【第六話】 茶番と戦争
地下水路の出口は、亜人街の西区画――カイが「気に食わねえ」と忌避していた領域の、打ち捨てられた倉庫の地下へと通じていた。
「……カイ兄……本当に、あいつら……」
兎人の子供が、不安げにカイの服の裾を掴む。
西区画の連中。彼らは、ダゴやカイたちのように「熱く」仲間意識を持つことを良しとせず、人間の『正義』の理不尽さも「そういうものだ」と受け入れ、ただ生き残るために狡猾に立ち回る集団だった。
「今は、奴らの『狡猾さ』を借りるしかねえ」
「……ダゴさんの、遺言だ」
カイは、脇腹の傷を押さえながら、暗い螺旋階段を上る。
「今は、奴らの『狡猾さ』を借りるしかねえ」
重い鉄の扉を押し開けると、そこは静まり返っていた。
炎と怒号に満ちたカイたちの区画とは、まるで別世界だった。騎士団による破壊の痕跡も、虐殺の悲鳴もない。
「……なんで」
カイが呟いた、その時。
「――そこまでだ、『金眼』のカイ」
静かだが、研ぎ澄まされた刃物のような声が、倉庫の暗闇から響いた。
カイが振り向くと、そこには、カイたち「生き残り」の全員が、いつの間にか数本の矢の射程距離に捉えられていることに気づく。
梁の上、荷物の影。全員が息を潜め、カイたちの動きを視ていた。
「……よぉ。ずいぶんと静かじゃねえか、ここは」
カイは、傷の痛みをこらえ、努めて挑発的に言った。
「当たり前だ。騒げば死ぬ。それが『壁』の内側のルールだからな」
暗闇から、一人の男が姿を現す。
銀灰色の毛並みを持つ、狼人の男。
この西区画を率いるリーダー、『銀狼』のジン。
ダゴが「好かんが、思慮深さは本物だ」と評した、その男だった。
ジンの冷徹な灰色の瞳が、カイのボロボロの姿と、その背後で怯える子供たちを見据える。
「……ダゴはどうした。あの人が、お前のような『熱』に浮かされた猫を、一人でよこすとは思えんな」
「……死んだ」
カイの言葉に、ジンの瞳が一瞬、鋭く細められた。
「……ガストンに、殺された。俺を庇ってな」
「……そうか」
ジンはそれ以上、何も聞かなかった。
「……で? 騎士団長殺しの大罪人サマが、何の用だ?」
「……テメェ」
「街中の騎士どもが『聖遺物を盗んだ犯人を追え!』と、お前の名前を叫んでいる。……まさか、俺たちにお前たちの『火の粉』を被れとでも?」
カイは、ジンの冷たい追及に、奥歯を噛み締めた。
そして、懐から『アウリナの涙石』を掴み出し、ジンの足元に叩きつけた。
「これは、俺が盗んだんじゃねえ! ガストンが持ってたんだよ!」
カイは、血反吐を吐くように叫んだ。
「あの騎士団長が、これを『証拠』として、俺たちの長老の家に『設置』するつもりだったんだ! だから俺が……!」
ジンの灰色の瞳が、床に転がった『聖遺物』を見据える。
彼はゆっくりとそれを拾い上げた。神聖な光が、彼の冷徹な横顔を照らす。
彼はそれを値踏みするように見つめ、そして――
フッ、と鼻で笑った。
「……何が、おかしい」
カイの怒りに満ちた声に、ジンは侮蔑とも憐れみともつかない視線を向けた。
「……カイ。お前、まだ気づかないのか?……ま、お前にゃ分からねえわな」
ジンは、『聖遺物』ではなく、倉庫の天井――都市の外の「世界」を指した。
「結界は、まだ消えていない」
「……!?」
カイも、生き残った者たちも、その言葉の意味が分からず息を呑む。
「ダゴの昔話を忘れたか? 『あれが、結界がなきゃ一晩だって生き残れねえ』」
ジンは、カイの目の前に、光り輝く『聖遺物』を突きつけた。
「もしこれが本物なら、バルドゥス(司祭)が『盗まれた』と大聖堂の鐘を鳴らした時点で、この街は『夜の瘴気』に沈んでる。……俺たちは、今ごろグールどもに喰われてるはずだ」
ジンの声が、絶対零度の確信をもって響き渡る。
「これは、偽物だ」
その言葉は、ダゴの死よりも、ガストンの強さよりも、重くカイの心を打ちのめした。
偽物。
「あの司祭(クソ坊主)が、ガキのお遊び(戦争ごっこ)のために用意した、ただの玩具だ」
カイの血の気が引いていく。
ダゴの死も、仲間たちの絶叫も、すべて、この「玩具」のために?
これは『聖戦』ですらない。
ただの、計画的な『害獣駆除』。
「……そういうことか」
ジンは、カイの絶望をよそに、全ての『計画』を完璧に看破する。
「本物の聖遺物は、今も神殿の奥深く。バルドゥスは、都市の守りを危険に晒すリスクを一切負うことなく、この精巧な偽物を、脳筋のガストンに『聖なる証拠品』として渡した」
ジンの灰色の瞳が、冷たい怒りに燃える。
「奴の計画は、こうだ。ガストンがこの偽物を『発見』し、俺たち全員を『大罪人』として始末する。そして、この玩具を回収することだった。……だが、カイ。お前が『しくじった』」
「……」
「お前がガストン(駒)を殺し、この『茶番の証拠』を、大罪人の汚名と一緒に持ち帰ってきやがった。バルドゥスの計画は一部狂っちまったわけだ」
ジンは、その『偽物』をカイの手に握らせた。
それは、ひどく冷たく、汚らわしく感じた。
「カイ。お前には二つ、道がある」
「……」
「一つは、その『偽物』を抱えたまま、『大罪人』としてここで死ぬか、街の外で本物のグールに喰われるか。……所詮、どちらも『死』だ」
ジンは、カイの『金眼』――その奥で、絶望から再び燃え上がろうとしている、冷たい復讐の炎を見据えた。
「もう一つは、その『熱』を、復讐の『知恵』に変えることだ」
「……知恵」
「そうだ。司祭が俺たちを『害獣』として『茶番』で殺そうとしたなら、俺たちは『人間』として奴の喉元を食い破ってやる」
銀狼のジンは、金眼のカイに手を差し伸べた。
狼人の、冷徹なリーダー。
「お前の『力』と、お前が背負った『最大最強のウソの証拠』を、俺に貸せ」
「俺たちは、人間と『戦争』をする」
カイは、手の中にある『偽物』を、ダゴの血と、仲間の無念を、そしてすべてを焼き尽くす憎悪とを噛み締めながら、強く握りしめた。
彼は、その手を掴み返した。
「……『戦争』のやり方を、教えろ」
(序章 完)




