1-1 斎宮家の朝は、影が整う
目標、1日1投稿…!!
斎宮家の朝は、基本的に静かだ。
音がないわけではないのに、
賑やかしい感じも、気忙しい感じもない。
木の床を踏む足音も、茶を淹れる湯気の立つ音も、
すべてが一定の呼吸の中に収まっている感じ。
その静けさの中で育った私は、
朝になると自然に「影」が整う。
影──
たぶん心の輪郭のようなものを、
斎宮家ではそう呼んでいる。
心が乱れると影は揺らぐ。
呼吸の乱れで影が濁る。
誰にでもわかるものではないらしいけれど、
この家の人間は、影の”揺れや濁り”を感じることができる。
って、お父さんとお母さんが言っていた。
年の離れた妹と弟も、
学校の同級生の影が揺れてて気持ち悪い
なんて、昨日の夕食の時話していた。
私は、幼い頃から
影が揺れない子だったらしい。
泣かない。怒らない。声を荒げない。口数も少ない。
母はよく言った。
「イヴは影が整っているわね。今日も大丈夫」
その言葉は褒め言葉であり、
同時に“役割の確認”でもあった。
朝の神楽の練習で、母は私の姿勢を見て言う。
「影が少しだけ細い。呼吸を整えて」
影が細いとは、緊張しているという意味だ。
お稽古事なら
「肩に力が入っている」とか
「深呼吸しなさい」と
言われるのかもしれない。
お母さんはいつも“影”で表現する。
私は、その“影”を使った言い方が少し苦手だ。
当時は
「どうして苦手なのかわからない、
けど何だか苦手」なことも
「モヤモヤしていたのだ」と
今なら思うのだけど、
でも、
そういうモヤっとしたすべてが
まるで存在しないように
理解できてしまう自分もいた。
斎宮家はそういう家だった。
斎宮家の朝は、影が整う。
整えられるのではなく、整ってしまう。
そういう空気が家の中に満ちている。
そういう家で、
私は、影が揺れないまま育った。
…えーっと…
こういう表現の方が伝わりやすいのかな。
「私は、色々考えてモヤモヤしないように育った」。
そうならないように育てられた、
と言ったほうが正しいのかもしれない。
影が揺れないと、声も揺れない。
呼吸も揺れない。
心も揺れない。
それは“強さ”ではなく、ただの“役割”。
でも──
その「モヤモヤしない」は、
私を息苦しくさせることになる。
そのことを、当時の私はまだ知らなかった。
ただ、斎宮家の朝の静けさの中で、
影を整えながら、役割を生きていた。
私がいろんな違和感を覚え始めるのは中学の頃なんだけど、
大きな転機が訪れたのは、高校2年の進路相談の時だ。
お読みくださりありがとうございます!




