ドロシーの寝室
ハイネのコステロ商会の敷地の北西の端に人工の森がある、その森の木立の上に白亜のゲストハウスの屋根が頭を出していた、灯りが絶えた敷地の中で星明かりに照らされて幽鬼の様に青白く光っている。
やがて遥か上空から屋根に向かって白い小さな何かがゆっくりと降下してくると森の中に消えてしまった。
ゲストハウスのニ階のバルコニーにドロシーがゆっくりと舞い降りる、彼女の青白い全裸が星明かりに照らされ青白く輝く、彼女は高級使用人の制服に身を包んだポーラを抱きしめていた。
ポーラの足が白亜の石板をしっかりと踏みしめるのを待ってからドロシーはそっと手を離す、そしてポーラの顔を見つめると眉の両端を下げる、そして僅かに唇がうごいた。
「ポーラ?」
だがポーラはただ前を見ている、彼女の顔から表情が消えていた、ドロシーはそのままポーラを心配そうに見つめている。
「私の部屋に来て、着替えをてつだう」
ドロシーはそうささやいた、ドロシーの背中の大きなコウモリの羽が消え瘴気に還り消える。
「あの・・・よろしいのですか?」
ポーラが初めて言葉を発した、だがまだ心がここにあらずだ。
この館に引っ越してからドロシーは寝室に誰も入れたことがなかった、子供達もポーラも同様、部屋の掃除は自分でしていた。
ドロシーはうなずいてバルコニーからリビングに入り扉に向かう、その後をポーラが幽鬼の様に続く、二人は廊下の奥のドロシーの寝室に向かった。
ドロシーが扉を開くと中に入る、ポーラは真っ暗な部屋の中に入る事をしばらく迷っていたが大人しく後に続く、すると部屋の中が青白い光で照らされる、ドロシーが青白い光の玉を生み出したからだ、光球は部屋の真ん中の天井付近に留まっていた。
青く照らし出された部屋の様子は、コステロ会長の至宝『真紅の淑女』の寝室とは思えないほどそっけなかった、豊かな平民の娘の私室にしか見えないのだ、壁際に置かれた本棚に遠国の土産物らしい妖しい品物がいくつも並べられていた。
部屋の真ん中に大きな寝台が鎮座している、その上に場違いな黒塗りの棺桶が置かれ棺は魔術の光を照り返していた。
ベッドの側の床にドロシーの衣装が一塊になって落ちていた、彼女が青い霧に変身した時にこの場に残された物だ。
「てつだって・・」
ドロシーの言葉に棒立ちになっていたポーラが力なく動き出す、まずドロシーの肌着を着付ける、最後にコステロ商会の高級使用人の制服を整える。
ドロシーがポーラに向き直った、部屋の片隅に置かれた小さな書記机と小さな丸椅子を指さす、これはそこに座れと言う意味だ。
ポーラはドロシーと向き合うように椅子に座った、ドロシーはベッドの端に腰掛けると棺桶にもたれる。
「むかし、貴婦人やご令嬢の護衛をしていたの」
突然の想い出話にポーラは驚きのあまり目を見開いた、まさかの真紅の淑女の告白に驚いたのだ。
「えっ?お嬢様が・・・」
「こまかい事は気にしない、わたしは貴族の女性の事を少しは知っている、仕える者に情を移さない事を求められる、いい?」
ポーラは力なくうなずいた。
「ほとんどの人は節度があるのだけれど、わたしは殿方にも女性にも人気があった、あの頃は気にしなかったけどそれは妖精族の力だった」
「闇妖精の力でございますか?」
ドロシーは少し小首をかしげて考えてから続ける。
「まあそんなところ、護衛として話し相手として仕えないかと誘われた事もあった、でもことわった」
「そうでございますか・・・」
ポーラはあまり関心が無い様だ、彼女は重い想いに苦しめられそれどころではない。
「貴女に似た目をしていたわ」
ポーラは驚きのあまり腰を少し浮かせる。
「エエッ!?」
ポーラは赤く染まった目をドロシーに真っ直ぐ向けた。
「涙が出るならもうすぐ苦しみも終る」
「ええ泣いておりました・・・苦しみで心臓が止まりそうでございます」
「ねえポーラ、貴女はカミラを愛している」
ポーラは今度こそ衝撃を受けて驚きに目を見開き震え始めた。
「そんなまさか、ありえません!!」
否定するようにポーラは頭を左右に振った、そして彼女の顔色が赤く染まって行く。
「貴女の心に正直になりなさい、そこに真実がある」
今度は両手を顔に当ててポーラは震え始めた。
「西エスタニアやこっちの砂漠地帯の貴婦人にそんな嗜好の女性がいる、多くはないけど」
「いいえ私の気持ちは、カミラお嬢様に対する敬慕と忠誠の気持ちなんです!!」
そう叫びながら否定するように頭を左右に振っている。
「私も貴女と出会ってから昔のクライアントの婦人の事に気付いた、わたしも呑気者だった、ねえ貴女がカミラの話をする時瞳から熱を感じた」
ポーラは両手を顔に当てたまま動きを止めた。
「ポーラが本当の気持ちを知らないと何も進まない」
ポーラが何かうめくように叫び始める。
「あああ~」
ドロシーがギョットした様にポーラを見つめる。
やがてポーラが頭を上げると両手を降ろした、ポーラは歪んだ笑いを浮かべている、その瞳は異様な光で満たされていた。
「お嬢様、本当の気持ちに気付いてしまいました!気づかないまま死んでしまえば良かったです!!」
ポーラはうめく様に怒鳴る様に叫んだ。
「そうですとも、私はカミラ様を愛していたのです、なんて事でしょう、許される事ではないのに」
歯を食い縛るポーラの両目から涙が溢れた。
「それなのに私はカミラ様の記憶の隅にすら居場所がなかったのです、本当の事なんて知らないままでいたかったのに!ああ苦しいです、このまま消えてしまいたい!あはは」
「ポーラ?」
ドロシーはポーラの前にすばやく動くと両肩を掴むとポーラは落ち着きを取り戻す。
「ああ、お嬢様もういいんです、私はお嬢様達に仕える様になってから少しずつダメになっていたと思います」
「ポーラ・・・」
「これは精霊王様のお与えになった罰なんです、もう壊れて楽になった方がいいんです、もうこんな気持はたくさんですから、もう直すのをやめてくださいお願いします、もうすべて忘れて消えてしまいたい」
ポーラの眼から涙があふれる。
「なら私の眷属になる?」
ドロシーの提案にポーラはまた驚いた。
「あの、なぜ今まで私をエルマ様達の様にしなかったのですか?」
「私が欲しいのは家族、そして友達、力ずくで手に入れるものではないから」
淋しげにポーラは笑った。
「うふふ、たしかにそうですわね、あの眷属になるとどうなるのですか?」
「人間性の一部を失う、そして永遠の闇の生を得る、でもこれは死と変わらない、心が滅びないだけ、説明が難しい」
「私には未練はありません、もう帰るところが無いと今夜はっきりいたしました」
「眷属になったら二度と戻れない、それでもいいの?」
ポーラははっきりと頷いた。
「闇妖精姫の上位眷属は大きな力を持つ、そして新しい闇の命を得る、さあポーラ立って」
ポーラが幽鬼の様に立ち上がる、ドロシーはゆっくりとポーラの後ろにまわりこんだ。
「じゃあはじめる」