武神アンネローゼ東へ
夜の森の木々の隙間から一つの灯りが見える、近くの深い茂みの中から灯りの方向を観察する大男がいた。
彼の頭は完全に禿げ上がり旧い刀傷が残っている、薄汚い革鎧は泥と血の跡で汚れ金具は錆で赤黒く変わっていた、それが揺らめく光に淡く照らしだされる。
「なんだ、本当にこんなところで野宿をしている奴がいるとは」
男の声は太く低くなまっている。
「俺れらの縄張りの近くとは能天気な奴ですぜ親分」
近くの茂みから別の男の声が答える、彼らはこの近くを縄張りにするケチな野盗団だった。
「まあ一人じゃ大した物もねーだろうがいただくぞ、周りをかこめ笛を合図に殺るぞ」
「へい・・・」
藪をかき分ける音が聞こえる、どうやら数人ほど仲間がいるらしい、だが静かに動くのは得意では無いようだ。
そして頃合いを計り大男は草笛を鳴らす、茂みが激しく音を立てた。
包囲した男たちが焚き火に向かって動き出したのだ。
その瞬間寝ていたはずの人物がゆらりと起き上がった、ゆらりに見えたが空から針金で吊るされているかのように素早い。
野盗達の足が止まった。
その人物は全身を厚手の布で巻いている、そして露出した頭は焚き火の光を反射して黄金色に輝いた。
「なっ!?」
野盗達も驚きで戦意を失う、その顔は美しい女性だったからだ、美しいと表現するだけではとても足りないほど強烈な衝撃を見る者に与える美貌。
薄く日に焼けた健康的な肌と燃え上がる炎の様な金髪、そして強い意志の力を放つ氷の蒼の瞳。
形の良い唇は挑戦的に不敵な笑みを湛えていた。
それでも野盗達は我に帰ると焚き火に近づき始めた。
「なんだすげー上玉じゃねえか」
男たちの下卑た笑いがそれに唱和した。
盗賊団は総勢六名だ、略奪したのか不統一な装備で身を固めている、どれも整備されておらず不潔で汚れていた、そして彼らの目は欲情に爛れそれは眼の前の女性に注がれている。
「汚れた魂を引き寄せる、我の宿命だな」
女性の声は覇気と気品に満ちていた、そこに怯えも動揺もない、野盗は一瞬だけ動きを止めたがすぐに進み始める。
「お前たち、ここにいるのが全員か?」
「あーん、それがどうした全員だぜ?」
親分と呼ばれた大男がそれに応えた、かれらは完全に油断していたのだ。
「それはいい、出向く手間が省ける」
女性は突然全身を包んでいた布を力強く取り払う、その瞬間突風が吹うように布が巻き上がり近くの木の枝に巻き付いた。
今度こそ男たちは驚愕し彼女の姿に魅入られてしまった。
全身小麦色に日に焼けた美の化身がそこにいる、無駄無く鍛え抜かれた四肢と完璧な調和のとれた肢体、
最小限の面積の白い布と黄金の装飾品が全身を飾っている、そして香油を全身に塗っているのか、炎の光を全身が宝石の様に反射していた。
だが陶然と魅入られていた男たちの顔から血の色が引き始める。
この姿はエスタニア大陸すべてに知られていた、聖霊拳のグランドマスターにして破魔の聖女にして、
武神と称えられるアンネローゼ=フォン=ユーリンその人だ、彼女の二つ名は幾つも知られていた、太陽の化身、黄金の女神、その名はエスタニア全土にとどろき庶民に絶大な人気があったからだ。
こんな姿で旅をして無事でいられるのは彼女ぐらいのものだろう。
彼女をよく思わない者達は聖なる痴女と陰口を叩く。
「ああ、鋼の聖女だ!!」
それは絶望の叫びだ。
「なんでこんな所で・・・」
誰かがつぶやいた。
こんな辺境で犯罪者を都市の支配者や領主に突き出す者などいない、突き出したところでその末路は知れていた。
野盗団の運命は初めから定まっていた。
「違うぞ、汚れた魂が自ら寄ってくるだけだ!」
壮絶なまでに美しい戦いの女神の言葉に男達の心が折れた。
「うあぁ、にげろ・・・」
それは野盗共の最後の叫びとなる、だが彼女から逃げ切れるはずなどない。
その夜また盗賊団が人知れず世界から消えた。
アンネローゼは白い旅行用のローブをまといその肢体を隠した、ローブは聖霊教の旅の修道僧のローブによく似ていた。
そして焚き火を丁寧に足で消しながらぼやく。
「せっかくの眠りを妨げよって」
すると森の奥からオオカミ達の遠吠えが聞こえてくる、野盗団の後始末の為に森の掃除屋達が動き出したのだ。
アンネローゼは荷物を拾うと背中に背負った、そして森の中を東に歩き出す。
「あの山を越えるとテレーゼか、あそこにアイツがいる今度こそ逃さず滅する」
更に歩みを早めたが、真っ暗な森の中を迷うこと無く進んで行く。
「どういたしましたかお嬢様?」
ポーラがドロシーの前から茶器を片付けながら主人の異変に気付いた。
「うむ、今背中がゾクゾクした、旧い知り合いが近づいて来る予感」
「お嬢様のお友達でございますか?」
「ちがう敵」
「まさかお嬢様が恐れる者がいるなんて」
「裸の女に狙われている・・・」
ポーラが目を見開き驚いた、ポーラの茶色の瞳は今はもう赤く爛れている。
「まあ・・・嫌でございますわね、ちよっと私が始末してきましょうか?」
「だめよポーラとても敵わない、私でも苦戦する化け物」
「まさか、そんな相手がいたのですか!?」
「聖女アンネローゼ=フォン=ユーリン、知っている?」
今度こそポーラは絶句した。
「知っていますとも、鋼の聖女様を知らない者なんていませんわ、私もファンだったのです・・」
するとドロシーは薄く微笑みポーラを見上げた。
「ポーラもファンだった?」
ポーラは妖しく微笑んだ。
「もう敵になってしまったようでございます」
「そうね私の予感は当たる、あいつが近づいて来るのを感じる」
「どういたしますかお嬢様?」
「一度あってみたい、もう大人になっているから」
ポーラは意外そうな顔をしたが主人にそれ以上尋ねる事はしなかった、ドロシーが何か物思いに浸り始めたからだ、そんな時は邪魔をしてはいけない。
茶器を片付けると執務室からポーラが引き上げてゆく。