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アウデンリートの妖霧

 アラティアのダールグリュン公爵家当主ヴェルナーが愛娘のカミラを慰めていたその時刻、王都ノイクロスターの遥か南南西にあるエルニア公国公都アウデンリートは死んだように夜の底に沈みきっていた。

すでに人々の間に不穏な噂が飛び交っていた、諸侯諸豪族への動員が始まり軍が北に向かっているらしい事はなんとなく知っていた、いくら機密にしようとしても軍を動員すればすべてを隠蔽する事は不可能だった。

だがその不穏な噂の真偽を見極める術は人々にはなかった。


そしてアラティアとの戦いが再開したと噂が風の様に流れている、人々は20年前のアラティアとの戦いを完全に忘れたわけではなかった。

特に上層の人々や富裕な商人たちはこの参戦がグディムカルのテレーゼ侵攻と無関係では無いと判断していたが、その意味を考え戦慄した。


『このままではエルニアは聖霊教の敵になるかも知れないと・・・』






その公都の西側の小さな大地の上にアウデンリート城が築かれている、帝国時代に築かれ200年にわたり拡張されてきたこの城は、旧い様式の建築と新しい建築が混在し非常に複雑奇怪な構造をしていた、口の悪い人々はエスタニアで一番醜い城と呼ぶものがいる。

だがその奇怪な姿に魅力を感じる者もいるらしい。


そんな都の一角の上層の人々の居住区に近い一角に、古書屋『アグライアの叡智』が店を構えている、すでに夜分で店は閉じていたが、その前で城を不安げに見上げる中年の小太りな男がいた。

その男は古書屋『アグライアの叡智』の店主だ。

尚武の国とはいえ知を軽んじているわけではないので、教養を身につける事は先代の大公の時代から推奨されていた。

彼もそうやって異国から招かれた男で長きにわたりこの都で店を営んできた。

男は独り言を呟いた。


「なぜだろう城に霞がかかっているような気がする・・・いやよく見るとなんともないな、少し疲れているか」


ここは普段は人通りが多いがこの時間ともなれば夜警が行き交うだけだ、誰もそれを聞く者はいない。

男はそうこぼすとため息をついた、最近本の売れ行きが悪く経営も苦しい、この騒ぎでは読書どころではないのだろう。

首を振りながら裏口から店の中に入って行ってしまった。

どのくらい経っただろうか、アウデンリート城の大楼閣に薄い黒い霞がまとわりついたが、すぐに散ってしまった。






「どうしたらいいんだ?」


全身をエルニア魔導庁の魔術師ローブに身を包んだその男は、ラウンジの窓から城の主郭を眺めていた、この時間ともなればみんな魔導庁内部の私室に戻るか城内に与えられた家に帰っている時間だ。

そのフードから謎く顔はかなり若く二十歳を僅かに越えたぐらいに見える、その面影はアゼルとどこか似ていた、彼は魔導庁に所属する新人のギー=メイシーだ。


「僕だけでは動きがとれない、みんなおかしくなってしまった、せめてお師匠と連絡が取れれば」

そして窓の前で考え込み始めた。


「おいギー、何をやっているんだ・・・おおケラ殿の事を考えておったか?」

上司のイザクの声が背後からかかるとアゼルは内心震え上がった。

イザクはエルニア魔導庁長官でベテランの上位魔術師で年齢は六十を越えている、エルニア屈指の魔術師のはずだが最近言動が少しずつおかしくなっていた。

狂っているとか異常な行動が目立つわけではなく、目の前の現実をまるで認識できていないかのような不気味な違和感を感じていた。


「長官、あの異国の漂流船から回収した像の謎について考察していたのです」

とっさに言い訳をした、東の彼方を指しつずける像の謎はいまだに解明されていなかった、そして像から未知の力が放出されている事を突き止めたが、その用途も仕組も不明のままだ。

だがイザクはもうその像に関する関心を失っている。


「なんだ、航海にとって必ず決まった方向を指す道具は極めて重要じゃろ?あれは異国船の故郷を指しておるのさ」

イザクはその仮説に固執して他の仮説を受け入れようとしない、この男はここまで頑迷だったのか?ギーは自問する。


「その可能性は否定しませんが、他の可能性を否定すべきではないでしょう?長官、考えて見てくださいそのような設備は環境に固定されるべきです、嵐で動いたり転んだりするかもしれません、別の意図があるかもしれません、瘴気を流し込むことで起動するなんて・・・」

ギーの言葉を老魔術師がさえぎる。


「まあお前の考えは否定しないが・・それはケラ様と意志の疎通を計ることができれば解決するはずじゃ、わしは東方絶海の彼方の文明の言語を解明する事が先だと言っておる」

「しかし」

「それができれば僅かに回収に成功した資料の解読もできる、そこから真実が明らかになろう・・・おまえはあのお方を疑っておるのではあるまいな?」


ギーは慌てて首を横にふり否定する。

「そのような麗しき麗人を疑うなど」


「まあそれで良い、あのお方がおれば全ては上手く行く」

イザクの遠くを見るかのような目に悪寒を感じたが、イザクの視線の先は窓の外の向こう側の城の主郭を見ている。

そこは大公と異邦の麗人ケラがいる場所だ、ギーはそれに気づくとふたたび慄いた。


だがおかしいのはイザクだけではなかった、同僚はおろか城務めの官僚達もイザクと大差がない。

そして異変を感じた僅かな者達は城から姿を消した、城から退去したのかほかの原因なのか判断がつかなかった。

焦りを感じながらその原因を考えるが答えは見つからない。


ふと甘い艶めかしい匂いが僅かな風に乗って流れてきた。


「さてわしは休むぞ、お前も早く寝るんだ」


イザクが去るとギーは安堵したが、この匂いに長官は気づかないのだろうかと思う。

この匂いが記憶を刺激しその瞬間体に電撃が走る。


この匂いを何度か嗅いだ事があった、魔道庁に異国の麗人がまだいた時に嗅いだ匂いだ。

だがこの匂いがどこから来たのかわからない。


かつて追われた妖精族が東方絶海の彼方の大陸に逃れた神話があった、そして滅びた妖精族に関わる幾つかの神話を思い出す。

そしてギーはある仮説にたどりつく、その仮説を調査する事を決意した。


それも密やかに進める必要がある。






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