エルニアのマイア村
アマンダは冷静になろうと務めた、そこに使用人がお茶を持ってきたので気持ちを切り替える事ができた。
「叔母様、その・・・おめでとうございます」
だが口から漏れたのは平凡な祝辞だった。
「ありがとうアマンダ、もう夫には伝えてあるわ、ここに来て生活が変わったからかしら」
アナベルはおほほと笑う、アマンダはやはりこの人が苦手だと感じた。
「ベルにもう伝えましたか?」
アナベルは苦笑して頭を横に振る。
「貴重な精霊通信を使うわけにいかないわ、非常事態ですもの、でもアマンダちゃんなら殿下の処に行く機会もあるからその時に伝えてほしいの」
「それでしたらベルに伝えます・・・」
アナベルはアマンダに微笑む。
「今日は泊まっていく?」
僅かに小首をかしげるとまるで少女のようだ、アマンダはわずかに気押された。
「ご配慮感謝いたします叔母様、ですが今日中にアラセアを出る予定です」
「ごめんなさい、重要なお仕事だったわね」
「もうしわけありません叔母様、詳しくは明かせないのです」
アナベルは軽く手を振る。
「いいのよわかっているわ、そうだグラビエを通るならクラスタの屋敷に届けて欲しいものがあるのだけど?」
アマンダは無言で首をふる。
「そうなのね・・・わかったわ、気を付けてね」
二人は僅かに世間話をするとアマンダは屋敷を下がった、そして東に向かわずに北に向かう、その先は細い道が遥か北のエドナ山塊に伸びている。
クラスタ屋敷の二階の窓からアマンダの後ろ姿を見つめるアナベルの姿があった。
「やっぱりウルム峠を抜けずにエドナに入ってバーレムの森を突っ切ってアウデンリートの西に出るつもりね・・・」
その一人言には関心したような呆れたような響きがある。
クラスタとエステーベ家はエルニアから脱出する際に、バーレムの森に入りそのまま南下してグラビエに抜けた。
アマンダはエドナ山塊に入り北上しそこからバーレムの森を横断するつもりだった、その難易度はグラビエ抜けの比では無い、聖霊教山岳派の修道者でもないかぎり踏破するのは不可能だ。
「ほんと凄いわねアマンダちゃん」
アナベルは軽やかに笑うと窓を閉める、すべてを優しい午後の陽が照らしていた。
アマンダの健脚は二時間ほどでアラセア盆地を取り囲むエドナの麓に彼女を運んでいた、彼女は力強く森を貫く小道を悠然と登る、その道を行き違う者の姿も無かった、やがて広く視界が開けるとアラセア盆地を見下ろせる場所に到達する。
アマンダは思わず足を止めて豊かな大地を見下す、下界にクラスタ家の街が見える、そして遥か南西にアラセア城の尖塔も見える。
「美しい、これが私達の土地なのね・・・」
アマンダは踵を返すとふたたび北を目指す、その先にエドナの黒い岩肌が壁の様に立ちふさがっていた、
だがアマンダは構わずその中に踏み入る。
アマンダがエドナの山に踏み入った頃、そこから遥か北東方向のバーレム大森林に接するマイア村の近く、
村に入る街道の手前で毛皮商の馬車が立ち往生していた。
商隊の長らしき男がエルニア公国の兵士らしき男と押し問答をしていた。
「この先のマイア村は入れない、わかっているのか?」
「一体何があったんです?我々はラムリア王室から香木の仕入れを命じられておりまして、毎年ここに来ていたのですが」
「なんだとずいぶん遠くからきたな・・・」
兵士は呆れたようだが商隊長の西方の砂漠の民らしい容貌に納得した様子だ。
「この村の領主が謀反に関わり今は接収されているんだよ、だいぶ警戒が緩んでいるがまだ入る事はできないぞ?」
「クラスタ様がですか?我らはこちらの情勢に不案内でして」
商隊の長は頭を振りながら髪をかきむしる。
「わかりました、一度引き上げて考えますよ」
兵士も相手があっさり引き下がる様子なので安堵した様子を見せた。
「うむそのほうがいいぞ」
もうこれで終わりだと言いたげな手振りで追い払うような仕草をする。
馬車は道端の空き地で方向転換すると引き返し始めた、やがて車輪がゴトゴトと奏でる音に混じる様に中から声が聞こえてくる。
「ローワンさん、この道もだめでしたね」
その声は少年の大人じみた声だ、それに馬車の御者台から商隊長ことローワンが答える、彼の声は諦めた様子だ。
「南からなら行けるかもと思ったがやはりだめだったな」
ジンバー商会特別班は東方絶海の彼方からの難破船の調査の後にそのままエルニア各地の調査を遂行していた、
だがクラスタの領地に入れなかった、エステーベの領地に一度向かったもののやはりそこも封鎖されていた。
「神隠しの噂がある聖地に行きたかったわ、何かが森の奥にいる」
それは透き通った女性の声だ、ラミラは変装の名人にして美貌の持ち主だが、本人は冗談半分で本当の顔を忘れてしまったと言う、
そして不思議な直感力に恵まれていた、本人いわく子供の頃に訓練を受けていれば魔術師になれた可能性があるらしい。
そして彼女が森の奥に何かが有るではなく、いると表現した事が場の空気を重くした。
「神隠し・・・たしかベルサーレ嬢の事ですね、ルディガー公子とともに行方不明になっていたとか」
その声は何でも屋のバートだ、彼は偽造書類の作成からスケッチまで特別班の要と呼べる男だ。
「そうだ彼女はそれで社交界から追われた、追放令が出たとも噂されていたようだが」
ローワンがそれに答えた。
これらはボルトの街を中心に集めた情報だ、エルニアに来なければ手に入らなかっただろう。
「あの化け物の力が神隠しと関係あると?ローワンさん」
ジムの声は震えている、そのメンバーの中で化け物の力を一番身近で目撃したのはジム少年だ、
彼はピッポファミリーの一員だった事がある、そこで化け物の力を見せつけられたのだ。
思い出すだけで体が震えた。
「ルディガーの失脚と関係のある事件だ調べたい・・・危険だがマイア村を迂回しマイアの背後の聖地に向かう、そこに狩猟感謝祭の祭壇があるはずだ」
それに全員が沈黙で答える、それは『諾』を意味していた。