第一話 本日をもって、この国から追放いたします
「ソマ殿。あなたが本陣で出された物のせいで、民がたくさん死にました。その責めを負い、本日をもって、あなたをこの国から追放いたします」
広間に響いたその声が、自分に向けられたものだと分かるまで、少し時間がかかった。
「……え」
「お聞きになっておいでですか。本日をもって、あなたをこの国から追放いたします」
年のいった役人は、手元の書類から目も上げずに、同じことをもう一度言った。
「ま、待ってください。僕、そんな話は何も聞いてません」
「聞いておられなくとも、もう決まったことでございます。日のあるうちに、王都から出ていっていただきます」
追放。
頭の中で、その二文字だけがぐるぐる回った。言葉の意味は分かるのに、それが自分の身に起きていることだとは、どうしても思えなかった。
広間には十数人の偉い人たちが立っていて、誰も口をきかなかった。みんな、僕が次に何を言うのかを黙って待っていた。
僕、相馬剛は、日本の会社員だった。この国に呼ばれたのは、二十七歳のときだ。ここでは、僕は「ソマ」と呼ばれている。
二年前、会社から帰る途中で急に目の前が白くなって、気がついたらこの広間に立っていた。この国の人たちが、魔法で僕を呼び出したのだ。
異世界だ、と思った。正直に言うと、嬉しかった。
漫画でも小説でも、異世界に呼ばれた人には、必ずすごい力が備わっている。だから僕にも、きっと何かあるはずだと思って、広間の真ん中で胸を張っていた。
最初の三日は、本当に夢のような暮らしだった。広い部屋をもらって、見たこともないご馳走が毎日出てきて、会う人みんなが僕に頭を下げて「救いの方」と呼んだ。
四日目に力を見せてくれと言われた。
何も無かった。
剣を持っても振れない。魔法も出ない。少し歩いただけですぐに息が切れる。
会社の健康診断で「運動不足」と書かれた体は、異世界に来ても、ちゃんと運動不足のままだった。
「役に立たない者は、要らない」
広間の偉い人の一人がそう言った。顎の白い髭を、胸まで垂らした男だった。
その日のうちに広い部屋を追い出されて、僕は戦の本陣へ送られた。この国はそのころ隣の国と戦争をしていて、しかも負けかけていたのだ。本陣なら何かの役に立つかもしれないし、死んでも誰も困らない。そういう理由だった。
本陣へは、幌をかけた荷車に、荷と一緒に積まれて運ばれた。戦が終わって王都へ戻るときも、幌の中だった。だから、どこをどう通ったのか、僕は知らない。
本陣でも役立たずだと言われて、一度は本当に斬り殺されかけた。剣が首の横まで来たときに止めてくれたのが、戦掛のベズナさんだった。戦のことを取りしきっている、この国でもかなり偉い人だ。
役に立たなければ、殺される。それだけははっきり分かった。
だから僕は必死に思い出した。
子どものころ、学校の図書室で、戦争の道具の本を眺めたことがある。写真ばかりの本で、説明のページは一行も読んでいない。覚えていたのは、写真と、その下に書いてあった短い一文くらいだった。
「踏んだら爆発するやつが、あった気がします」
作れるのか、と聞かれた。
「たぶん、できると思います」
筒から玉を飛ばすやつもあった気がする、とも言った。それにも「たぶん」と付け足した。
作り方なんて知らなかったし、一度も言っていない。僕が言ったのは、うろ覚えの話と、「たぶん」だけだ。
それなのに次の朝には、この国の職人たちが、それらしい物をもう作り上げていた。
埋めるほうは伏せ火、筒のほうは火筒と呼ばれた。伏せ火は、隣の国の兵が攻め上がってくる峠の向こうの細い道に、何十と埋められた。峠道にも、峠のこちら側の道にも、抜けてくる兵に備えて埋められた。
隣の国の兵の列は、伏せ火を埋めた道で止まった。止まった兵を、火筒を持たされたこの国の兵が、遠くから撃った。本陣には毎日のように勝った報せが届いて、偉い人たちはそのたびに僕の肩を叩いて、また次のことを聞いた。
僕が本陣に着いてから、二か月あまり。道で止められているうちに冬が来て、峠が雪で閉じる前に、隣の国は兵を退いた。その冬、戦争は終わった。負けかけていたこの国が勝ったのだ。
僕は英雄と呼ばれるようになった。
でも、勝った手柄の話になると、名前が出てくるのはいつも国の偉い人たちばかりだった。僕がもらったのは、王都の端の狭い館と、世話をしてくれる人、たった一人だけだった。
それでも、僕はそれでよかった。もう殺されずに済むし、温かいご飯も出るし、みんなが「英雄様」と呼んでくれる。
会社では、誰にも名前を覚えてもらえなかったのに。
この広間に入るたびに、ここにいる全員が立ち上がって迎えてくれた。今日も、僕が入ってきたときは、ベズナさんのほかは、みんなそうしてくれた。
その英雄様の暮らしが、今日で全部終わる。
役人の斜め後ろには、ベズナさんが座っていた。この広間で座っているのは、戦掛のベズナさんだけだった。この広間で、名前まで知っているのも、あの人だけだった。
役人が別の書類を開いた。
「本陣であなたがお答えになったことは、すべてここに書き留めてございます。その中から、一つ読み上げます」
「問い。鳴る火のかすを水に流せば、水も魔物よけになるか。答え。『水にも、たぶん』」
鳴る火というのは、この国にもとからある、大きな音を立てて燃える火のことだ。魔物を追い払うために焚く。
読み上げたあと、広間の誰も、何も言わなかった。
僕は、その答えをいつ言ったのか、すぐには思い出せなかった。
でもそう言われてみると、本陣で水のことを聞かれたとき、たしかにそう答えた気がしてくる。
ただ、そのとき僕は、すぐに「たぶん」と答えたわけじゃなかった。最初に、「危ない」と言ったはずなのだ。
読まれたのは、問いと、最後の答えだけだった。そのあいだに僕が言った言葉は、読まれなかった。
僕は一度だけ言い返した。
「あの、僕、そのとき、最初に『危ない』って言ったんですけど」
役人の横に、白い衣の神官が立っていた。この国で、言葉が正しいかどうかを決める役目の人だ。その神官がゆっくりとこちらを見た。
「書き留めたものの中に、そのような言葉はございません」
「英雄の名を、お返しなされ。あなたは、もう英雄ではない」
言い終わると、神官は目を閉じてしまった。
言ったのに。
危ないってちゃんと言ったのに。この国では、書き留められていなければ、言わなかったことになるらしい。
足の裏が床に貼りついたみたいに、動かなかった。ここで何を言い足しても、言い訳にしか聞こえないのは分かっていた。
僕はベズナさんのほうを見た。五歩くらいしか離れていないから、声を出せば届く距離だった。
助けてください。
そう言いたかった。本陣で一度、僕の命を助けてくれた人なのだ。
でもベズナさんは、膝の上の書類を開こうともしなかったし、僕のほうを見ようともしなかった。
役人が書類の次の行へ指を移した。
「では、三つお尋ねします。伏せ火は、どうやって取り除きますか。変わり水は、いつ元の水に戻りますか」
伏せ火というのは、道に埋めておいて、踏んだ人を殺すもののことだ。変わり水というのは、飲み続けると体が少しずつ弱っていく水のことだ。
どっちも、本陣で僕が「たぶん」と言ったところから、この国が作り出したものだった。
戦争が終わった今も、伏せ火は道のあちこちに埋まったままになっている。変わり水は、戦争が終わってから川に流されるようになって、今も流れ続けている。そのせいで、この国の人がたくさん死んでいる。
口の中がからからに乾いて、舌がうまく動かなかった。
「その、えっと……伏せ火は、まず、どこに埋まっているかが分からないと」
役人は僕の答えを待っていた。筆を持つ手も、ぴくりとも動かさなかった。
でも、答えは出なかった。役人は、しばらく待ってから、先へ進んだ。
「三つ目です。火筒は、どうやって集めますか」
火筒は、離れたところから撃つための筒だ。戦争のときは敵の兵を撃つのに使われて、戦争のあとは魔物よけとして国じゅうに売られた。今では、また人を撃つのにも使われている。
二年前にこの国へ来てから、僕は聞かれたことに、ずっと頷いてきた。頷かなければ殺されると思っていたからだ。
伏せ火も、変わり水も、火筒も、止め方なんて最初から知らない。知っていたことなんて一度もない。
「……分かりません」
自分の声なのに、自分でもよく聞こえなかった。
「どれも、あなたが出されたものです。出した方が止め方をご存じないのでは、こちらが困るのです」
役人はまた別の紙を取り出した。
「追放の中身を申し渡します」
「一つ。王都の門の内側へ、二度と入らぬこと」
「一つ。どこにおいても、名を名乗らぬこと」
「一つ。これを破りましたときは、縛り首にいたします」
縛り首。
指先が震えはじめた。手のひらを開いたり閉じたりしてみたけれど、震えはかえってひどくなった。
「なぜ追放なのか、申し上げておきます」
役人は、読み上げるときとまったく同じ声で続けた。
「伏せ火と変わり水のせいで、民がたくさん死んでおります。民の怒りが、あれほど大きくなりましては、もう抑えきれぬのです。誰かが、その責めを負わねばなりません
「あなたに出ていっていただければ、民の怒りは英雄に向きます。国には向きません。それで、民は収まります」
つまり、全部を僕一人のせいにして、国は知らん顔をするつもりなのだ。
伏せ火を道に埋めると決めたのも、変わり水を川に流すと決めたのも、僕じゃない。そういうことを決める場に、僕は一度も呼ばれていない。
でも、それをここで言ったところで、誰も聞いてくれないことは分かっていた。
「外の者たちは、今、誰かを責めたがっております。英雄だと名乗らぬほうが、あなたの身のためです」
「……はい」
僕に言えたのはそれだけだった。
役人の後ろにいた恰幅のいい男が、隣の人に話しかけるのが聞こえた。わざと僕に聞こえるように、大きな声で言っていた。
「うろ覚えの男に、国を預けていたとはな。まあ、火筒の商いは、これからまるごとこちらでいただきますよ。英雄様の名前をつけて売れば、いくらでも売れますからな」
男は僕の顔を見ながら笑っていた。
「これにて、申し渡しは済みましてございます」
役人が筆を置いた。
その音を合図にしたように、広間の人たちが一斉に座りはじめた。僕が入ってきたときに立ち上がってくれた人たちが、同じ速さで座っていく。
もう誰も僕のほうを見なかった。ベズナさんも、膝の上の書類に手を置いたまま、最後まで僕を見なかった。
神官が目を開けた。
「お下がりなされ。そこは、もうあなたの立つ場所ではない」
僕は広間の出口へ歩き出した。
誰かが咳をして話し声が戻ってきた。もう、僕の話をしている人はいなかった。
*
広間を出ると、兵が二人ついてきた。館にも寄らせてもらえないまま、僕は城門の外まで連れていかれた。
「……今夜、どこで寝ればいいんだ」
声に出してから、まわりを見回した。そこは王都ヴァハドラの城門の、外側だった。
手には何も持っていない。お金も一粒も無い。持っているのは、着ている服と、履いている靴だけだ。
この世界に頼れる人は一人もいないし、元の世界への帰り方も、誰も教えてくれなかった。
怖い。
膝ががくがく震えて、立っているのがやっとだった。
城門は開いていて、人が出たり入ったりしている。でも僕はもう、あの門の内側には二度と入れない。入ったら、縛り首だ。
門の外の石垣に沿って、十人以上の人が、荷物を枕にして寝ていた。伏せ火や変わり水のせいで、住んでいた村にいられなくなって、家から持てるだけの物を持って逃げてきた人たちらしい。門番が誰かに、そう話しているのが聞こえた。
空っぽの桶の陰で、子どもが一人、丸くなって眠っていた。はだしの足の裏が、真っ黒に汚れていた。
民は収まります、と役人は言った。
でも、僕がいなくなっても、この子の桶に水が入るわけじゃない。
それに、変わり水は、今も川を流れ続けている。
川の水は上から下へ流れる。この王都は、その川のいちばん下にある。広間の人たちが毎日飲んでいる水も、元をたどれば、あの川から来ているはずだ。
あの人たちは、そのことに気づいているんだろうか。
二年前、この国に来て最初に教えられたことがある。
この世界には魔物がいて、人は壁の内側でしか安心して暮らせない。その壁の内側の土地が足りないから、国と国が殺し合うのだ、と。
僕は今、その壁の外にいる。
死にたくない。
広間を出てから、そればかりが頭に浮かんでくる。お腹が空いた。喉が渇いた。夜になったら、魔物が出るかもしれない。
死にたくない。
門のわきで、男が魔物よけのお札を売っていた。
男は首から板を下げていて、その板には同じ絵のお札が何枚も留めてあった。足元の籠には、まだ切り分けていないお札の束が、山のように積んであった。
「英雄様が、これなら魔物にも効くと請け合ってくだすったんですぜ」
男は、通りかかる人みんなに同じことを言っていた。言い方も、区切るところも、毎回まったく同じだった。
どんな絵が描いてあるのか気になって、僕は近づいた。
その線に見おぼえがあった。
——僕の、線だ。
本陣で聞かれて、覚えていた写真の形だけを思い出して、僕が描いた絵だった。伏せ火の絵だ。道に埋めて、踏んだ人を殺す道具の絵だ。戦争に勝ったあと、国はその絵を、英雄様が自分の手で描いた線だからといって、一本も直さずに勝った印にして、旗に染めた。そう聞いてはいた。
その絵が、魔物よけのお札として売られていた。
下手な絵だった。釣り合いが取れていなくて、右へ倒れている。写した人は、その倒れ方までそっくりそのまま写していた。
この線が本当は何なのか、誰も知らないのだ。これは魔物よけなんかじゃない。魔物に効くわけがない。
客の一人が売り手の男に聞いていた。
「峠のほうで、また魔物が出たって聞いたんですけど」
「出ますとも。だから、これをお持ちなせえ。英雄様が請け合ってくだすったんですぜ」
「あの、それ……」
気づいたら、声が出ていた。
「その絵、たぶん、そういうものじゃなくて」
「たぶん、ですかい」
男は鼻で笑って、それから次の客に声をかけた。
僕の喉はそこで止まってしまった。
これ以上言えば、なぜそんなことを知っているのかと聞かれる。答えれば、名乗るのと同じだ。名乗ったら、縛り首だ。
客が一人、お札を受け取って懐にしまった。
「これから峠へ行くところでして。助かります」
そう言って、その人は背中を向けて歩いていった。
あのお札は魔物には効かない。あの人は、効かないお札を持って、魔物の出る峠へ行くのだ。
止めなきゃ、と思った。でも、足も声も出なかった。
その背中は、人ごみの中に入って、すぐに見えなくなった。
お札は一枚三粒で、僕が見ているあいだに、三枚売れた。
僕が言ったのは、うろ覚えの話と、「たぶん」だけだ。作り方なんて一度も言っていない。
なのに、その「たぶん」が、今もこの国のあちこちで人を殺している。
このときの僕はまだ知らなかった。
僕が「たぶん」で作らせたものが、これから、この僕自身を殺しにくることを。
そして、僕に全部を押しつけた広間の人たちが、この先、一人ずつ裁かれていくことも。
※英雄の名の返上につきまして、書き留めたものの控えは、返上なされた方にはお渡ししておりません。




