不安の影
「アンネリーゼ様はテレーゼに向かっているね・・・」
アウラがふとつぶやく、それはファナではなく自分自身に語りかける様だ。
彼女はそのまま白い真四角なテーブルの前に腰を降ろす、そのテーブルは白い光沢のある極めて高価な一品だ。
「アウラ様はテレーゼがおかしいと言っておられましたね」
ファナの問いかけにアウラは我に返る。
「えっ!?・・・そうねテレーゼにいる間ずっと不快な何かを感じると貴女に言った事がありましたわね」
「はい」
アウラ達はテレーゼ巡見使としてテレーゼ各地を巡り、ラーゼの街でルディ達と出会う、そこでアウラは幼馴染のアゼルと再会を果たし、そしてコッキーと合流したルディ達とリネインまで旅をした事があった。
「テレーゼ巡見の旅の時、アウラ様はいつも眠れないとおっしゃられていましたね」
「嫌な悪夢に苦しんだわ、テレーゼ全体が呪われています、あまりにも巨大だけど薄い、今までだれも気がつく事はできなかった、呪いの全貌を掴むためにテレーゼ各地を巡ったの」
ファナは隣の小さなキッチンに向かうとティーセットをトレイに乗せて戻ってくる、アウラの前に汚れ一つ無い白亜の白磁の茶器を並べると、心地よい硬質で清楚な音が鳴った。
そしていつもの様にアウラの話相手になる為に彼女の左手側に控える。
「それが巡見使の目的だったのですねアウラ様、でも私に教えてよろしいのですか?」
「このぐらいなら貴女も気付いていたのでしょ?」
「はい、巡見使が各地の墓地に立ち寄られていましたから、何かあるのだと思いました」
「テレーゼに幾つも瘴気の河があったわ、その起点が墓地や古戦場や滅びた街の跡でした、いまガリレオ大司教様が中心になって流れを分析しているわ」
アウラは珊瑚色の唇を白磁のカップにつける。
「アンネリーゼ様もそれが目的でしょうか?」
「それは・・・ああ、これは極秘になっているのよ、教えられないわごめんなさい」
「いいえ、私こそ分不相応な事を・・・」
そしてファナは大胆になったのか、何かを決意する。
「あの、差し支えなければどんな夢でしたか?」
「あら、初めて聞いてくれたわね」
アウラはどこか皮肉めいた微笑みを浮かべる。
「昏い暗黒の穴に、数え切れない程の人々が堕ちて行く夢、みんな夢遊病者のように穴に向かって進んでゆくの、時々戦で街や村が燃える夢を見たわ、きっと内戦で命を落とした人々の思念だわ」
「アウラ様それはテレーゼの継承戦争の頃でしょうか?そんな昔の思念が残っているなんて」
「そこまではわからないわ、テレーゼは今も戦が絶えないもの・・・」
テレーゼ最後の夜に見た戦いの光景があまりにもリアルだった事を思い出す。
しばらく二人は沈黙する。
「今はエルニアの禍々しい気配が気になるの、何かがエルニアで起きている」
アウラはファナに語りかけた。
アウラの本名はエーリカ=サロマーでエルニアの港町リエカの生まれだ、エルニア大公妃の招聘した精霊宣託師の送迎の旅にアルムトに行きそこで姿をくらました、エルニアはアウラにとって因縁の土地なのだ。
「アウラ様はテレーゼを巡っていた時にそのエルニアの異変を感じられましたか?」
「いいえ」
アウラは首を横に振ってはっきりと否定した。
「ここに帰ってきてから感じる様になったのよ」
そしてアウラはお茶を飲み干した。
「何が原因なのでしょうか?アウラ様」
「そうね、エルニアに東方絶海の彼方からの漂流船が漂着した事を聞いているかしら?」
「もうしわけありません、私は知りませんでした、ですが私に教えて大丈夫なのですか?」
「もう商人達の間で噂になっているそうよ、ヒメネス様から教えてもらったわ」
ファナがあからさまに嫌な顔をしたのでアウラはそれに軽く笑う。
「そこまでヒメネス様を嫌わな無くても・・・何か気になるの?」
ファナは何かいいかけて口を閉じるそして言葉を継いだ。
「ヒメネス様は少々節度を忘れていると感じただけです、申し訳ありません私見にすぎません」
「まあ・・・いいわ、貴女が私の事を心配してくれているのを良くわかっていてよ?」
「はい申し訳ありません・・・」
またしばらく二人は沈黙してしまった。
「エルニアがよく見えないのよ、言葉で例えるのが難しいけど、黒い霧がかかっているようで怖い」
ファナはふたたび話し始めた主人の独り言を妨げない様に静かに聞いていた。
「黒い霧ですかアウラ様?」
「瘴気の壁があるみたいに見通しが悪いの、私が敏感すぎるせいかもしれないけどね」
アウラは両手をあげて背伸びをする。
「アウラ様、そろそろお休みになってはいかがでしょうか?」
「そうね休むわ」
二人はそのまま聖女の寝室に向かった、壁の告時機は夜の9時を周ろうとしていた。