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白い蒲公英  作者: 真
3/5

act2


「決して許されない恋をした……ねぇ」 

 カオルは呟いて、空を仰いだ。

 学校の屋上。

 僕等はある生徒を待つべく、ここにいた。

「かなわなかった恋で自殺なんてあり得ないよ」

屋上の手すりに凭れながら、僕は反論した。

 その口調はかなり怒っていたみたいで、カオルにまぁまぁと肩を軽く叩かれた。

「自殺と認めたくないお前の気持ちはよう分かる。けど、まぁ、あらゆる方向から捜査していかんと真実は見えんで」

「でも君だって自殺とは思っていないんだろ?」

「そうっちゃそうなんやけど……まぁ、もう一人の生徒の話も聞こうや。不登校の問題児やったけど,

アキの説得でようやく学校へ来るようになった生徒や」

「よくこの屋上に来ているって、皐ちゃんたちは言っていたけど」

「何?皐ちゃんって」

「さっきの子たちじゃないか。皐ちゃんは三つ編みの方」

「そら知っとるわ。何会って間もない女子高生と前からのお友達みたいに、呼んどんねん?」

「もう友達だよ?僕的には」

「…………相変わらずやなぁ。その人なつっこさ。でも、ま、特に皐ちゃんの方は、イチ好みだ よなぁ。どことなく布結花に似ていたし」

「そ、そうかな?」

「そうだよ。お前、ホンマ、布結花のこと好きやったもんなぁ」

「……」

 僕の中で、ほろ苦い思い出が蘇る。

 生まれて初めて、女の子に告白した。

 結城布結花。

 真っ直ぐ伸びた長い髪に、透き通るような白い肌。小さな唇に、澄んだ二重の目。

 人形のように綺麗だけど、笑うと可愛らしくて。

 最初に出会った時から、僕は彼女が好きになっていた。

 高嶺の花だとは分かっていたけどね。

 でも、佐島にからまれている所を僕やアキが助けて。

 それからは、親しく話をするようになっていた。

 僕とアキ、そしてカオル。布結花ちゃんとその友達の夕紀ちゃんと五人。

 よく五人で映画に行ったり、海へ行ったり、カラオケ行ったりして。

 本当に楽しかった。 

 僕自身は、自分自身の気持ちをずっと胸に秘めておくような真似はしたくなかった。

 ある日布結花ちゃんを学校の屋上に呼び出し、自分の気持ちを伝えたのである。

『布結花ちゃん、あの……その……僕と付き合ってください!!』

 いろいろな告白の台詞を考えまくった結果がこれだ。

 彼女を目の前にすると、今まで考えていたロマン溢れる台詞も、一瞬にして削除されてしまったのだ。

 演じることが三度の飯よりも好きなのに、その時はかっこいい自分を演じられなかった。

『ごめんなさい。イチ君。私……アキ君が好きなの』

『……』

 一瞬、ショックのあまり言葉を失った。

 だけど、同時に納得もした。

 布結花ちゃんが男子の憧れの的だったのであれば。

 アキは女子にとっての憧れの的。

 彼女はそんなそぶりは見せていなかったから、違うのかと思っていたけど。

 むしろ布結花ちゃんの友達の夕紀ちゃんの方が、アキに好意を持っていて、積極的にアプローチしていた。

 ああ、もしかして彼女は夕紀ちゃんに遠慮していたのかもしれない。

 頭の中はそんな考えがぐるぐると渦巻いたけど、すぐさま我に返り、僕は笑顔を演じたのであった。

『そっか……そうだよな!あいつかっこいいもん。あいつなら納得!!』

『ごめんね、イチくん』

『あ、謝らなくていいよ!あんま気まずい関係になるの嫌だから、これからも友達!それならいいよね?』

 僕がそう言うと、布結花ちゃんは嬉しそうに頷いた。

 初めての告白。

 そして初めての失恋だった。

 それでも僕等は、本当にいい友達でいられた。

 半月後。

 僕は祖母が入院したので、岡山にお見舞いに行った時、田んぼのあぜ道に咲いていた白い蒲公英の花を見つけた。

 布結花ちゃんは、植物が好きだった。

 家の花壇に色んな花を育てているって言っていた。

 地元には咲いていない白い蒲公英。

 僕はそれを植木鉢に植え替えて、持ち帰ることにした。

 布結花ちゃんに渡した時には、くったりしていたんだけどね。

 でも、彼女は何をどうしたのか。

 何日か後に、元気になった白い蒲公英の写真を携帯で見せてくれた。

 蒲公英はちゃんと布結花ちゃんの家の庭に咲いていたんだ。

 さらに時が経って、綿毛になった白い蒲公英の種を僕に見せてくれて。

『これ、今度庭に飛ばしてみるね』

 そう言って彼女はティッシュに包んだ白い蒲公英種を制服の胸ポケットに入れたのであった。

 あの白い花は。

 僕と彼女の思い出の花なんだ。

「お前、布結花に振られた時、泣いたなぁ。俺に抱きついて」

 にやにや笑うカオルに僕はむっとする。

「そ、そういう君だって、夕紀ちゃんに振られてやけ酒したじゃないか。未成年者のくせに二日酔いになって」

「そ、そんなことのあったかなぁ」

 明後日の方向を見ながらカオルは空とぼける。

 布結花ちゃんの友達、夕紀ちゃんもふわふわの天然パーマをウサギみたいに結って、目がくりとした可愛い美少女だった。二人が並んで歩いていると、大抵の男は振り返ったもんだ。

 で、コイツはそんな夕紀ちゃんにぞっこんだったのだけど、夏休み、花火大会へ行った時だったか。みんなが屋台に行ったり、御輿を見に行ったりしていた時に、たまたま二人きり になって、その時にぽろっと告白したらしい。

 夕紀ちゃんは綿飴を食べながら、にこりと笑って言ったのだ。

『ありがとう。カオル君、面白くて好きだけど、付き合うにはちょっとね』

『え……さ、参考までにドコがあかんのか聞いてええか?』

『うーん、でもあくまで私の価値観だから、あんま参考にしない方が』

 僕はその時、タコ焼きを買ってきたんだけど、同じくリンゴ飴を買ってきた布結花ちゃんと、お面と焼きトウモロコシを買ってきたアキ(一番満喫してた)と共に、木の陰から二人のやりとりを見ていた。

 僕とアキは。

 それ以上、聞かない方がいいぞ、カオル!

 と心の中で叫んでいた。

 しかしその声もむなしく。

『教えて欲しいねん』

『ホントにいいわけね?』

 真剣な眼差しで尋ねてくるカオルに、夕紀は一つ溜息を着いてから、やや厳しい声で言ったのであった。

『私、デブいの駄目なの』

 

デブいの駄目なの……

 デブいの駄目なの……

  デブいの駄目なの……


 その言葉は、何度もカオルの頭の中をエコーしたと言う。

 そこまで言うこと無いだろ!?

 とは言いたかったけども、その言葉を望んだのはカオルだ。

 でも、もーちょっとやんわり言っても良かったんじゃ。

 彼女は結構辛口なことを言うので、結構周囲から反感を食らうことが多い。

 僕は彼女のそんな正直なトコは嫌いじゃないんだけど、今回ばかりは、カオルが可哀想だと思った。

 しかし今更彼女を責めた所で、カオルが惨めになるだけの話なので。

 僕等は何食わぬ顔で二人のトコに戻ることにしたのだった。

 高校二年の夏はカオルにとって苦い思い出だ。

「今の君を見たら、夕紀ちゃんびっくりするかもよ?」

 くすくす笑う僕に、カオルは「どうだか」と軽く肩をすくめた。

 




 その男子生徒が屋上にやってきたのは、それから間もなくのことだった。

 さらさらの金髪の髪にピアス。細面の顔にややつり上がり気味の細い眉、そして切れ長の細い一重の目……へぇ、ちょっと可愛い感じの男の子だなぁ。

 くわえ煙草をしていた彼は、僕等の姿を認めたとたん、驚いてぽろりと煙草を床に落とす。

「うそ……マジ?」

 いや、厳密に言うと、彼は僕の顔を見て驚いていたみたいだった。

 カオルはやれやれと一つ溜息をついて、彼の方に歩み寄る。

「未成年の間は喫煙禁止やけど」

 落とした煙草を拾い上げ、カオルは自分の携帯灰皿を胸ポケットから取り出して、その中に入れる。

 少年はきまりが悪そうに口を尖らせながら、上目遣いで僕等を見る。

「何、あんた達。学校の関係者でもなさそうだけど……」

「俺はK署の丹生や。ちょっと君にも村瀬先生のことで尋ねたいことがあるんやけど」

「あんた刑事なんだ……この人は?」

 この人とと言って差したのは、僕の方だ。

 カオルは首を横に振った。

「いや、こいつは村瀬の友達や。まぁ、俺かてそうやけどな」

「せんせいの……友達?」

 少年は暫く、呆然として僕たちを……というか僕の方を見つめていた。

 彼を見て思い出すのは、先程の女生徒たちの会話だ。



『決して許されない恋をした……って、ちょっとぉぉ!それどーゆーこと!?』

 美歩は皐の肩を揺さぶりながら、目をまん丸にして尋ねる。

『み、美歩。落ち着いて』

『許されない恋って何よ?例えばお姉さんとか妹とかを好きになったとか!?』

『そら、ドラマの見過ぎやろ』

 二人のやり取りをみて呆れるカオル。

 まぁ、そうかもしんない。

 でも人生ってドラマ以上のこともあったりするんだよね。

『その相手誰だと思う?』

『何……あんた知っているの!?』

『確信しているわけじゃないけど、あの人だと思うの。先生と彼、しょっちゅう一緒にいたし、それに一回抱き合ってるトコ見ちゃったし……あの時は、まさか男同士でそういうことはあり得な いと思っていたから、泣いているのを、なぐさめているだけかと思ったんだけど』

『だ、抱き合っていた……お、男同士……って、誰!?』

『あの人よ』


 

伊勢卓磨いせたくま



 彼女達が言っていた“あの人”は僕の方をじーっと見ながら、淡々とした口調で名を名乗った。

「……おい、聞いているの俺なんやけど」

 カオルは、そんな卓磨君の態度を咎める。

 すると彼はじろりと睨んで。

「サツに話すことなんかねーよ」

 とぶっきらぼうに言った。

 敵視に近いその眼差しに、カオルはややたじろぐ。

 あんまし警察にいいイメージがないのかな。

「じゃあ、僕だったらいいのかな?僕は警察じゃないし」

「……っ!」

 すると卓磨君は驚いたように僕の方を見て、それからふいっと顔を横に向けて言った。

「…………いいよ、別に」

「なにゆえ!?」

 やや怒気を孕んだ驚きの声を上げるカオルに、僕はまぁまぁと言いながら少しハズしてくれるよう頼んだ。

 まったく近頃のガキは……とブツブツ言いながら、カオルは屋上の隅っこで待機。胸ポケットから煙草を取り出し、一本くわえた。

 僕はそんな友人の方をちらっと見てから、卓磨君の方を見た。

「アキ……じゃなくて、村瀬とはよく話をしていたりしたの?」

「……あ、ああ。他の先生と違って、村瀬先生だけは、俺の話を良く聴いてくれて、真剣に将来のことも心配してくれたりして」

 視線は相変わらず斜め下の床に向いたまま。

 金髪にピアス……昔の僕みたいだな、この子。

 中学時代、僕はちょっとばかりグレていた。

 この子と同じように髪の毛染めて、ピアスも開けて。

 刺激が欲しくてありとあらゆる場所で遊んだり、喧嘩したり。

 母親と折り合いが悪かったからね。

 母親とは言っても、父さんの元愛人。

 ホントの母さんが死んでから、何年かして正妻の座を獲得した人だった。

 僕はその人にとても疎まれていたから、家には寄りつかなかった。

 ここの高校に通う前までは、ホント、ろくでもない生徒だったんだよね。

「あの……俺、役者になりたいんだ」

「────」

 僕は息を飲んだ。

 昔の僕みたいだ……と思った直後に、その言葉だもの。

 び、びっくりした。

 すると卓磨君も顔を真っ赤にして、すぐに俯いてしまった。

「む……無理だよな。俺なんか役者って」

「何で無理だと思うの?」

「俺、先生たちにも鼻つまみものだし、演劇部でも全然相手にしてくれないし……」

「先生の言うこと聞くようないい子が、いい役者になるとは限らないよ。役者って我が強い人多いしねぇ。学生時代、変わり者だったり、結構問題児だった子の方が多いかも。僕もさ、演劇部の先輩には嫌われていたんだよ」

「え……そ、そうなんだ」

 意外そうに僕の方を見る卓磨君。

「うん。僕は一年生の時に先輩の代役として出たのが最後だったんだ。二年生の時、主役が決まっていたんだけど、ケガしちゃってさ」

「ケガ……」

「うん。交通事故でね」

「……っ!」

 僕はこの学校の演劇部にいた。

 でも、中学校の時の僕の素行を知っていた人がいたみたいで。

 特に先輩方には疎まれていた。

 でも、中には僕の実力を認めてくれる人がいた。

まず演劇部の顧問の先生。

 それに同級生や後輩もだんだん僕のことを認めてれるようになって。

 だから二年になって、主役の座を獲得できたんだけど。

 その日、僕は家路を歩いていた。

 車通りも少ない普通の通学路だったんだ。

 横断歩道を渡っている時、左折してきた車に轢かれた。

 何がどうなったかはよく分からない。

 僕はその時体が中に飛んだ瞬間、とっさに頭部をかばったのは覚えている。

 気付いたら入院ベッドの上。

 腕は骨折していて、足も痛めたみたいで湿布と包帯が巻かれていた。

 当然、主役は降ろされた。

 代役の子が出るって決まった時には悔しくて泣いたっけ。

 犯人は未だに分からない。

 車はひき逃げだったから。

「……先生言っていたんだ。役者をやっている友達がいるって。そいつは誰よりもスゴイ役者で、先生自慢の親友なんだって言っていたんだ」

「あいつが……」

 卓磨君の言葉に、僕は何も言葉が出なくなった。

 役者になることを反対していたアキ。

 喧嘩別れして……だけど、その後も僕のことを見守ってくれたアキ。

 役者に反対したことを後悔している、と手紙には書いてあった。

 アキはきっとこの子に昔の僕を見たのだろう。

 僕を応援できなかった代わりに、この子を精一杯応援しようと思っていたのかもしれない。

「俺、信じられなかった……先生が自殺したなんて。だって、今度先生と一緒にあんたが出る舞台を見に行く予定だったんだ」

「……っ!」

 僕は目を見張った。

 あいつがこの子を連れて、僕の舞台を見に。

 あいつが。

「だけど警察は、俺の話なんか、これっぽっちも聞こうとしねぇ。須藤のヤツの言葉を鵜呑みにして、俺に取り合ってくれなかったんだ」

「須藤……だって!?」

 僕はちらりとカオルの方を見た。

 須藤といえば、この学校の体育教師だ。

 二枚目な容姿で女子にももてていたし、一見爽やかな印象を与える先生だった。

 だけど、完全にカオルのことを馬鹿にしていて。

 体育の時、跳び箱や鉄棒なんか、カオルが失敗するたびに鼻で笑ってたし。

 カオルは関西系のノリで「先生ひどいわー」とか「体が持ち上がらん!」と、言ってみんなの笑いを取っていたけどさ。

 マラソンでも一番遅いカオルのことを指さして笑っていたし。

 そういえば名前で呼んだこともなかったよな。いつも「そこの豚」とか「デブ」とか言って。

 本当に馬鹿にしているというのが分かったから、僕はあの教師が好きになれなかった。

「あいつ、警察に俺の言うことは信用しない方がいい。学校でも問題ばかり起こして、教師も手を焼いている、話を聞いても事件をややこしくするだけだとかぬかしやがって!!」

 ……うわぁ。

 相変わらずヤな野郎。

 そういや、あいつどこで調べたのか、僕の中学時代の素行のことを知っていて、そのことを何かと混ぜ返しては、嫌みを言っていたっけ。

「先生が自分で死ぬわけなんかねぇんだよ!」

 いつのまにか卓磨君はすがるように僕の胸倉を両手で掴んでいた。

「あの人が俺を置いて死ぬわけないんだ!」

「――――」

 卓磨くんの目から、ぽろぽろ涙の粒がこぼれ落ちる。

 ああ、この子もアイツのことが。

 そうだよね。

 アキが本当に格好良くて、正義感が強くて。

 あいつと出会わなかったら、僕だってどうなっていたか分からない。

 僕はそんな卓磨君を抱きしめ、背中を撫でてやった。

「僕だって信じられないよ。あいつが自殺したなんて。だから、今色々な人に話を聞いているんだ。真実は別にある、と思っているからね」

「本当に?」

 涙ぐませながら、顔を上げる卓磨君に、僕は大きく頷いて見せた。

 やっぱりあいつが自殺なんかするわけない。

 こんなに慕ってくれる生徒を置いて、自殺なんて……!!

「大丈夫、必ず真実を暴いて……僕があいつの仇をとるから」




「かぁー、あいつにも話聞くんかい。ブルー入るわ」

 僕たちは屋上を後にし、再び職員室に向かっていた。

 須藤の話をすると、カオルはいささかげんなりした顔になった。

 そりゃそうだろう。

 昔小馬鹿にしてくれた教師と、好きこのんで話したいヤツなんかいない。

「そういえば、カオルは捜査の時には、話さなかったの?須藤と」

「俺は捜査から外されとる」

「え……!?」

「当然やろ。その事件に関わり合いのある刑事が外されるんは。客観的なものの見方もできんしな」

 そうか。

 じゃあ、カオルは警察の点数とかそんなの関係なく、本当にアキの為だけに動いてくれているんだな。

 よかった。

 再び職員室に戻ると……あ、いたよ。

 須藤のヤツ。

 当たり前だけど、結構おっさんになってるな。

 相変わらず職員室の窓際の席にいるんだな。

 窓のサッシに手をかけながら、携帯で誰かと話をしている。

 ……ん?

 電話をしている須藤の顔は少し険しい。

「だから……その件はもういいだろう!?おま……しつこいな!次で最後だからな」

 ひょっとして別れ話とか?

 結構女の子ととっかえひっかえ付き合っていたらしいからな。

 ここの美人教師だった田賀崎先生も狙っていたって噂あったし

 苛立ち混じりで携帯を切った須藤は、僕たちの存在に気付きぎくりと肩を振るわせた。

「お……お前等」

「ちーっす。お久しぶりです」

 気のない挨拶をするカオルに、須藤が首を傾げる。

「……?」

「お久しぶりです。先生」

「ああ、市藤か。ふん、学校を辞めて役者になったらしいじゃないか。ただ、市籐という名前の役者など聞いたことがないがな」

 せせら笑う須藤に、カオルが何かを言いかけるが、僕はそれを制した。

「先生、それよりも少し聞きたいことが……」

 言いかける僕を無視して、須藤はカオルの方を見た。

「ところで、お前は誰だ」

「……は?あ、そっか。体型変わっとったから分からんか。先生、俺ですよ。丹生です」

「丹生!?……って、あのデブの」

 デブ言うな。デブ。

 あんぐりと口をあける体育教師に、僕は少し気分が良くなる。

 ふふん、あんな馬鹿にしていたヤツが、自分よりも格好良くなっているんだからな。

 しばらく目を丸くしてカオルを見ていた須藤だけど、やがて皮肉っぽい笑みを浮かべた。

「なんだ、ダイエット成功の自慢にでも来たのか」

「なんでやねん。先生、俺が今日来たんは、村瀬のことを聞きにきたんです」

「村瀬だと?警察でもないお前等が何でまた」

「先生、丹生は今警察ですよ。K署の」

「……っ!!」

 さらに度肝を抜いたかのように顔を引きつらせる須藤に、僕は笑いたくなった。

 本当にいい気味だよな。

「な……捜査の時にはお前、いなかったじゃないか」

「そら捜査には外されとるもん」

「捜査に参加していない刑事が、こんなことしていていいのかな?」

「俺、今は一般人としてここにおりますねん。友達の死に疑問を持った一般人」

「そんなヤツに、協力してやる義理はないな」

「あ、そう。じゃ、ええですわ」

「カオル!?」

 ぎょっとする僕に、カオルはにやりと笑って言った。

「ま……先輩には報告せんとあかんけどな。他の先生は協力的やったのに、須藤先生だけは 何故か頑なに否協力的やったって」

「……っ!」

 須藤の目が驚愕に見開かれ、思わず声を荒げる。

「警察に協力した!聞かれたことにも答えている」

「だったらもう一度協力してくれてもいいでしょ」

「……」

 須藤は黙り込んで、じろりと僕たちの方を睨む。

 もしかして、黙秘権開始ですか。

 大人げないなぁ。

 それとも本当に後ろ暗いトコがあったりして。

「須藤先生、あんまり黙っていると不利になるかもしれませんよ?元々生徒とはいえ、今は警察官なのですから」

 やんわりと宥めるような声に、須藤がぎくりと肩を振るわせた。

 僕はこちらに近づいてくる教師に、思わず「あ」と声を漏らす。

 数学の原石(はらいし先生だ。

 あだ名はゲンセキ。

 細い一重の目にまっすぐ通った鼻筋。それに細面の顔。髪は綺麗にセットされていて、平安装束でも着せたら似合いそうな人だ。

 授業は教わったことないけれども、演劇部の顧問だった先生。

「原石先生、しかしですね」

「須藤先生」

「……」

 原石先生が一際強い口調で、須藤を呼んだ。

 ただ、それだけなのに。

 須藤はまるで叱られた子供のように大人しくなった。

 確か、原石先生って年下だよな?須藤より。

「じゃあ、早速聴きますけど、村瀬が死ぬ前、どこか様子がおかしかったとか、そういったことはありませんでしたか?」

「知るか、俺はあいつとは親しくなかったからな」

 そりゃそうだね。

 アキだってお前なんか、相手にしたくないと思っていたに決まっている。

「それじゃあ、誰か変わった人物が学校に来たとか。あ、変わってなくてもええわ。誰か学校周辺をうろうろしとったとか」

「……それも知らん」

 少し間があったな。

 カオルは眉を潜め、さらに須藤に突っ込んだ。

「そうですか、別の先生は言うてましたけどね。佐島が学校に来ていたって」

「……!」

 須藤は驚いたように肩をびくっとさせた。

 すると原石が苦笑して。

「佐島君は元生徒でしょう?元担任である須藤先生に会いに来ることはおかしいことじゃありませんよ」

「へぇ、佐島は須藤先生に会いに来たんですか」

 カオルの目がやや上目遣いになる。

 うわぁ、高校時代じゃ見ることの無い怖い目だなぁ。

 何か心の奥まで抉られそうな気がする。

 本当に刑事になったんだなぁ、カオル。

そんな元教え子の目つきに顔を引きつらせながらも、須藤は強ぶって言った。

「ふん、あいつには仕事を紹介してやってんだ。ああ見えて義理堅いからな、時々挨拶にくるんだ」

 義理堅い?

 佐島が?

 全然、そんな風には思えなかったけどな。

 まぁ、先生にはいい顔していたのかもね。

「ちなみに4月16日の午前8時頃、先生はどこにいましたか?」

「お、俺を疑っているのか?」

「いいえ、ただの確認ですから」

「その時は僕と当直でしたよ?ちゃんと当直の当番表があるから、後で確認しておくといいよ」

 憤慨極まりないといった具合の須藤に、原石先生が穏やかに笑みをたたえたまま言った。

 なんか、ほどんどこの人に協力してもらったよーなもんだな。

「それにしても市籐、久しぶりだね」

 原石先生は僕の肩を叩いて言った。

「……君が学校を辞めてからは、色々心配したよ」

「本当にすいませんでした。先生には何かと気遣ってもらって」

「君には辞めて貰いたくなかった。学校も演劇部も」

「……」

「だけど仕方がないね。それが運命だったのだから」

「……」

 呟くように言う原石先生は、寂しそうに僕の顔を見ていた。

 寂しいというよりも、どこか複雑そうな。

 確かにこの先生には何かと気に懸けて貰ったけど。

 何故そんな顔をして僕を見るのかはよく分からなかった。






 僕らは職員室を後にした。

 それにしてもなんで、須藤は原石先生には逆らえないのだろう?

 その疑問は、すぐにカオルが答えてくれた。

「あの数学教師な、この学校の理事なんや」

「理事!?」

「ああ、理事長の実孫でな。いつか理事長になる可能性が高い」

「ははぁ、それで」

「オマケにどこぞの財閥のお嬢様と婚約が決まっているんやて。なんだかなぁ、生まれもって恵まれた人間っておるんやなぁ」

 カオルは天井を見ながら大きな溜息をついた。

「富と権力なんかない方がいいって。僕の家なんかそれがあるばっかりに泥沼劇場なんだから」

「あ、そういえば、お前もボンボンやったな。市籐グループの」

「そうだよ。父親の富と権力を巡って、母親の違う兄弟同士骨肉の争いだよ?アレね、本当にしんどいから。ま……僕は家出して勘当状態だから、もう関係ないんだけどね」

「お前、そんな重いこと、よくあっけらかんと言うな」

「あっけらかんと言わないとやってらんないの」

 僕らはそんな話をしながら、校舎の階段を下りた。

「で、次はどこへ行くの?」

「また新しい名前が出てきたやろ?佐島ん家だ」

「佐島の家分かるの?」

「知りたくなくても知っとる。俺と同じ町に住んで、同じ丁目だったからな」

「へぇ、ようはご近所さんだったんだ」

「まぁな。50メーター先にヤツの住んでいたアパートがあった。ただ、今もそこにいるかどうかは分からんけど」



 学校からは自転車で30分内、バスだと10分内の場所に、佐島のアパートはあった。

 既にドアの前の新聞受けは何日分もの新聞でパンパンになっていて、人がいるという気配は感じられない。

 案の定、インターホンを鳴らしても誰も出ない。

 一応、隣の人に佐島がどうしているか聞いてみると、もう半年近く姿を見ていないという。

「……ここは一度、あいつの家に寄ってみるか」

「あいつって」

「佐島の舎弟がいただろ?川村」

「え!?あいつの家まで知ってるの」

 川村は骸骨みたいな顔をした奴で、一回僕と喧嘩した時も細骨のように軽くて弱かったのを覚えている。

 まぁ、ごつい佐島の虎の威を借る狐だったんだよな。

「そら川村も近所やからな。あいつら小学校からのツレでな。確か、自宅の整備工場手伝っているって聞いたけどな」

 佐島の家から歩いて五分もしない場所に、川村の自宅兼仕事場があった。

 だだっ広い敷地に、値段がついた中古車が並んでいる。

 その隣の倉庫が整備場なのであろう。

 裏手にはちょっとした山が見える。

 この辺は駅周辺に比べるとまだ開拓中の場所だ。

 新興住宅地もあれば畑もある。それにこうした小さな山々も。

 今日は休みなのかシャッターが閉まっている。

 その倉庫の前で……何だろう?

 誰か話をしているみたいだ。

 ちょっと遠目だから、見えづらいけど一人は川村だ。

 で、もう一人は……女性かな?

 あ、あれ?

 女性の方が骸骨……いや、川村の胸倉を掴んでいるよーな??

 僕とカオルは顔を見合わせて、彼女たちの方へ駆け寄った。

「とっとと教えなさいよ!!佐島の馬鹿はどこ!?」

「しらねぇよぉ~、お、俺だってしばらく会ってねぇんだから、あいつとは」

「んなこと言って、ばっくれてんじゃないでしょうね!?」

「知らねぇもんは知らねぇよ……っつうか、あんた本当にあの高見なのか!?」

 高見!?

 高見って、高見夕紀ちゃん……布結花ちゃんの友達だった。

 あ、本当だ。

 近くで見たら夕紀ちゃんの横顔!

 あのふわふわだった髪が、ロングストレートに変わっていたから、遠目からだと全然わからなかった。

 というか、まさか夕紀ちゃんが、川村の胸倉を掴むようなキャラに成長しているとも思わなかったから。

 ふと彼女は僕らがこちらに歩み寄ってくるのに気づいて、「あっ!」と声を上げた。

「う……嘘、もしかしてイチ君?」

「うん、久しぶり」

 僕が軽く手を挙げると、夕紀ちゃんは川村から手を離して、まじまじとカオルの方を見た。

 相変わらず大きな目で、しかもじっと見るものだからカオルもどうしていいか分からず、とりあえず鼻の頭を掻いて俯く。

 へぇ……女子高生に対しては余裕な紳士的な態度を取っていたのに、夕紀ちゃんに対して は全然違うんだな。

 やっぱり昔惚れていた弱みってやつなのかな。

「うそっ!?もしかしてカオル君」

「おう、久しぶり」

 カオルは照れくさそうに笑っている。

「やだ、二人ともどうしたの!?」

 驚き半分、嬉しさ半分の彼女の声に、僕も思わず顔をほころばす。

 高見夕紀ちゃんは、相変わらず大きな目が可愛くて……それに大人の女性の美しさが加わっていた。

 



 結局川村からも、佐島の行方は聞き出せず。

 まぁ、それでも、高見夕紀ちゃんと再会できたのは、また新たな進展だったと言ってもいいだろう。

 彼女は今新聞記者をやっていて、アキの事件を追っているらしいのだけど。

 思いは僕らと同じらしく、あいつの自殺が納得できなくて、色々調べているのだという。

 僕らはとりあえずお互いの情報交換をすべく、近くの喫茶店に入ることにした。

「ほーんとびっくりした。イチ君は少し背が伸びたのかな?それ以外はあんまり変わってないよね」

 アイスティーのミルクをストローでかき混ぜながら言う夕紀ちゃんに、僕は首を傾げる。

「そう?」

「うん、相変わらず可愛いよね」

「……」

 満面の笑みで褒めてくれているのだろうけど、男としてはあんまし言われても嬉しくない。やっぱりカッコイイとか男前って言われた方が嬉しいんだよな。

「でもカオル君、痩せたねぇ。病気でもしちゃったの?」

 夕紀ちゃんの言葉にカオルはコケかける。

「な、なんやねん、それ!ちゃんと健康的なダイエットで痩せたんや」

「ええ?高校の時、何回もダイエットしては挫折してたのに」

「大学の時彼女に強制されたんや」

「あらいい彼女じゃない?大切にしないと」

「も、別れた」

「あ……そうなの。うん、でも今のカオル君なら次もあるよ」

 明るく言う彼女に、カオルは肩をすくめる。

「夕紀ちゃんは今彼氏いるの?」

「ううん。もう仕事、仕事ばっかりでさ。男どころじゃないよ」

僕は密かに横にいるカオルの脇腹を肘でつつく。

 何でやねん、関係ないやろ、と言わんばかりに向こうも脇腹をつつき返してきた。

「そういや夕紀ちゃん、高校の時より逞しくなったよね。川村につかみかかるなんて」

 僕の言葉に夕紀ちゃんはまいったなと、指で頬を掻く。

「大学の時テコンドーやってたから、あの頃よりはね、負けん気が強くなったかも」

「夕紀ちゃん格好良かったよ」

「ホント?」

「うん、それに相変わらず可愛いし」

「やだー!イチ君、それ口説いてるの?」

「だったら、どうする?」

 いたずらっぽく笑う僕に、夕紀ちゃんは照れているのか、手をぶんぶん横に振った。

「何言ってるのよー。イチ君は布結花のこと好きだったくせにぃ」

「そ、それは昔の話だよ。それに僕、振られちゃったしね」

 僕の言葉に夕紀ちゃんは苦笑する。

「そうだよね。あの時、布結花はアキ君のことが好きだったから」

「そういうお前も、好きやったんやろ?アキのこと」

 苦笑混じりに言うカオルに、夕紀ちゃんは頷く。

「うん。好きだった。だって、凄く格好良かったもん。アキ君。でも私も布結花も振られちゃったんだよねぇ」

「で、俺はお前に振られたし……なんや、全員報われてないやん」」

 しみじみというカオルに、僕と夕紀ちゃんは笑う。

 そう、今となったら笑える片思いの話だ。

「アキにも好きな奴がおったみたいやけどな。やっぱり片思いやったみたいやし」

「……」

 カオルの言葉に。

 僕は思わずジュースを飲んでいる動作を止めた。

 アキの好きな人。

 それは布結花ちゃんでもなく、夕紀ちゃんでもなかった。

 他にもアキのことを思っていた女の子たちもいたけど、その子たちでもない。

 特に、布結花ちゃんを振った時、僕はあいつのことを責めたこともあった。

 あんなに想っている子を振るなんて!

 自分が惚れていただけに、余計に腹が立ったのだ

 そんな僕に対し、あいつはとても悲しそうな顔をした。

『ごめん、どうしても好きな人がいるんだ』

『誰だよ、それ!?そんな話、僕には一度もしたことなかったじゃないか!?』

 僕は最初、布結花ちゃんを振ったことで怒っていたくせに、いつの間にか、なんで相談してくれなかったのか、その水くささの方に腹が立っていた。




『この思いは永遠に報われない……だから誰にも知られたくないんだ』




 とても辛そうなアキの言葉に。

 僕は何も言えなくなった。

 そして思い知らされたんだ。

 辛いのは布結花ちゃんだけじゃない。

 夕紀ちゃんだって辛いし、他の女の子だってきっと辛かった。

 それに布結花ちゃんに振られた僕だって辛かったし。

 何よりも、アキ自身が辛そうだったから。



「ねぇ、田賀崎先生って覚えてる?」

 夕紀ちゃんの言葉に、僕は過去の回想から我に返った。

「忘れるわけないやろ。美人やったなぁ……胸もでかかったし、それなのに身体がほそっこくてさぁ」

 鼻の下を伸ばしながら思い出すカオルに、夕紀ちゃんは呆れる。

「んもう!これだから男子は」

「でも本当に綺麗な先生だったよね。女優さんでもなかなかあんな人はいないよ」

 僕の言葉に夕紀ちゃんも頷く。

「そうなのよねー。優しかったし、女子も結構あこがれてる人多かったんだよ」

「へぇ、そうなん?女やったら、やっかみとか嫉妬とかしそうやけどな」

 カオルが言うと夕紀ちゃんは笑いながら。

「そりゃ、そういう子もいたにはいたけど、私は好きだったなぁ。年もそこまで離れてなかったし、お姉さんみたいな感じで色々相談に乗ってもらっていた」

「恋愛相談とかも?」

「うん。アキ君のことも相談してた。その時は先生、親身になってくれていたから、そんな風には思わなかったんだけどなぁ」

「ん?」

僕とカオルは同時に首を傾げた。

「私、卒業してからその噂聞いたんだけど、私らの在学中に、田賀崎先生、同じ教員の先生に求婚されたらしいんだけど断ったんだって」

「へぇ、でもあの先生ならなぁ」

「同じ教師に好かれても不思議じゃないね」

 僕とカオルはうなずきあう。

「その断った理由が、好きな人がいるからなんだけど、それがどうも生徒だったらしいの」

「ま……」

「まさか、それじゃあ」

「あくまで噂。その生徒がアキ君だったんじゃないかって。あの先生、アキ君が所属していた明王若葉クラブの顧問だったじゃない?」

 明王若葉クラブとは、我が校が独自でやっている福祉系のクラブだ。病院や施設の手伝いやイベントの手伝いなど、福祉系の活動を活発に行っている。アキはそこの部長だったんだよ なぁ。

「イベントの段取りとかで、結構二人きりでいることも多かったみたいだから……もしかして…… という噂があったみたい」

「あの田賀崎先生がアキのことをなぁ」

「……」

 不思議な話ではない。

 アキは何人もの女性を魅了しているのだから。

 先生が生徒のことを好きになったって、全然不思議じゃない。

「で、噂の真相を聞くべく、私はこれから田賀崎先生のトコへ行こうと思うんだけど」

「俺も行く」

 カオル、反応早!

 夕紀ちゃんは白い目でそんな彼を見る。

「なにそれぇ、不純な動機で着いてきてほしくないんだけど?」

「な、何いうとんねん!?俺はアキに関する情報は一つでも多く知りたいだけや。そら……久々 にあの巨乳様を拝みたくないといえば、嘘になるが」

 ───正直な奴。

 しかしそれじゃ夕紀ちゃんも納得しないだろうから、僕も夕紀ちゃんに言った。

「あいつの手がかりがどこで見つかるか分からないんだ。一人でも多くの人間の話を聞きたい」

「イチ君……」

「僕はあいつが自殺したなんて絶対違うと思っている。真相を突き止める為ならどこにでもいく」




 田賀崎先生は、JR I駅から徒歩二十分のマンションに住んでいた。

 結婚を機に、明王学園高校の教員を退職し、今は近所の塾で勉強を教えているのだという。

 マンションのドアの前、表札の名字はローマ字でINAMURAと書かれていた。

 今はイナムラ響子さん、ということになるんだろうなぁ。

 あらかじめ連絡をしておいたこともあって、彼女は快く僕らを迎えてくれた。

 相変わらず美人だ。

 もう、三十はいってるはずだよな?僕らよりも六つ上だった筈だから。

 でも、何だろう。

 年代的にはやっぱり僕らに近い……まだ二十代でも十分に通用するぐらいに若い。

 やや赤みがかったブラウンの長い髪は、ゆるやかなウエーブがかかっていて、花柄のワンピースに白のカーディガンがとても清楚で感じがいい。

 リビングに案内された僕たちは、ソファーに腰をかけた。

 彼女がお茶の用意をするのであろう、キッチンの方に行ったのを見計らい、カオルがにやにや笑って小声で言う。

『相変わらずボインやなぁ』

『どこ見てんだよ、お前は』

『お前気にならんのか?男としてどうよ、それ』

 そ、そりゃ気にならないといえば嘘になるけど……。

 向かいに座る夕紀ちゃんが咳払いをしたので、カオルはそれ以上言わなかった。

 僕はなんとなくほっとする。

 程なくして、紅茶とクッキーをお盆に載せた彼女が現れた。

「響子さん、すいません」

 という僕に、カオルも夕紀ちゃんもぎょっとした。

 ん?

 何か変なこと言ったかな、僕。

 きょとんとする僕に、カオルは何故か顔を真っ赤にして言った。

「な、なんやねん!?その響子さんって」

「え……だ、だって、もう学校の先生じゃないし、田賀崎という名字でもないし、響子さんって呼んだ方がいいかなぁって」

「そりゃそうかもしれんけど、俺らにとっては先生なわけやし!いきなり響子さんは慣れ慣れしいやろ?」

「え?何で??」

「お前はどこまでフレンドリーやねん?」

 そんな僕らのやりとりに、彼女はくすくすと笑う。

「いいわよ。響子さんで。そう呼んでもらえた方が嬉しいかも」

「ほら!」

「ほらやない!もっと相手の寛大さに感謝せんか」

 カオルが何を言いたいのかよく分からず、僕は口をとがらせた。

「ふふふ、相変わらずね」

 響子さんは僕らに紅茶を出しながら、おかしそうに笑っていた。

 本当に綺麗な人だよなぁ。

 もし布結花ちゃんがいなかったら、僕、この人のことが好きになっていたかもしれない。

「じゃあ、私も響子さんって呼ばせてもらいますね。早速なんですけど、実は」

「村瀬君のことでしょ?」

 響子さんの言葉に夕紀ちゃんは目を見張った。

「どうして?」

 不思議そうに首を傾げる夕紀ちゃんに、響子さんは隣のソファーに腰掛けながら言った。

「分かるわよ。私だって村瀬君の事件、新聞で読んでいたから。彼のことについて聞きに来たことくらい想像がつくわ」

「あの……響子さんから見て、教員になってからの村瀬君はどんな印象でした?」

 響子さんが学校を辞めたのは二年前なので、少しの間、教員になったアキとも関わっているはずだ。

「ええ、生徒にも慕われていて良い先生だったわよ。村瀬君と話していたら、女の子たちがヤキモチ妬くから、ちょっと距離は置いていたけど」

 苦笑する響子さんに、僕は「あれ?」っと思った。

 噂では、彼女は教員という立場でありながら、生徒に恋心を抱いていたという。

 その相手がアキじゃないか?

 そんな噂があった、とさっき夕紀ちゃんは言っていたけど。

 何となく、何となくだけど。

 この人からは、そんな想いが感じられなかった。

 アキの叔母さんにあたる女性も、同じような話をしてくれたけど。

 彼女の柔らかな笑みからは、本当にアキへの想いというものが感じられて。

「あ、あの学校を辞めてからは村瀬君とは連絡はとっていたのですか?」

「いいえ、とってないわよ。どうして?」

 首を傾げる響子さんに、夕紀ちゃんは少し言いにくそうに視線を右にやりながら言った。

「い、いえ……ちょっと噂で聞いたものですから」

「噂」

「先生には好きな生徒がおって、その生徒が村瀬だったんじゃないか?ちゅう噂や」

 実にストレート直球。

 変化球なしで、カオルは言った。

 響子さんはまぁ!と驚いたように手で口を押さえていたけれども、しばらくしてから、肩を震わせて笑い始めた。

「やだ、生徒の間でそんな噂がながれていたの?」

「ええ……まぁ……ほら、響子さんクラブで村瀬君と一緒にいることが多かったから」

 夕紀ちゃんの言葉に、響子さんは「参ったわね」と呟いて、苦笑混じりのため息をついた。

「村瀬君はただの生徒よ。確かに格好良かったけれども、恋愛感情まではいかなかったわね。それにあの時は、私、他の人が好きだったから」

「他の人ですか。まさか……生徒じゃないですよね?」

「いいえ、生徒よ」

 さらっと響子さんは答えた。

「ちなみに誰だったんですか?」

 すると彼女はイタズラっぽく笑って、少し考えるように天井を見上げた。

「どうしようかなぁ……もう時効だし、話してもいいかな」

「やった!」

 本来の目的を忘れて、はしゃぐ夕紀ちゃん。

 でも僕も気になったので、黙って聞く事にする。

アキじゃなかったら、一体誰が好きだったのか。

 カオルは興味がないのか、クッキーをばくばく食べていた。

 ふと、響子さんが僕の方をみた。

 え……?

 彼女の視線に、夕紀ちゃんも気付いて僕と響子さんを交互にみる。

 カオルはクッキーを口にくわえたまま、訝しげに彼女の方を見た。

「私が好きだったのはあなたよ」

 僕に向かって彼女が言った。

 嘘……。

 なんで?

「決して許されない恋だったから諦めたけど、市藤君。私、あなたのことが好きだったのよ」

  



 


 響子さんのマンションを後にして、僕等は再び母校へ向かうべくバスに乗った。

 僕は暫くの間、ぼうっとして言葉が出なかった。

 信じられない。

 響子さんが僕の事を好きだったなんて。

「全く不思議なことやないで?」

 カオルの言葉に、僕ははっと我に返った。

 夕紀ちゃんも不思議そうに首を傾げる。

「不思議じゃないって何が?」

「田賀崎先生がイチのこと好きだったって話や」

「ええー、私は正直信じられないんだけど。アキ君じゃなくて、イチ君だってことが」

 は……ハッキリいうね、夕紀ちゃん。

 相変わらず正直というか。

「夕紀は、見てなかったからなぁ」

「見てなかったって?」

「イチが出ていた舞台や。こいつ先輩の代役でロミオを演じたん覚えとるやろ?」

「う……うん。私、委員会で見に行けなかったんだよね。あ…………でも布結花言ってた!

イチ君の舞台が凄くカッコ良かったって」

「ほ、ホントに!?」

 僕は思わず声を上げる。

 だって、初恋の人が僕の舞台を見て、そんな風に思ってくれたなんて。

「何であんな格好いい人振っちゃったんだろう?っとも言ってたなぁ」

「ええ!?マジ」

 う、嬉しいかも。

 そりゃ、きっと布結花ちゃんは、冗談かなんかのノリで言ったんだろうけど。

「俺もアキもびっくりした……初めてイチが舞台へ出た時。格好良かったもんなぁ。そこにいるのがイチやって分かっているのに、ロミオが死んだ時はホンマ泣けてなぁ」

 思い出したのか目を潤ませるカオル。

そう言ってもらえると役者冥利に尽きるなぁ。

「特にアキは食い入るように、お前の事みとったんやで?」

「……」

 あの時の僕は、本当に一杯一杯ロミオを演じていた。

 うん、でも楽しかったんだよなぁ。

 みんなからも沢山拍手を貰って、勉強で褒められたことなんかなかったけど、この時だけは 先生に褒められて。

 あれが最初で最後の、学校での舞台だったんだよな。

 翌年の文化祭には、僕は交通事故でケガをしてしまい舞台には出られなかったから。

 バスはやがて学校前にたどり着き、僕らはそこで降りた。

 今一度学校へ戻ったのは、佐島の居場所、もしかしたら須藤なら知っているかも……と思ったからだ。

 またあいつに会うのは嫌なんだけどね。

学校へ向かう途中の道を歩いているとき、カオルがぽつりと言った。

「俺、お笑い目指してたけどな、お前の演技見てそれ断念したんだわ」

「え……」

「お前みたいな奴がぎょうさん芸能界にいるかと思うとな。俺はとてもやないけど、そこから突出した人間になることはできんと思って」

「でもお笑いと役者は全然違うじゃないか」

「ああ、最初は俺もそう言い聞かせていたけどな。だけど芸人かて一種の役者や。ドラマに出ている芸人もおるやろ?もしそんなシチュエーションになって……お前と渡り合えるのか?そう思うとなぁ。芸能界生き残るんは厳しいかもって思うようになったんや」

「……」

 カオルは天を仰いだ。

 太陽はもう西に傾いていて、茜色に染まった空がそこにはあった。

「知らなかった……カオル君がそんなふうに思っていたなんて」

 夕紀ちゃんは小さくため息をついた。

「お前、あの舞台出て以来モテモテやったやないか。結構女の子に声かけられたりしたやろ」

「そりゃ舞台を見てくれた女の子からは声かけられたけど……でも、男からも声かけられていたし」

 あの舞台見たよ、とか。

 すてきだったって言ってもらえたことはあったけど。

 それはあくまで舞台を褒めてくれているのであって。

 僕がモテていたわけじゃないと思うんだけど。

「お前、ホンマ自覚ないな」

「え……」

「俺やアキは、ずっとお前に嫉妬してたんやで?」

「……」

 そんな。

 それを言うなら、僕だってアキのことを嫉妬していた。

勉強も出来て、異性にももてて、スポーツだって万能だった。

 何より、あんなに布結花ちゃんに想われていたあいつのことが僕は───

「でもそれって分かるなぁ。私だって布結花に嫉妬しなかったって言えば嘘になるもん」

「夕紀ちゃん……」

「もちろんあの娘とはずっと友達だったけど、でもそれだけ近くにいるからこそ、自分に持っていないものを持っている彼女が羨ましかったりするんだよね」

「……」

 そっか。

 夕紀ちゃんの言うとおりかもしれない。

 アキが全然知らない奴だったら、僕はそこまで嫉妬しなかったかもしれない。

「アキが躍起になってイチが役者になるの止めたん、お前の事が心配やったというのも本心やろけど、何よりも、自分の手の届かない所に行ってしまうのが耐えられんかったんやと俺は思うとる。あいつ……ホンマにお前のことが好きやったしな」

「……」

 僕は思い出す。

 アキと大げんかした時のことを。



 あの日、外は雨だった。

 僕は教室の中、一人教科書やノートをそろえて鞄の中に入れていた。

 大概は置き勉をしているけど、今日はもう全部持って帰らなきゃならない。

 今日でこの学校ともお別れだからね。

 先ほど担任に自主退学の届けを出した。

「思い直せ」、と止められたけど、僕は一刻も早く自分が決めた道を歩きたかったから。

 全ての学用品を詰め込み、鞄を閉めた時だった。

 アキが教室に入ってきたのは。

 見たこともない形相だった。

「お前……学校辞めたって、本当か!?」

「うん、さっき退学届けを出してきた」

「何馬鹿なことをしてんだ!?あと半年……あと半年待てば卒業できるだろ!?」

「半年も待てない」

 僕がそう言うと、そいつは大股でこちらに歩み寄り胸倉を掴んできた。

「役者になろうなんて馬鹿なこと考えるなよ!!あんな食えもしない職業についたら、泣くのはお前の方なんだぞ!?」

「泣かないよ、僕が決めた道だからね。君にも泣き言は言わないから安心してくれよ」

「馬鹿野郎!!」

 泣き声混じりで怒鳴られて、それで殴り飛ばされた。

 胸倉は捕まれたままだ。

 予測はしていたことだけど、やっぱり痛いや。

 僕は頬を押さえて、アキを睨んだ。

「酷いな、役者は顔が命なのに」

 するとアキは目を剥いて、僕の後頭部を教室の壁に叩きつけた。

 そして俳優みたいな綺麗な顔をのぞき込み、囁くような声で言う。

「いっそのこと、その顔無茶苦茶にしてやろうか?誰もお前なんか振り向かないぐらいに、無茶苦茶に」

「な……何だよ、お前、前は僕のこと応援してくれていたじゃないか!?」

「あれは文化祭や部活動だったから良かったんだよ!演技で飯が食えるんなら、俺だって止めやしねーよ!!」

「…………」

 確かにその通りだ。

 役者になって、食べられるようになる人間はごく一握り。

アキの言うことはいちいち正しかった。

「役者なんて辞めろよ。ちゃんと進学して、就職して……それに会社だって跡継ぎがいるじゃないか」

「会社?ああ……あいつがやってる会社ね」

「自分の父親をあいつ呼ばわりか!?」

 アキは拳を握りしめた。

「お前はちゃんと父親がいるんだぞ……俺なんか父親はいるようでいないものだ。認知してるとはいえ、結局はいないと同じだ」

「あいつで結構だよ。あいつは俺を名前で呼んだことなんかないんだよ?“これ”とか“おい”と か、“おまえ”とか。君はどうなの?ちゃんと名前で呼んでもらえた?」

嫌みなことを言っているのは、僕自身分かっていた。

 アキが辛そうに目を伏せる。

「ああ、ごめん。愚問だったね。ま、僕はどっちにしても会社を継ぐことはないよ。継母が弟に会社を継がせるよう、ありとあらゆる根回しをしているしね。それと対抗してまで会社を継ぎたいなんて思わないし」

「……」

「知らなかった……みたいな顔してるね。ま、僕も話さなかったしね。君は僕のこと、金持ちのお坊ちゃまにしか思っていなかったみたいだけど、お坊ちゃまも実は苦労してんだよ。やな親父にもいい顔しなきゃいけないし、僕を憎んでいる継母にも愛想よくしとかなきゃいけないしね」

 僕の父親は会社社長で、僕自身は何不自由なく育っていた。

 しかし、家族はいるようでいない。

 血のつながった父親は継母を溺愛し、その子供も可愛がっていた。

 継母が僕を疎んじる分、父親もそれに吊られて僕を寄せ付けなくなった。

 それだけ継母が可愛かったのだ。

 だから中学生の時、僕はあちこちで喧嘩したり、学校をサボっては、バイクを乗り回したり、 繁華街をふらふらしたり。

 凄く荒れていた時期もあったんだ。

「だからあの会社を継がなきゃいけない理由はないし、俺は早々と家を出た方がいいわけ。でも、家から逃げたいから役者になりたいわけじゃない。役者になりたいから家を出るんだ。た だそれだけさ。俺はどんなに貧しくても役者として生きていけたら本望だと思っている」

「……お前みたいな世間知らずが、夢だけで生きていけるのかよ」

「生きていけなくてもいいさ。役者をやって死ねたら本望」

「馬鹿野郎!」

「どうせ馬鹿だよ!だけど、どんなに止めても無駄だからね。僕は絶対役者になる」

「勝手にしろ!どうなっても絶対助けないからな!!」

「君にだけは絶対助けなんか求めるもんか!!」

 僕は重ねたノートを乱暴に鞄に詰め、机を蹴飛ばしてから教室を出て行った。

 


 そう、雨の日だった。

 僕はその日、傘も差さずに、学校を後にしたのだ。




 それがアキとの最後の会話となった。



「会いたいなぁ」

 僕は歩んでいた足を止めてから呟いた。

「イチ……」

カオルが目を瞠った。

「アキに会いたいよ……」

 涙がひとりでにぽろぽろと零れていた。

 もう、あいつには会えない。

 謝ることもできないんだ。

 そう思うと、僕は悔しくて、悲しくて涙が止まらなくなった。

 今まで、事件の真相を突き止めてやろうと意気込んでいたのは。

 アキを失った喪失感を忘れる為。

 自分を奮い立たせる為に、僕は───

 カオルが僕の肩に手を置いた。

 何も言わずに。

 夕紀ちゃんも何も言わなかった。

 僕は声を上げて、ひとしきり泣き続けた。




 母校の校門前にたどり着いた時、カオルの携帯電話が鳴った。

「もしもし……あ、横田か。どないしたん?……え!?」

 驚愕に目を瞠るカオルに、僕と夕紀ちゃんは顔を見合わせた。

「それホンマか?ホンマにあいつなん?……ああ、分かった。とりあえず俺が確認してみるわ」

 そう言ってカオルは電話を切った。

 顔が真っ青になっていた。

「どうしたの?」

 尋ねる夕紀ちゃんと、僕を交互に見てからカオルは言った。

「学校戻るのは中止や」

「え!?」

 夕紀ちゃんは頓狂な声を上げる。

「ど、どうして!?」

 あまりのことに、僕らは何が何だか分からない。

 しかしその理由はすぐにカオルの口から告げられた。


「…………佐島が殺された」


 思いもよらない展開に、僕と夕紀ちゃんはただ、ただ呆然とするしかなかった。






  







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