ポーラの再誕
突然ポーラが背後のドロシーに語りかける。
「エルマ様が言っていました、悲しいことも辛い事も忘れてしまったと・・・」
「忘れるわけじゃない、感じなくなるだけ」
ポーラは軽く目を瞠った。
「忘れるのではなく感じなくなるのですか・・・」
ポーラの体が細かく震えた。
「そう心の形が変わる、だから辛いことに耐えられる」
「そうなのですね、お願いしますお嬢様もう心が張り裂けそうなんです」
半分振り返ったポーラは涙を流していた。
「私が目覚めた時大切な人はみんな死んでいた、でも思っていたような苦しみがなかった」
そのつぶやきをポーラは聞き逃さなかった。
「エッ!?」
「ふふ昔話よ、ポーラ心は決まった?終わったら貴女は私の家族」
ドロシーは微笑んでいる、それはどこか透明な淋しげな微笑みだ。
「家族ですか、すっかり忘れておりました、それも良いかもしれませんね」
「じゃあはじめる」
すると肉が避けるような不気味な音が聞こえてくる、ドロシーの薄く開いた唇の隙間からから先の鋭い犬歯が頭をのぞかせた、そして瞳が真紅の光を放ち初めた。
「ひっ!!」
ポーラは恐怖にこわばり目を見開いて叫ぶ。
「ひいっ、いやあ~化け物!!」
ドロシーはポーラの肩を掴み揺るがない、ポーラの力では闇妖精姫の力に対抗できるわけがなかった。
恐怖と絶望を表情に張り付かせたまま身動きがとれず、陸に上げられた魚のように口を開け閉めするだけだ、やがてポーラの首筋にドロシーの牙が突き立てられる。
すぐにポーラの顔から恐怖と絶望が消え去る、そしてポーラの瞳から光が消えた。
しばらく二人はそのままの姿でたたずんでいた。
その沈黙を最初に破ったのはポーラだった。
「まあ、とても清々しい気分ですお嬢様」
「貴女の血、美味しかった」
「ああ嬉しいです!あのどんな味がしたのでしょう?」
ポーラは顔色が悪く血の気が抜けて白くなっていたがその表情は爽やかで明るい。
「貴女の苦悩、悲しみ、怒り、絶望の味がしたわ、だから美味しい」
「私の苦しみをとり除いてくださったのですね、とても心が軽くなりました、体も軽くなった気がします!」
「机の上のペン立てを持ってみて」
突然の命令に戸惑いながらポーラはペン立てを手にした、そして何をするのか問いたげにドロシーを見つめている。
「力いっぱい握りしめる」
するとバキッと破壊音が鳴り響いてペン立てが砕け散ると破片が散らばった、驚いたポーラが慌ててペン立ての残骸を床に投げ捨てる。
「ポーラの力は強くなった気をつけるように、あとで注意する事を教える」
ポーラは自分の手の平を見つめるとニンマリと笑った。
「これは凄いですねお嬢様!何でもできる気がします」
ドロシーはポーラの前に廻る。
「ねえポーラ貴女はカミラの事どう思う?」
ドロシーのストレートな質問にポーラは落ち着いて考えると答えが決まったようだ。
「そうですね、あの眷属にしても良いでしょうか?」
「エッ!?」
これは意外だったのかドロシーの方が驚いてしまう。
「カミラを家族にして欲しいの?相手がわるい、それにあの娘は家族にすると面倒そう」
そう言いながらも真紅の下で唇をなめた。
「私の眷属にしたいのでございます、お嬢様!」
またドロシーが驚き目をみはる。
「もしかして復讐したい?」
ポーラは力強く頭を左右に振った。
「とんでもございません、私が永遠にお仕えする為ででございます!」
ポーラはどこか歪んだ泣きそうな笑いを浮かべると、唇の隙間から鋭い犬歯が頭をのぞかせた。
ドロシーはポーラに近づくと両肩を掴む。
「悲しいのねポーラ」
するとポーラの目から赤い涙が流れ落ちる、その滴が頬をつたわり流れ落ちる。
「へんですわね、もう悲しみも苦しみも感じないのに」
「それが最後の貴女の心」
ドロシーの形の良い少し厚めの唇の間から細く長い血の色をした舌が這いずり出る、独立した意識のある生き物のようにうごめいた。
その舌の先がポーラの頬を流れる血の涙をすくい取った。
ポーラは恍惚としながらそれを見ている。
「私の総てがお嬢様と一つになった気がします」
「それが私の家族になるということ」
ドロシーの微笑みは慈愛に満ちていた、遥か昔の古代文明の神話に残された闇の聖母の伝承を思わせた、それは古代から伝わりそして変質した神話の中の存在だ。
学者の一部は妖精族が闇妖精に堕ちた時代の言い伝えと推察していた。
いま彼女の瞳の奥に静寂と虚無の慈愛がたしかに存在している。
「ポーラあなたは生まれ変わった、私達と永遠を生きる」
「はいお嬢様!」
ポーラは朗らかに力いっぱい答えた。