22:悲劇の主人公を演じようとするなよ
「で、今に至るってわけか」
話の途中でウェイトレスが灰皿を交換しにきて、僕たちはいつの間にか二皿目を吸殻の山で盛っていた。
茶色い吸い口が、くたびれながらいろいろな方向をむいている。
彼らはどこを目指そうとしているのか――まるで僕自身のように思えた。
「幻滅したろ?」
「どうだろうな。俺がその立場にいたわけじゃないし」
ホタルはなおも煙草に火をつける。
彼がライターをかざしたので、僕ももう一本煙草を吸うことにした。
吸えば吸うほど、口の中が苦くなる。
「リエちゃん……今夜どんな服装だった?」
「えっと、まあ全身黒でかためてたな。初めて見る格好だった。あ、香水もいつもと違かったかも」
いつもよりも大人しくて、ほんのりと香る甘い匂い。
僕はその匂いに、かすかな安らぎを感じたのだった。
「そりゃあ……」
ホタルが顔をしかめながら、煙を大きく吹き出した。
「そうとう、嬉しかったんだろうな、今夜ワッカと会えたことが」
ホタルの言葉に、僕は胸の奥に煙草を押し付けられたような感覚をおぼえて、息をするのが苦しくなった。
うまく、呼吸ができない。
冷や汗が出る。
「普段、しなかったんだろ? そういう格好。それ、きっとワッカの服装にあわせたんだぜ。いつも黒い服ばっかり着ているからな」
そうだったんだ。
僕は、そこまで気づくことができなかった。
気づいていたのかもしれない。
でも、気づかないフリをして、逃げていたのかもしれない。
決心が揺らぐから。
嬉しかったから。
ああ、そうだ、僕はリエに対して違和感を感じて、でもそれは嫌な感じではなくて、微笑ましかったんだ。
それなのに。
「まあ、問題はそこじゃないんだ」
「え?」
ホタルが今日一番の真面目な顔になって、僕の顔を覗きこんだ。
「んで、いつまで本当の理由から逃げるつもりなんだ?」
ホタルの声のトーンが低くなる。
「逃げるって……僕は素直にそのまま伝えようとして」
「違うよ、ワッカ。そうじゃない、そうじゃないだろう?」
ホタルは煙を僕の顔に向けて吹いた。
鼻に煙が入って、プールの水が入ってしまったような、ツーンとした感じを覚えた。
「ユリちゃんからメールが来たから、別れようと思った。うん、そうだろうな、きっとそうなんだと思う」
ホタルはうんうんと頷いた。
「でも、ワッカ。一番大切なことが抜けているぜ。そしてそれをワッカは後付けの理由にしている。違うだろ、別れた本当の理由は、その抜けた『一番大切なこと』なんだから」
僕は、ホタルの言葉に少し、混乱した。
ホタルの言葉が、怖かった。
「悲劇の主人公を演じようとするなよ。これは舞台じゃない、現実なんだ。ワッカが生きている世界そのものなんだ、作り物なんかじゃない」
ホタルは剣山のようになった灰皿に煙草をつっこんで、火を消した。
僕は、リエを拒否したあの時のように、体が動かなかった。
「疲れたんだろ? 束縛するリエちゃんに。逃げたくなったんだろ? がんじがらめにしてくるリエちゃんから。メールが来たっていうのは、きっかけだ。それが原因じゃない。原因はな、ワッカ自身の中にあったんだよ。それを、一部は認めて一部を否定している。違う、全部ワッカに原因があるんだ。喧嘩をしたわけでもない、浮気をされたわけでもない、別れる理由っていうのは、本当はどこにも無いんだ。全部認めろよ。着飾ってるんじゃない」
ドンとホタルは机を大きく叩いた。
ウェイトレスが驚いて、僕たちの方を向いた。
しかしホタルは冷静に言葉を紡ぎ続ける。
「ワッカのいいところは優しいところなんだよ。でも、その優しさは時に罪になる優しさだ。ワッカは頭の中のどこかで、リエちゃんをこれ以上傷つけないようにって考えた。それはいい事なんじゃないかと思う。
だけどよ、なんでワッカが悪人を演じる必要があるんだ? 必要ないだろう。ワッカとリエちゃんは深いところで相性が悪かったり、お互い若すぎたりしたんだ。それを、一方的に自分が悪いってことにして。それでいいのか。お前にとってそれがいいのか。ワッカはこの先、きっとずっと悩んで苦しみ続けると思うな。後悔する。だってワッカはもう自分の中で気づいているんだから。逃げている。逃げているということは、いつか気づく。気づいて、そしてあの時ああしておけばって思う。『僕はなんてダメなやつなんだ』って思うに違いないんだ。
なんでだよ? なんでストレートに言わないんだ? 『束縛されるのが、どうしてもダメなんだ。束縛されると、逃げたくなるんだ。反発したくなるんだ。僕はもうリエの事が好きじゃなくなったんだ』って言わなかったんだ? それが『本心』だろ」
心の奥で、パズルがはまるみたいに、何かがストンと落ちた。
同時に、僕は泣きたくなった。




