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011話 「魔法を学びたい」

あの凄惨な生誕パーティーでの襲撃事件から、ひと月が経過した。


ウィリアス公爵邸は、表向きにはすっかり元の平穏な空気を保っている。


朝の柔らかな日差しが差し込む自室で、俺は大きなあくびを噛み殺しながら、鮮やかなエメラルドグリーン色の髪が特徴である、専属メイドのエメリアに髪を梳かされていた。


「ルシア様、本日はこちらの水色のドレスになさいますか? それとも、少し可愛らしいピンクのフリルがあしらわれたものを……」


「水色でお願い。フリルは極力少ないやつで。」


中身が二十二歳の男子大学生である俺にとって、過剰な装飾のドレスは未だに慣れない。できることなら一日中ゆったりとした部屋着でゴロゴロしていたいが、公爵令嬢という立場がそれを許さなかった。


「かしこまりました……ふふっ、ルシア様は本当に水色がお似合いになりますね。まるで澄んだ秋空のようです。」


エメリアは嬉しそうに微笑みながら、手際よく着付けを行っていく。


何気ない朝の風景。温かい紅茶の香りが部屋に漂い、窓の外からは庭師が植え込みを手入れする微かな音が聞こえてくる。


だが、変わったこともある。


部屋の扉の向こう、そして窓のすぐ外で気配を消した精鋭の警備兵たちが配置されているのだ。


振り返れば、部屋の隅にはいつものように、凛とした立ち姿のレイが控えていた。


彼女の腰にはあの時から常に長剣が提げられており、その視線は僅かな異変も見逃さないよう、絶えず周囲に気を配っているに見えた。


「レイ、そんなに気を張ってると疲れるよ? お茶でも飲む?」


「お気遣いありがとうございます、ルシア様。ですが、これが私の仕事ですので」


レイは真面目くさった顔で一礼する。


その生真面目さに苦笑しつつ、俺は淹れたての紅茶に口をつけた。


喉を通る温かい液体が、胸の奥底にこびりついた冷たい記憶を少しだけ溶かしてくれる気がした。


――あの日。


血の匂い、轟音、そして大剣が空気を裂く狂気的な圧力。


転生してからというもの、俺はどこかでこの世界をよくできたVRゲームや、ライトノベルのように捉えていたのだと思う。


魔法があり、貴族がいて、俺は少し多めの魔力量を持っている。そんなテンプレ通りの世界だと、無意識に舐め腐っていた。


だからのんびりスローライフなんて、適当に生きていれば手に入るものだと高を括っていたのだ。


だが、現実は違った。

目の前で警備兵たちが次々と吹き飛ばされ、レイが血を流し、お兄様が全力で戦う姿を目の当たりにした。


あの時、俺はただ立ち尽くすことしかできなかった。膨大な魔力を持っていても、それを扱う術を知らなければ、ただの的でしかない。


彼らはNPCでもキャラクターでもない。血の通った、俺の身近な人間たちだ。彼らが傷つくのは痛いし、死んでしまえば二度と戻らない。


ここは現実なのだ。


「ルシアお嬢様、失礼いたします。」


ノックの音とともに、執事のファイが銀のトレイを持って部屋に入ってきた。


「ファイさん、おはよう。何か届いた?」


「はい。ロンド侯爵家のシルヴィアお嬢様より、お茶会への招待状が届いております。本日の午後、もし時間がよろしければ、侯爵邸の庭園にていかがかと。」


シルヴィア・ロンド。同い年の十歳でありながら、社交界でも一目置かれる利発な令嬢だ。


何より彼女は、魔法の天才児として名を馳せている。俺のように、魔法の才をあまり持たない人間からすれば、喉から手が出るほど羨ましい才能の持ち主だった。


「いきなりだね……分かった。準備をお願いしていい?」


「かしこまりました。直ちに馬車と、護衛の準備を手配させます。」


ファイ一礼して下がる。


事件以降、外出は厳しく制限されていたが、同じ上位貴族の厳重な屋敷同士の行き来であれば、ある程度は大丈夫だろう。


何より、あの日の記憶から立ち直らせるために、周囲も俺に普通の十歳の令嬢らしい時間を与えようと気を遣ってくれているのがわかった。



午後。


ロンド侯爵邸の美しい中庭に設けられた白いガゼボで、俺はシルヴィアと向かい合っていた。


テーブルには色とりどりのマカロンや、季節のフルーツを使ったタルトが並べられ、甘い香りが漂っている。


「いきなり呼んでしまってごめんなさい、久しぶりね、ルシア。でも元気そうで安心しましたわ。先月の事件のお話を聞いた時は、わたくし、本当に心臓が止まるかと思いましたのよ。」


縦ロールに巻かれた金髪を揺らしながら、シルヴィアが大きな青い瞳を潤ませる。十歳とは思えない大人びた口調だが、その手は不安げにティーカップの縁をなぞっていた。


「心配かけてごめんね、シルヴィア。でも、この通り怪我一つないから安心して?」


「本当に……ご無事で何よりですわ。王都の騎士団も総動員で犯人を捜しているそうですけれど、ウィリアス公爵邸の警備を破るなんて、一体どんな恐ろしい連中なのかしら。」


シルヴィアは身を震わせると、少し冷めてしまった紅茶の入ったティーポットにそっと右手をかざした。

彼女の白い指先から、ほんのりと魔力が立ち昇る。


「――万物に宿る微睡みの熱よ、我が魔力を糧に熱を纏え。【昇温(ヒート・グロウ)】」


小さな詠唱とともに、ポットの周囲に薄い光の膜が張り、あっという間に紅茶が温め直された。日常の些細な魔法。


「すごいね、シルヴィア。相変わらず魔法のコントロールが上手」


「ふふっ、これくらいは基礎中の基礎ですわ。ルシアこそ膨大な魔力をお持ちだというのに、まだ魔法を教えてくださらないの?」


「うん。うちの家系は、基本的に剣術こそ至高だからね……」


「もったいないですわ。ルシアほどの魔力があれば、素晴らしい魔術師になれますのに」


「……そうかもね。」


温かい紅茶を飲み込みながら、カップを置くと、俺は膝の上で両手を強く握りしめた。


あの事件の時、俺は無意識に魔力を放出して巨大な障壁を張った。だが、それはあくまで咄嗟にしたことによる反射的な行動に近い。


魔術として制御されたものではなく、ただ力任せに魔力を垂れ流しただけだ。だからこそ重度の魔力酔いを起こして倒れた。


正直俺は貴族の嗜みとして学んだ程度の魔法だけで十分だと思った。


もし、シルヴィアのように魔力を精密に制御する力があれば。あの日、もっと上手く出来たかもしれない。誰も傷つけずに、あの危機を切り抜けられたかもしれない。


――理不尽な暴力から身を守るための、力……か。


俺は決意を固めた。


お茶会から帰ったら、お父様に直談判しよう。


もう二度と、大切な人たちが血を流すのをただ見ているだけの惨めな思いはしたくない。



屋敷に帰還した俺は、ドレスのまま一直線にお父様の執務室へと向かった。


扉の前に立つと、さすがに緊張で心臓の鼓動が早く鳴り始める。深呼吸を一つして、ノックをした。


「……入れ」


扉の向こうから、低く威厳のある声が響いた。


すこし重い扉を押し開けると、壁一面の本に囲まれた執務室の奥で、お父様が書類から顔を上げる。


その鋭い眼光が、俺を静かに見た。


「どうした、ルシア。外出から戻って早々、珍しいな。少しは気晴らしになったか?」


「はい、お父様。……今日は、お父様にお願いがあって参りました。」


俺は背筋を伸ばし、お父様の目をまっすぐ見据えた。


「お父様、私は先月の襲撃事件にて、ただ何もできず、護衛の方たちが戦っているのを見る事しか出来ませんでした」


「……それで、どうしたルシア。無意味な外出は例え護衛を増やしたとしても禁止だ。」


釘を刺され、俺は心の中で『げっ』と声を漏らす。


お父様の執務室に響くのは、壁掛けた時計の秒針が時を刻む音だけだった。張り詰めた空気が、十歳の身体には重くのしかかる。でも、今回は別の用事だ。


「今回は違うのです、お父様。私に、魔法の家庭教師を付けていただきたいのです。」


俺がそう言うと、予想外の事だったのか、お父様の鋭い眼光がわずかに細められた。

ゴクリと唾を飲み込む。


男や、代々宮廷魔術師を輩出するような家の者ならまだわかる。


だが、ウィリアス公爵家は代々王家に仕える武門の筆頭だ。


武力と剣技で国を護ってきた一族において、令嬢が魔法を本格的に学びたいと言い出すのは前代未聞に近い。アーリウスお兄様が魔法を使い剣を握っていることでも、異例と言っていいのだ。


長い沈黙が落ちる。


お父様は机に両肘を立て、その上に顎を乗せて品定めをするかのように俺をじっと見つめていた。


俺は視線を逸らさなかった。


やがて、お父様がゆっくりと口を開く。


「可愛い愛娘のことだ。ルシア、好きなことをしなさい。家庭教師の魔術師については、すこし心当たりがある。まあ、少しくせがあるがな。」


「……っ! 本当ですか、お父様! ありがとうございますっ!」


張り詰めていた糸が切れ、思わず年相応の笑みが溢れる。

お父様は微かに口角を上げると、再び書類へと視線を落とした。


「ただし、半端な覚悟ならすぐに辞めさせる。ウィリアスの名に泥を塗るような真似は許さんぞ。」


「はいっ! 肝に銘じます。」


先月の襲撃事件で、俺は再認識した。


この世界の理を。


強者こそが世界の頂点に立つ。理不尽な暴力の前では、権力も財力も、ただの紙切れに等しい。


あの後、俺はベッドの中でずっと考えていた。

転生当初の目標は何だったか。


それはもう、理不尽な後悔はしないように――全力で、のんびり気ままに生きる事だ。


今までの俺は舐め腐っていたのだ。


スローライフとは、誰かに与えられるものではない。自分の力で守り抜き、勝ち取るものだったのだ。

だから、俺は魔法を学びたい。


自分の大切な居場所を、平和な日常を、誰にも脅かされないだけの圧倒的な力を手に入れるために。


「失礼いたします、お父様」


そう言って深く頭を下げると、俺は執務室を出た。

扉が閉まると同時に、大きく息を吐き出す。背中は冷や汗で少し濡れていた。


すると、扉の脇で待機していたレイが、不思議そうに首を傾げて口を開く。


「公爵様と何を話してたんですか、ルシア様? 少しうれしそうですが。」


「近いうちにわかるよ……ふふっ、ちょっと楽しみになってきたかもね。」


俺がイタズラっぽく笑うと、レイはますます戸惑ったような表情を浮かべた。


「わかりました……ですが、あまりご無理はなさらないでくださいね。」


「うん、わかってる。レイ、いつもありがとう。」


「どうしたんですか、今日は。いつものルシア様なら……いえ、もったいないお言葉です。」


レイを見ながら、俺は歩き出した。


そういえば、心当たりのある魔術師って誰だろう。お父様のことだから、そこら辺の家庭教師を連れてくるとは思えない。


脳裏に、以前見かけた白衣の変人や、地下に消えていったあの変態の顔が浮かんだ。


そういえば、今日はあの変態はどこにいるのだろうか?


屋敷の平和を噛み締めながら、俺は足取りを軽くして自室へと戻っていく。


何が始まるかはわからない。でも、もうただ守られるだけの箱入り娘でいるつもりはなかった。


全力でのんびりしたスローライフを手に入れるための、俺の本当の異世界生活が、今ようやく始まろうとしていた。

とりあえずは序章終了でございます!

この話は過去に投稿した物語をリメイクしたものとなっているので、展開が少しちがいます。というか、そもそもそんなに投稿してないんですが……。


第一章も変わらず投稿するので、よかったらブックマーク、評価、コメントなどなどお願いします!!

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