森の異変
森の夜の闇の中を数人の人影が進んで行く、彼らは音を立てる事を恐れるように静かに灯火も無く進む。
彼らはジンバー商会の特別班のメンバーだった、その先頭を進むのはチームの紅一点のラミア、ジム=ロジャーは隊列の最後尾を警戒する様な位置で進んでいた。
ラミアは非常に特殊な感の持ち主でこの様な場合に警戒に当たる事が多い。
すると列が停止した、ジムが前を見ると暗がりの中でラミアが腕を横に張り静止させている。
「みんないいかい、そろそろ祭祀場に近いよ・・・」
ラミラの声はささやくようだ。
彼らはクラスタ家の狩猟感謝祭の祭祀場に近いところまで近づいていた、森の東側に目をこらすとクラスタ家の屋敷の影が夜の森の木々の上に見えた。
狩猟感謝祭の祭祀場は舘の西側の森の中にあるはずだ。
「見張りはいないか?」
それはローワンの声だ、張りのある彼の美声は限界まで潜められていた、それにラミアが答える。
「屋敷の周りに集まっているようだね、こっちにはいない」
それにバトーが続く。
「マイア村の連中が見張りがだいぶ減ったと言ってましたね」
「ああ・・では慎重に進もう」
ローワンが決断する。
「わかった行くよ」
ラミアが答えてふたたび進もとしてふたたび固まる、みな姿勢を下げすばやく周囲を警戒しはじめた。
「ラミア何かいるのか?」
ローワンの声は僅かに緊張に震える、ジムも片ひざを地に付けて姿勢を低くすると、警戒を強め分厚い革のグローブを強く握りしめた。
「ごめん今声を聞いた、呼ばれた様な気がしたんだ」
ラミアの答えにジムは困惑した。
「僕には何も聞こえませんでしたが・・・」
皆は押し黙る、やがてローワンが口を開いた。
「ラミアは聞こえない声を聞くことがあるんだ、それを無視すると碌な事にならない」
疑問を感じながらもジムは先を続けた。
「あの、ラミアさんどこから聞こえましたか?」
「ジム、こっちだよ」
ラミラは森の奥を指さした、クラスタ家の屋敷と正反対の方向だ、その方向は狩猟感謝祭の祭祀場の方向からもずれている。
「ラミラさんその声は何を話していたんです?」
ラミラは頭を横に振る。
「はっきりとはわからない、私に話しかけてきた・・・様な気がした」
「バトー地図を・・・」
ローワンの命令ですぐに小さな魔術道具の光が灯る、まるで森の夜光虫のような弱い光があたりを淡く照らし出した。
「ローワンさん、特に何もありませんよ」
バトーの困惑する声がした。
そこで皆が地図を覗き込む、そこはマイヤ村とクラスタ家の屋敷が記されていたが、ラミアが指さした方角には何も記されていなかった。
「わかったこの方向に進んでみよう、今度は俺が先頭に立つ、ラミアなにかあったら教えてくれ」
リーダーのローワンが先頭に変わり、一行はそのまま森の奥にむかってゆっくりと進みはじめた。
単調な森の中を進んで行くと時間の感覚が麻痺してゆく、最後尾を進むジムは急に不安になった。
「どのくらい進んだんでしょう?」
ジムは前を進む仲間の背中に語りかけた、だがそれに誰も答えないジムの背筋が急に冷える。
「まてあそこに何かがある・・・」
ローワンが少し左の闇の先を指した、するとラミラが息を飲む音が聞こえた。
ジムが数歩前に出ると星明りにおぼろげに浮き上がる何かがそこにある、誰かがたぶんバトーだろう、ふたたび魔術道具の光をともした。
「これは何だ?」
バトーの困惑する声が聞こえてくる。
その光に照らし出されて、何かのレリーフが刻まれた古い石碑が浮かび上がった。
周囲の下草は借り払われた跡がある、だが繁殖した雑草に埋もれ初めていた。
その石碑に弓を抱えた長い髪の細身の女性が彫られていた、彼女は身に一糸も纏ってはいない。
いや背中に矢筒を背負っている。
「このレリーフはなんでしょう?」
ジムの問いかけに代わりにバトーが答えた。
「このデザインを僕は知っています、エルニアの土地女神エルドウェンですね、森と狩猟の護り神です」
「あらエルニアの土地女神はアグライアじゃなかったの?バトー」
ラミアがすぐに疑問をぶつけた、広くエルニアの女神は女神アグライアと知られていたからだ。
「もともとエルニアの土地女神はエルドウェンでした、女神アグライアに取り込まれてしまったんですよ」
「そんな事があるのね・・・」
「ええ、エルニアは東エスタニアの開拓が始まり、沿岸航路が拓かれリエカの港街が築かれてからはじまったんです、女神アグライアは西エスタニアでは東方世界の守護女神で移民とともに広がったんですよ、女神エルドウェンはバーレムの森の狩猟の民の女神でした」
「これがあると言うことはまだ信仰が残っているのね?」
「ラミラさん、残っていると言うかエルドウェンはアグライアと融合してしまった事になってます、だからエルニアの女神アグライアは神格が変化しています、森と狩猟の守護者の権能を持っていますし、剣の他に神弓を使う事ができるように変化しています」
「そうなのね・・・」
バトーの説明に聞き入っていたローワンが再び口を開いた。
「ラミラ、お前の聞いた声は女神の声なのか?」
ラミラはしばらくしてから首を振った。
「悪いね、はっきりとわからないよ」
みんな落胆したがジムはラミラの異変に気がつく、ラミラは目を大きく見開きジムの左手の方向を見つめていた。
ロ-ワンも素早く剣の柄に手をかけてその方向を向いた、ジムもそれにならう、そしてラミラと同じように信じられない物を見てしまったかのように目を見開いた。
そこには巨大な大木が聳え立っていたからだ、根本の太さは五メートル以上あるだろう。
その大木は圧倒的な大きさで、その頂上は生い茂る枝葉でまったく視る事はできない。
こんな大樹があったならもっと早く発見しているはずだ。
「こんな樹はなかったはずだ」
放胆で冷静なリーダーのローワンの声が震えている、ジムもただ唖然としたまま大樹を見上げる事しかできなかった。
「ああ、見て女神が泣いている・・・」
ラミラの声は恐怖に震えている、それはジムが初めて聞くラミラの恐れる声だった。