エルドウェンの巫女の血族
ラミラの言葉にジムは戦慄させられた、勇気を出して石碑の方を恐る恐る振り返る、女神のレリーフはいつのまにか薄青白い光に照らし出されている。
古い石碑の表面が緑の苔に覆われている事に改めて気付く、素朴な半裸の女神の目の辺りから青白い液体が滴り落ちている。
まるで泣いているようにも見えた。
「これはなんすか?」
ジムは自分の声が震えている事に気付いた、それにしても先程よりずいぶんと明るい、屋敷の警備の兵に発見されるのはまずいと思いバトーに文句を言おうと彼の方を振り向く。
だが彼は呆けた様な顔をしてあらぬ方向を見つめている、彼の小さな照明は地面を向き足元を淡く照らしているだけだ、ではこの光はどこから?
不思議に思って彼の目線の先を追う、バトーは先程の大樹の方向を向いていたが随分と上の方を見ている、青白い光はその方向から射していた。
ジムは自分の心臓が高鳴るのを感じた、それでも心を奮い立たせてバトーの視線を追った。
信じられないほど巨大な大樹の一番下の巨大な横に張り出した枝の上に青白い光が渦を巻いている、その光の粒子はバーレムの森の奥から流星の様に流れ凝集し続けていた、それは渦を巻きながら小さく密度を高め輝きを強めて行く。
やがて大樹の背後に巨大な満月が突然現れる。
ジムは今日はまだ三日月を少し越えたぐらいで、あんなにも巨大では無いはずだ、そんな思いが脳裏をよぎる。
しばらくすると大樹の木の枝の上にこの世の者ではない美が生まれた。
月の青白い光で作ったような美しき乙女がいる、彼女の髪は滴る漆黒の液体で練り上げたように黒く輝き彼女の腰まで伸びる、その瞳は月の光の様な薄い青い光に満たされていた、その瞳はどこまでも冷たく無機的だ。
一糸もまとわぬ姿とそのたおやかな手に何も持ってはいなかった。
ジムは石碑のレリーフのモチーフのエルニアの土地女神エルドウェンだと直感した。
「エルドウェン」
絞り出すようなバトーの呻き声がその憶測が正しいと確信させた。
「何が起きている・・・」
その困惑した声はリーダーのローワンの呟きだ。
女神はこちらを見下ろしていた、だがジムを見てはいない、視線の先を探るとそこにラミアがいた。
ラミアは明らかに異常で目を見開いたまま身動き一つしない。
そして淡い光で包まれている、やがてラミアの瞳が青白い光に満たされた、急に命が吹き込まれた様にラミアの瞳が動いた。
ラミアはゆっくりと話し始めた。
『人の身体と心を使う方が楽・・・この者は森の民の巫女の血を薄く引いている、だからここに呼び寄せた・・・』
ジムは話しているのはこれはラミアであってラミアではないと確信した。
「あなたは女神なのか?女神エルドウェン」
その声はリーダーのローワンだ、ローワンはラミアに向かって語りかける。
『その通り・・・私は太古の森と精霊の女王エルドウェン、エルニアの守護者、今はアグライアと共にある・・・夜は私が目覚める刻』
「何を我々に使えたいのですか・・・」
『私達は世界の律により現実界への介入を禁じられています・・・今こうしてお前たちと話す事自体禁忌にふれる・・・だが私の巫女の末裔がこの地を追われ、聖域の一つに偶然巫女の血を引くものが近づくことはもう無いかも・・・その想いから呼び寄せました』
皆息を飲み次の言葉を待っている。
『私の巫女の血を引く者がテレーゼにいます、貴方たちに頼みたい事は私の巫女にこの地に還る様に伝えて欲しい。
テレーゼのメンヤは止むなき事とはいえ、禁忌を犯しすぎ身動きがとれなくなってしまいました、今は彼女を頼る事ができません』
「もしやそれはクラスタ家の令嬢、ベルサーレですか?」
ローワンの声が震えていた。
『この体の魂の記憶にあります、その通りです・・・クラスタ家は私の巫女の流れをひく一族です』
「彼女と共にいるのはエルニア公国のルディガー公子なのでしょうか?そしてメンヤの大眷属の化身もいると・・・」
ラミアが無言で頷いたのので、自分達の推理が正しいことが明らかになる。
『私達は北の脅威に意識をとられ、東方絶海からの攻撃を許してしまった、エルニア全体が不浄の聖域にされる事を許すわけにはいけない、だが介入を制限されている・・・敵はやりたい放題なのに・・・だがそれが解かれた時、世界は破滅するでしょう』
「そのような事を我々に託してよいのですか?」
『貴方達がここに来た事自体幸運でした、そしてこうしている間に私の罪が加算されて行くあまり時間が無いようです、あとは貴方達に託します』
「おい、待ってくれ!!」
ローワンがラミラに手を伸ばして叫ぶ。
その直後にラミアから力が抜けて崩れ落ちるた、ジムは無意識にラミアに駆け寄り彼女を抱き支える。
周囲を照らしていた青い光が揺らめいた、ジムはそのまま大樹を見上げる、木の枝の上に腰掛けていた女神が光の粒子になって飛散して行くところだった。
光の粒子はフワフワと漂いながら森の奥に流れ、そして気付いた時には元の暗闇に戻っていた、そして見上げる程の大樹も姿を消していた。
バトーの小さな魔術道具は淡い光を地面に投げかけているだけだった。
「なんてことだ!!」
ローワンが絞り出すようにささやいた。