「仲間も、街も、全部焼かれた」
子供たちが、息を詰めてカイを見上げる。
昼間みた、ただの「熱血漢のカイ兄」ではない。
まるで別人のような、恐ろしく、そしてどこか頼りげな「何か」が、カイの金色の瞳に宿っていた。
「……だが、俺たちが『犯人』 らしい」
カイは、その瞳で、兎人の子供をまっすぐに見据えた。
「俺たちは、『人間』の『正義』に殺される『穢れ』なんだとさ」
「……そんな……」
「……だから、逃げるか?」
カイは問う。
「全部忘れて、どこかの森で『獣』みたいに怯えて暮らすか?」
「……」
「俺は、ごめんだ」
カイは、聖遺物を懐にしまい、地下水路の暗い出口――炎上する都市の方向を、振り返った。
「ダゴさん。……あんたの遺言、確かに受け取った」
「俺は、生きる。……『まっすぐ』、生きてやる」
(……てめえら(人間)の『正義』が、どれだけ歪んでるか)
(その喉元に、この『聖遺物』を突き立てて)
(血の涙を流させるまで)
(……『まっすぐ』、復讐してやる)
カイは、ダゴのもう一つの遺言を思い出す。
『西の奴らを、頼れ』
(……気に食わねえが、今はあいつらの『狡猾さ』を借りるしかねえ)
カイは、生き残った仲間たちに向き直った。
「行くぞ。ここ(地下水路)を抜けて、『西区画』へ向かう」
(……これが、俺たちの『戦い』の始まりだ)




