別れの予感
エイベルとフリッツが噂をしていた当のルディ達は、二人の予想通りハイネ南の森の廃村の下の魔術陣地の隠れ家で眠りに落ちていた。
彼らには明日も多くの予定がある、死の結界を構成する魔術術式の破壊を順次進める予定だ、テレーゼ平原に描かれた巨大な魔法陣は並みの人間では一回りするだけで10日以上かかる、それを僅かな時間で巡回する事ができるのだ。
そしてハイネの北で戦が始まる前に破壊する必要がある、アゼルとホンザはセザールが戦禍が生み出す死の怨念を蓄積する計画だと読んでいた。
アマリアの解放の為にもこれ以上瘴気を蓄積させるわけにはいかない、今日は結界の破壊に敵の妨害が無かったが、こちらの動きは敵に察知されているはずだ、遅かれ早かれ妨害が始まると予想された。
ルディ達は力を貯める為に早めに休息を取る事にした、結界の破壊は早ければ早ければ良い、そして彼らが眠りに落ちてからしばらくたった頃、コッキーは女性専用の寝室の寝藁の山の中で目覚めた。
一度寝付くと朝まで目が覚めない彼女がなぜか深夜に目が覚めてしまった。
コッキーは目が覚めた理由にすぐに気付いた、隣の藁の山の中で寝ていたはずのベルが背を向けて暗闇の中で立っていた。
ベルは麻の通気の良いワンピースの寝着を纏っていた、そして彼女の全身が朧気に青白く発光していた。
麻の寝着は内側の光を透かし彼女の肢体が透けて見える、その均整の採れた無駄の無い美しさに胸が僅かに痛む。
ベルは麻の寝着の下に何も身につけていない、寝る時はいつもそうしていた事を思い出した。
さらに僅かにベルの精霊力を感じた、目が覚めたにはこの力のせいだった、間違いなくベルの力だがいつもより清浄で優しい。
だがこんな夜更けにベルは何をしているのだろう?
「もしもし、ベルさん?」
コッキーはおそるおそる声をかける。
「ごめん、昔の夢を見ていた、バーレムの森で一人で暮らしていた頃の夢・・・いつのまにか立っていたみたい」
ベルはそう呟くとぐるりと向き直る、すると彼女の体の光も消えた。
「ベルさん、いま光っていましたよ?」
ベルはまだ意識がはっきりしていないのか反応が遅れる。
「えっ?そうかも・・・」
「だいじょうぶなのです?」
「大きな木の枝に座っていた、遠くにクラスタのお屋敷が見えたよ、女神のレリーフがある場所だからよく知っている、でもあんな大きな樹は無い・・・でも前に一度見たことがある・・・」
コッキーは少し不安を感じた。
「ベルさん?」
「そうだ、少し疲れているのかも、起こしてごめんすぐ寝る」
ベルはそのまま藁の山に潜り込んでしまった。
「エルニアに何かとんでも無い事が起きているのかもしれない・・・」
藁の山の中でベルが呟いた。
「結界を壊したらエルニアに戻りたい、何か嫌な予感がする、夢の中で胸が苦しくなるような不安を感じた、コッキーはどうする?」
コッキーはどうするか迷った、ベル達と一緒にいたい気持ちもある、でも心は故郷のリネインと聖霊教会の孤児院の皆に向かっていた。
「前にも言いましたよね?リネインの孤児院を護るのです、私の力で」
コッキーは革のカバンの中に秘蔵している母の形見のラピスラズリのカメオを思い出した、その星を撒いたような青き宝石はテレーゼの空の様に美しい。
そしてなぜかドルージュの沼で聞いた古きテレーゼの国歌が脳裏をよぎった。
ベルがささやいた。
「一度お別れかな、でもリネインにいるならすぐ会えるね、走ればすぐだよ、それに僕ならコッキーがどこにいてもすぐに解る」
「あのルディさんはどうするつもりなんです?」
「ルディはかなり悩んでいるみたい、前は人外の力で人の世の争いに干渉していいのかって、でも敵がお構いなしだから考えが変わってきているみたい、そろそろ決断すると思う、古い付き合いだしわかる」
「まずは結界をぶっこわしましょう、死んだ人の魂が捕まっているなんて酷すぎますよ!」
ベルが藁の山から頭を出してコッキーを見つめる、彼女の瞳は薄い青から金色の光に満たされて行く。
コッキーは目を見開いた、ベルもまた人外の力を秘めている。
「アマリアを閉じ込めている瘴気の渦を壊す、そして魂を解放する、アマンダが言っていた魂の回帰に戻してあげるんだ」
「ええ、そうですよ!」
コッキーの言葉が強くなった、ベルは人指し指を唇の前に立てた。
「もう寝ようコッキー」
ベルは藁の山に潜り込んでしまった、コッキーもすぐに眠りに落ちた。
二人はまだエルニアから生じた大乱の暗雲の全貌を知らなかった。
ベル達が再び眠りについた頃、ルディ達も真夜中に目が覚めていた、ルディもまた妖しげな夢を見ていたのだ。
夢から覚めると夢の内容を思い出そうとしていた。
巨大な大樹の枝の上に美しき幻想的な人離れした女性を見上げていた夢を、その巨木に見覚えがある、かつてクラスタ家の狩猟感謝祭の夜、ベルとともに堕ちた異界の太古の森の大樹に似ていた。
その女性もベルをもうすこし大人にしたような、細身で鍛え抜かれた黒い長髪の美女だ、背中に背負った弓と矢筒がエルニアの古代の森の女神を連想させた。
「女神エルドウェン」
おもわず口からその女神の名前が漏れた。
「殿下、おめざめですか?」
となりの古びたベッドの上からアゼルの声が聞こえてきた。