クラスタ家の本拠地
アラセアから東に伸びる街道はエドナ山塊のウルム峠を越えグラビエ湖沼地帯に至る、そこから北に向かうとエルニア公国に至る。
クラスタとエステーベ連合軍の本隊がこの街道を西に進みアラセアに侵攻してから三ヶ月近く時が流れている。
豊かな穀倉地帯を貫く街道を東に進むアマンダの視界に小さな街が写る、その街はクラスタ家が本拠に定めた街でウルム峠とアラセナの街のほぼ中間地点にあった、田舎の小さな街で数十件の家が集まり中心に小さな館の屋根が見えた。
だが本格的な防衛設備は見当たらなかった。
アマンダはその館を目指した、そこにクラスタ家の女主人アナベル=デラ=クラスタがいるはずだ、彼女はベルサーレの母で、黒い髪三子の母とは思えないほど若々しい可愛らしい女性だ。
アマンダは彼女が少し苦手で、彼女のペースにいつも引きずられてしまうのだ、娘のベルサーレの方がはるかに扱いやすい。
街に近づいたアマンダは館を見上げた、エルニアのクラスタ家の館は名門らしい威厳のある屋敷だったが、
これはせいぜい田舎の郷士の館と言ったところだ。
街に人影が少なく僅かな住民はアマンダの姿を見て驚いた、大柄なアマンダの姿に僅かに怯えた様子だ。
街に入るとすぐの小さな館の門を叩く、すぐに壮年の使用人が姿を表す、そして相手がアマンダとすぐに気づいて愛想笑いを浮かべる。
「あらアマンダ様お戻りになっていましたか、ではこちらの部屋でお待ち下さい、すぐに奥様にお伝えいたします」
顔なじみの使用人は館の奥に行ってしまった、アマンダは小さな控室で待つことにする、落ち着くと控室を観察する。
古い簡素な家具と古びた敷物に壁の絵画はたいぶ色が掠れていた。
アラセナを制圧したクラスタ家は以前の二倍以上の経済力を獲得したはずだがあまりにもここは質素だ、それにしても屋敷の中にあまり人の気配がしない、まだあまり手がつけられていない様子だ。
「アマンダちゃんお久しぶり」
歌うような若々しい女性の声が背後から聞こえる、間違いようのないアナベル夫人の声だ、アマンダは考え事をしておりアナベルの接近を見逃してしまった。
「叔母様お久しぶりです」
アマンダは慌てて振り返る、そこには若い娘の様なアナベル=デラ=クラスタがいた。
叔母様と呼んだが厳密にはブラスの祖母とアマンダの曾祖母が姉妹の関係だが幼い頃からこう呼んでいた。
アナベルは黒い長い髪がベルサーレとよく似ていたが、柔らかな表情と少しふっくらとした頬をした花のような女性だ。
年齢は三十五歳ほどのはすだが確かめる勇気はアマンダにも無かった。
そしてベルがアナベルと並ぶのを嫌がっていた事を思い出す、長身で鋭利で冷たい美貌のベルサーレとならぶと姉妹に見えるのだ。
それもアナベルが妹と間違えられた事がある、アマンダはそれを少し思い出して微笑んだ。
「アマンダちゃん、急だけど何かあったわね?」
アナベルはアマンダの急な来訪に不審を感じたようだ。
「はい叔母様、これからエルニアに向かう事になりました」
アナベルは顔を顰めた。
「まあ、なら詳しいことは聞かないわ・・・それで?」
「あとベルについてお伝えしたいと思いまして」
アナベルは花が咲いたように微笑んだ。
「それならリビングで話しましょう、さあ」
アナベルは使用人に歓待の用意を命じると二人でリビングに向かった。
リビングに入り粗末なソファーに腰をおろしてからアマンダは初めて気付いた。
「叔母様、ミゲルとセリアちゃんは?」
ミゲルとセリアはアナベルの子供でベルサーレの弟と妹だ、この館には子どもの気配が無かった。
「ほほほ、二人はアラセナのお屋敷にいるわ、私はこの館を整えにきたのよ、向こうが落ち着いたからこっちも手をつけようと思って」
「ずいぶんと静かですね」
アナベルは肩をすくめてみせる、少女じみたアナベルに似合わない仕草だ。
「・・・人手が足らなくてね、アラセナ城に人を取られたし、グラビエの屋敷にも残さなきゃならないし、
人を増やしているけど教育が間に合わないのよね~」
どこか柄の悪い娘の様な態度に変わった、だがアマンダは慣れていた、他の人がいない場では昔からこうだったからだ。
「アラセナの統治は大変そうですね叔母様」
「馬鹿どもが郷士と揉めて直接土地を支配する者がいないのよ、それでやりやすい面もあるけど、家臣を代官に当てているから彼らも散ってしまったわ」
アマンダはうなずいた、土地に根付いた郷士階級がいないと統治の再建に時間がかかるが、だが成功すれば新支配者の影響力は飛躍的に強大なものになるだろう。
ちなみに馬鹿どもとは全支配者のセルリオ傭兵団の事だ。
「ねえベルの様子はどうかしら?殿下と上手くやっている」
アマンダはこれに困惑した、どう答えるべきが迷った、アナベルが何を期待しているのかわかりそうで確信が無い。
「はい、ルディガー様を良くお護りしております」
アナベルが少し顔を顰めたが僅かな一瞬で消える。
「うーん、あの娘けっこうお子様で押しが弱いから心配だわ」
これにはアマンダは苦笑いを浮かべるしか無かった、やはりアナベルは娘をルディガーに嫁がせたいのだろう、するとアマンダとはライバル関係となる。
アナベルが妖しい笑いを浮かべた、アマンダは気を引き締める、こんな顔をするときは碌な事にはならない。
「来年の夏ごろベルの弟か妹が生まれるの」
アナベルが身を乗り出してアマンダにささやく、その美しい花のような美貌が広がった、そして良い香りがする。
だがアマンダは衝撃でそれどころでは無かった。