妖しき森
ベルはエスタニア大陸北東部を拡大した地図の上に、魔術陣地を重ねる作業に集中している、彼女が地図の上に描く術式は、先日魔道師の塔から奪い取った古書の特殊な魔術陣地の術式だ。
術式の中心をドルージュ要塞の廃墟に当て、制御術式と思われるサークルをハイネ城に当てる、地図の縮尺と本に描かれた術式は同じではなかった、ベルはアゼルとホンザから借りた三角定規とコンパスを使いながら悪戦苦闘している。
「ずいぶん大きいな」
いつの間にかルディが地図を覗き込んでいた。
地図の上に巨大な首飾りの様な図形が描かれ、大きさはハイネの北のマルセランを内側に収め、東側はリネイン城市の東の森林地帯まで、南側は南部の雄ベンブロープ公爵の領都リエージュを包み込んでいる。
テレーゼ東部をほぼその中に納めていた。
「うん大きいね、この丸の中心に何かがあるのかな?」
ベルはペンの尻で地図をトントンと叩いた、そこは真珠の首飾りの様に連なる小さな円の1つだ。
『そうじゃの、何かあるやもしれぬの』
ルディの胸のアマリアのペンダントが再び声を発した。
「愛娘殿、ここに何があるかわかるか?」
『うむ、魔術陣地術式のような物だろうが、これはわしの知らぬ新しい魔術陣地じゃくわしく調べねば何とも言えぬ』
「全部で18個あるけど、ここから一番近そうなのはここかな?」
ベルがハイネの北西にあるサークルの1つをペンの尻で叩いた。
「前にリズ達を連れて行った場所に近いな」
ルディの言葉にベルもうなずいた。
「じゃあすぐに行こう、まだ時間があるよ?」
『いやまて、ここは森ではないか探しにくかろう、西にせんか?』
アマリアの指摘にルディとベルは考え込んでしまった。
「ハイネの西は街道があるから畑が開けている、こちらの方が探しやすいか」
地図を睨んでいたルディがベルを見つめた、間近で見つめられてベルは体を後ろにそらす。
「そ、そうだねルディ、目立つ物があれば遠くからも見える」
「ああそうだな、アゼルとホンザ殿にも来てもらおう」
ふたりは頷くと椅子から立ち上がる。
キッチンの方からコッキーの声が聞こえてくる。
「私はお留守番です、いろいろやらなきゃならない事があるのですよ」
最近聴覚が鋭くなった彼女はリビングの会話を聞き逃さなかったようだ。
するとリビングに繋がる部屋の扉が開くと、アゼルとホンザが出て来た。
ホンザは手に持った幅広の三角帽を頭に乗せると、白い長いひげを撫でた。
「速いほうが良いの、急ごうぞ!」
二人の後ろから出てきた白い猿のエリザがアゼルの肩に飛び乗った。
アゼルはそれに優しく声をかけた。
「エリザ貴女は留守番をお願いします、コッキーがいますから大丈夫ですよ」
キッチンからまたコッキーの声が聞こえてくる。
「アゼルさん、お猿さんにちゃんとご飯を上げておきます」
「コッキーお願いします!貴女も彼女の言うことをききなさい」
アゼルはエリザを優しく撫でた。
ローブの前の留め金を締めてからアゼルがみなを見回す。
「では行きましょう」
エリザがアゼルの肩から飛び降りると丸テーブルの上に駆け昇る。
「いってらっしゃいなのです」
キッチンの入り口から美しい少女が顔をのぞかせる、四人は軽くコッキーに別れを告げると魔術陣地から姿を消した。
後に一人と一匹だけが残された。
ハイネの西側に広大な田園地帯が広がっている、その真中をまっすぐ西に伸びる街道はハイネ=ヘムズビー街道だ。
あたりは見晴らしが良いが四人は途方にくれていた。
広い麦畑と野菜畑が交互に重なり牛の放牧地が広がり、ところどころに農家が数軒集まった集落が点在している、まるで絵のような美しいテレーゼの田園風景が広がっていた。
空は快晴でテレーゼの蒼と謳われる抜けるような空が広がっている、まだ日は天に昇りきってはいない、そして心地よい風が肌を撫でた。
「これ小さな円に見えるけど、差し渡しが何キロもあるよ・・・」
地図を見ていたベルがつぶやいた。
「殿下、ここはこの円の中心近くですね」
アゼルの意見をルディは認める。
「ああこの近くのはずだが、ベル何か感じるか?」
ベルは非常に優れた探知能力の持ち主なのだ。
「まって、調べてみる」
ベルは歩くのを止めるとまっすぐ前を見る、次第に彼女に精霊力が満ち溢れそれが薄く広がって行った、ルディはその力が巨大な網の様に感じる事ができる、そしてベルの緻密な力の制御に内心舌を巻く。
彼女の眼の奥が薄く黄金色に輝く、だが精神集中を乱さぬために誰も声をかけなかった、やがて黄金の光が薄れ魂が戻るとピクリとベルの体が震えた。
「西の方に大きな命の塊を感じる、セクサドル軍かもしれない」
ルディがほうと言った顔をするが、ベルはかまわず続けた。
「周りは命の光だらけだ、でも灰色の淀みを幾つか捉えたよ」
「ベルなにがある?」
ベルがある集落を指さす、そして指をずらすとそこに小さな森が見えた。
「あそこに墓地があるな、森の方は行ってみないとわからない」
「森に行こうぞ、墓地は目立ちすぎるわい」
ホンザの提案にみな賛成した、墓地に瘴気がるのは不思議ではないが、森に何かがあるのは間違いなかった。
四人が小さな森に踏み込むと空気が重く感じられる。
「ほほう、何かありそうじゃな」
ホンザが眉をひそめ周囲を見回した、大きな森では無いので木立の向こうに田園が広がっているのが見える。
やがて先頭を警戒しながら進むベルが何かを見つけた。
「ここを見て、ここに何かがある」
四人が茂みをかき分けると、瘴気が吹き出して来るのを感じる、ベルが茂みの中に踏み込むと愛剣グラディウスを選ぶと藪と下草を切り払う。
アマリアからもらった精霊変性物質の剣は使わない、細身の黒い剣は切れないものを切る為の武器だ、ルディの『無銘の魔剣』が例外だった。
だが湿った地面が出てきても特に何も見つからない。
『何も無いな、ペンダント越しではわからぬが・・・』
「愛娘殿、だがここから瘴気が吹き出してきている」
「だが少ないのう、これだけ大掛かりな魔術陣地の仕掛けの割に魔力の漏れが少ない」
ホンザがあごひげを撫でながら切り開かれた地面を覗き込む。
「ホンザ、やっぱり魔界の魔力と瘴気は同じものなの?」
「そうじゃよ」
ベルの質問をホンザは肯定する。
「中心には何も無いのかもしれません、ホンザ殿」
アゼルが何かに気付いたように呟いた。
「なんじゃと!?」
ホンザの驚きが伝わってくる、一般的に魔術術式の中心にこそ術式の核心があるのだ。
『ほほう、なるほどな、中心に核心が無い術式か』
「近くをさがそう!」
ベルが立ち上がると森の中を調べ始めた、皆も手分けして捜査を始める、やがて地面の中から丸い石板が幾つも発見される事になった。
それは魔道師の塔から奪ってきた書籍の中の魔術陣地のミニチュア版とも言える形に並べられていたのだ。