第二章 エピローグ:狩場
その村は、本来なら容易く“食える”はずだった。 それが、源蔵がこの寄せ集めの一団を率いて、小谷の村の境界にまで潜んだ理由だ。
今年は飢饉でもなければ、目立った豊作でもない。だが、上方で続く終わりの見えない戦の余波は、この辺境にも確実に届いていた。村の防衛を担える若い男は兵に取られ、通いの商人は姿を消し、村を守る目は途絶えつつある。
「兵を出せるような領主はいねえ。百姓どもも、満足に村を守れねぇ。せいぜい、猟師の古びた弓が二、三張り。それも弦が伸びきった代物だ」
それが、事前に潜り込ませた手下から得た“小谷の村”の情報だった。
源蔵は、元はどこの馬の骨とも知れぬ雑兵だった。
戦場で主に見捨てられ、死体の山から這い出し、生き残るために汚れ仕事を重ねてきた。今は、同じような境遇の食い詰め者たちを束ねる立場にある。
彼は無闇に村を焼き払ったりはしない。人も、必要以上に殺さない。 慈悲があるからではない。理由はもっと単純で、合理的だ。 根こそぎ奪えば、次に奪うものがなくなる。生かさず殺さず、実った果実を毟り取るように、頃合いを見ては足を運ぶ。それが源蔵の“稼ぎ場”の守り方だった。
だから、今回の“仕事”も定石通りに行うはずだった。 若い女を数人攫い、米と使える道具、わずかな銭を奪う。 抵抗する者だけを叩き伏せ、どうしても引き下がらない時だけ、見せしめに一人か二人を仕留める。それが源蔵たちのやり方だった。
“山向こうに、妙な噂がある” という話は耳に入っていた。 山が不気味な音を立てて唸る。 夜の闇に人魂が彷徨う。 だが、そんな話はどこにでもある「迷信」に過ぎない。源蔵にとって重要なのは、村が攻めやすく、確実に奪える蓄えがあるという現実だった。
「だったら、問題ねえ。噂を食って腹が膨れるわけじゃねえからな」
そう判断した源蔵たちは、音も立てずに村外れの林道で夜を待った。 犬も吠えない。見張りもいない。村の火も消えた。
――楽な仕事だ。頃合いか。
源蔵が獲物の長刀を握り直した、その瞬間だった。 夜の静寂を切り裂く、乾いた“音”が轟いた。
直後、隣にいた手下の一人が、何が起きたのかも分からぬまま、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。暗闇の中で周りに置いたいくつかの小さな灯火を除けば真っ暗闇だ。 なのに、二人目が、三人目が、理由も分からず地面に沈む。
源蔵の背筋に、氷を押し当てられたような戦慄が走った。
「……これは、百姓の仕業じゃねえ」
村を襲ったとき、伏せていた侍や傭兵が飛び出してくることはある。だが、それとは違う。弓矢でも、石でもない。 暗闇の中、自分たちの姿を完璧に隠しながら、一方的に、そして正確に穿つ一撃。音の方へ向かおうとした男が、足を撃ち抜かれて転倒した。別の者は腕を押さえてうずくまり、声にならない叫びを上げている。
源蔵のすぐ足元で地面が弾ける。石片が飛び散り、足に鋭い痛みが走る。
「引け! 引けえっ!!」
源蔵は本能的に叫んでいた。 勝機が見えない。それどころか、敵がどこにいるのか、何が起きているのかさえ分からない。ここで踏みとどまれば、全員があの“音”の餌食になるだけだ。それに、略奪するにも動ける者はもう半分、しかもこの音で目を覚ました村人がいれば、成功の見込みはない。
村から北へ北へと撤退しながら、源蔵は必死に思考を巡らせていた。 あれは、何者だ。 武士ではない。村人でもない。気配を完全に消していた……忍の類か?だとしても、あんな戦い方ができるのか?それにあの攻撃は何だ?矢ではない。忍の使う手裏剣や吹き矢でもないだろう。そもそもあの“音”は何だ。 以前、領地の役人が言っていた”鉄砲”というやつか。しかしあんなもの、ごく一部の大大名しか持ってないはず。もしそうだとしても、この暗闇のなか、正確に当てられるはずがない。
いったい、何者だ、何が起こった。
考えは堂々巡りで、答えは出なかった。
尾根を越えた先で足を止め、荒い息を吐きながら人数を確認した。 減っている。負傷してついてこれなかったのか、あるいは恐怖に駆られて逃げ出したか。
落ち着きを取り戻した源蔵は、一つの仮説に至った。
「……脅し、か」
源蔵は、吐き捨てるように呟いた。 命を奪うことよりも、姿を見せずに“圧倒的な力”を誇示し、恐怖を植え付ける。それは、圧倒的力量差を持つ者のみができる、極めて高度な脅しだ。
何者かも、手段も分からないが、あれはあの村に近付けないための脅しだった、と考えるのが妥当だ。
「だったら……」
源蔵は、忌々しげに村の方角を睨みつけた。
あの闇の中に潜む“守る者”の正体を見定めなければ、この一帯での稼ぎはもう成り立たなくなる。
「次は、やり方を変えてやる」
夜ではなく。村でもなく。 ――まずは、あの化け物の正体を突き止めてやる。
そうしなければ、この辺りでの稼ぎは成り立たなくなる。
源蔵は、歯を食いしばり、眉間に深いしわを寄せながら、今日のことをどう報告したものかと苛立ちを募らせた。
彼にはまだ見えていない。その視線の先に、自分たちの時代の理が通用しない、鋼の異世界が待っていることを。




