温泉と修道士ヴァスコとの再会
アマリアが去ったあとルディはささやいた。
「お前も眠れないのか?」
ルディは旧友のいるはずの闇の向こうを見つめた、意識を集中するとやがて視界がはっきりしてきた、板壁の隙間から漏れる狭間の世界のかすかな星明りが踊るように照らしている。
「私の生まれ故郷ですからね」
アゼルがそれに答える。
「いったいエルニアで何が起きているんだ?」
「アマンダ様に帰郷命令が出てすぐ、エルニア参戦の報告が来ましたね」
「ああ、いったいあの男は何を考えている?聖霊教の敵になる事の意味を理解しているのか」
あの男とはエルニア大公を指していた、そして大公はルディの父親でもあった、さすがのアゼルも息を飲んだ、ルディガーが大公にはっきりと嫌悪を表した事など知る限りなかったからだ。
「アゼル?時間があれば闇妖精は復活できるのか?ならば倒しても無駄では無いか」
「アマリア様はそうおっしゃっていましたが、闇妖精は強力な再生能力を持つといわれていました、灰からも復活できるそうです、ですが根絶すると魂だけの存在になり物質界に足がかりが無くなり、復活に長い年月ががかかるとそんな説がありましたね、私には確認しようがありませんが」
「ルディガー殿、闇妖精は物質界と幽界の中間的な生き物である、そんな仮説があったぞあくまで仮説だが」
割り込んで来たのはホンザの声だ。
「セザールがハイネを追放される前、奴は堕落した闇妖精について研究しておった・・・奴はあの当時から闇に魅入られていたのだ」
ホンザはセザールの弟子であった事がある、まだテレーゼが内戦で荒廃する前の時代の話だ、ルディガーはホンザの言葉でそれをそれを思い出した。
「セザールは総ての元凶ではない、奴らの背後にまだ何かがいるはずだ、闇妖精姫を復活させた者達と同じとは限らないが、無関係ではあるまい」
それにすかざすアゼルが応じる。
「私もそう思います殿下!」
「エルニアの変事と関係があるやもしれんな・・・」
「はい、むしろこれこそが総ての元凶かもしれません」
「闇も光も東方から、そんな予言があったよな」
ホンザがぼそりと呟いた。
「やはりエルニアに一度戻る必要がありますね、殿下」
そのアゼルの言葉にルディは心から賛同する。
「ああ、結界を破壊したら一度戻ろう、先に帰ったアマンダが心配だ、めったに遅れを取るとは思わないが相手が悪い」
「さあ二人共明日は早いぞ?もう休もう」
そのホンザの一言で寝室は沈黙に覆われる、狭間の世界の狂った星光が朽ちかけた板塀の隙間から侵入、
不気味な踊りを床の上で演じている。
最後に話題になったアマンダはアルセナからエドナ山塊沿いバーレム大森林を北上し山の裾野で野営をしていた、その一日の踏破距離は並みの人間の倍に近い恐るべき健脚だ。
彼女はエドナ名物の温泉を見つけるとそこを今夜の宿に定めた、小さな焚き火があたりを暗いオレンジの光で照らしている。
エドナ山塊は旧い火山が連なっている、かつてアゼルが隠れ済んでいた庵はエドナ山塊の北の端の死火山にあった、そこにも大きな温泉があった。
アマンダは満点の星空を見上げて満足気にため息を吐いた。
だがすぐに彼女の表情は険しく変わると皮肉な笑みを浮かべた、そして温泉の岩場に置いてあった大きなバスタオルに手を掛ける。
それからアマンダは正面の闇の奥に向かって声を掛けた。
「またお会いしましたわね、ヴァスコ様」
息を飲むような気配がしてから声が帰ってくる。
「奇遇でございますなアマンダ様」
それは壮年の男の声だがまだ姿は現さない。
アマンダは体をタオルで包むと、薬売りのローブを木の枝から外してそれで身を包んだ、そこで奥の茂みが騒がしくなった。
やがて焚き火の光の中に聖霊教の修道士姿の男が姿を表す。
これでこの男との遭遇は三度目だ、アマンダが傭兵団に占領されていたアラセナに潜入した時、そしてエドナ山塊で鉱物を採掘したとき以来だった。
「おそろしい偶然ですわね」
アマンダの皮肉に男は動じない。
「いやいや、聖霊教の修道士が巡る場所は消して多くはありませんぞ、このような秘湯も同様、巡り合う可能性は低くはありますまい」
ヴァスコは温泉の近くの岩に腰を降ろした。
「御婦人が先客とは、我は場所を移しますがその前に少し休憩をとらせていただきたい」
「かまいませんわ、ところでヴァスコ様は東から来たのかしら?」
アマンダも近くの岩の上に腰を下ろした。
僅かにヴァスコは驚いた様子だったが気を取り直した。
「もしや貴方様もエルニアに入るおつもりかな?」
「そのつもりよ、エルニアは普通じゃ無い様子ね?」
「はあ、そうですな反乱寸前の空気でしたが、どうも諸侯の様子が普通ではない、説明いたしかねますが、
聖霊教の敵に加担するなど有り得ない、そんな空気でしたがいろいろ妙でしてな、私は異変を報告をする為にアルムトに向かう予定です」
「あら、そんなことまで話して良いのかしら?やっぱりあなた聖霊教の密偵だったのね」
「アマンダ様も髪を染めておいでではありませんか?」
それを聞いた瞬間アマンダから凄まじい精霊力の力が溢れ彼女はゆっくりと立ち上がる。
ヴァスコが慌てだす。
「落ち着いていただきたい!これは失礼いたした」
「私の名を知っているのね?」
「それは聖霊拳の上達者で赤い髪の御婦人と言えばアマンダ様しかおりませぬ」
それを聞いた瞬間アマンダから精霊力が消える、彼女はゆっくりと岩の上に腰を降ろした。
「まあそうね、バレバレでしたわね」
アマンダは苦笑いをうかべた。
「もう少しエルニアの状況を聞かせてもらえ無いかしら?」
アマンダの声には有無を言わせぬ威圧があった、ヴァスコに逆らえる相手では無い。