古きを温め新しきを知る
優介は私を何処へ連れて行こうとしているのだろうか?
私たちは病院を後にして、車に乗り街の中を走る。ビルの山が後ろに過ぎ去り、だんだんと街の建物も低くなって行き、まばらになる。
車はまだ緑になりきれていない木々の中を走る。向う先がわかった。
優介の気持ちも手に取るようにわかった。
私たちが毎年かならず決まった日に来る場所。そこは澄香さんの墓地にあった。
私が子宮を亡くした日にかならずお参りに来る場所。
澄香さんが眠っている墓地のちょうど入り口に大きなお地蔵様が立っている。
……水子地蔵
小さな小さな命を宿しながら、生まれてこの世に存在す事のできなかった私と優介の子供。
毎年、私達はこのお地蔵様の所で子供と再会する。
この場所に立つたびにいつも心が締め付けられて、知らないうちに涙を流してしまう私がいた。
優介と手をつないでお地蔵様の前に立つ。
「今日はお前に、お母さんの姿を見せたくて此処に来たんだ」
優介がそうお地蔵様を前に言う。いったいそれはどうゆう意味なんだろう?私は不思議に思い、優介の横顔を見つめた。
「お母さんの凛としてカッコイイ姿をお前に見せたくて、今までお父さんの力不足でお前にもお母さんの悲しむ姿しか見せて上げられなかった……だけど、今日は違うぞ。ここに立ってるお母さんは強くてとってもカッコイイだろう?」
優介はそう言って、私の方を見つめて微笑んだ。
私は優介の言葉に今まで感じた事のないような衝撃を受ける。
今まで過去の出来事から目を背けていた自分、そして毎年此処に来て、過去に触れるたびに言いようの無い悲しみに襲われていた。
優介はそんな私の姿を毎年見てきた……そして子供の前でもそんな姿を見せていた。母親失格ね……
優介が言ってくれた言葉「あの男に触れることが出来た事が、過去に打ち勝った証拠」
そうかもしれない。
今まで口にする事すら辛くて出来なかった事、それがあの義父の姿を見た時、自然と触れる事ができていた。そんな自分に驚いたと同時に心の中にあったしこりの重さが軽くなったように感じた。
悲しいとか辛いとか苦しいとかじゃなくて、違う感情が生まれて涙が止まらなかった……。
そして今、この場所に立っても冷静でいられる自分がいる。昔を思い出してもその現実を思い出として処理できる自分がそこにはいるような気がした。
「今のお前は今まで見てきた中で一番綺麗だよ」
優介がそう言って、私の手を引っ張り自分の方へ引き寄せ抱きしめた。
「優介ごめんね……そしてここに連れてきてくれてありがとう」
温かい春の風が吹き、一瞬私達の周りを一周するかのように舞い過ぎ去っていった…。
仄かに春の香りがした……
私達は車に乗りマンションに戻る。
優介がなんとなくもの言いたげな雰囲気をもつ表情をしている。
「何!?」
私はその雰囲気に誘われるように聞いた。
優介は一瞬私の方を見て、楽しそうに微笑んでいた。
「本当は帰ってきたらすぐに話そうと思ってたんだけど……ああゆう状況だったからさ……」
優介は前を見ながら、早く言いたくて仕方が無いようなそんな素振りを見せている。
そっか、そうだよね……言える雰囲気じゃなかったもんね。優介に悪い事しちゃったな。
「元木監督、覚えてるだろう?」
優介がそう言いながら私を見る。
私は頷いた…かなり前に優介に色々あった時に一緒に仕事しようとしていた監督さん。
「監督から一緒に仕事をしようって誘いがあったんだ」
優介が本当に嬉しそうに目を輝かせてそう言った。そんな優介を見て私まで嬉しくなる。
「それで、これから話す事はお前に相談なんだけど、その映画の内容が主人公が女性で俺はその旦那役。女性は子宮ガンで亡くなっていく。その女性とその家族愛を描いた作品なんだけど……どう思う?」
事後報告の多い優介がわざわざ私に相談してきたのは、内容が私の境遇に似てるからね……その内容を聞いてなんとなく嬉しい。だって元木監督はそうゆう内容だからきっと優介にって思ったんだと思う。確かに悲しくて辛い経験だったけど、その経験は誰もができるわけじゃない。そして経験した者にしかわからない気持ちがある。
元木監督の目は確かね!これ以上ピッタリな俳優はいないと思う……。
「私もその映画が見たい」
私は優介に微笑みながらそう言った。そして思う、確実に過去の辛い記憶が思い出に変わりつつある事を……。
「相手役はもう決まってるんだぞ……誰か聞きたいか?」
優介が、ウキウキしながら私の答えを待っている。聞いてほしいんだよね?
わかりやすくて、本当に可愛いんだから!
「誰なの?」
私は優介の期待に答えて聞いてあげた。
「夏川由美だ」
え!?優介の答えに私はちょっと驚く。だってその人って……
「長谷川さんの結婚相手!?来月、結婚式よね?招待状きてたよね確か……」
優介は楽しそうに頷いてる。
「へ〜…長谷川さんやきもちやいたりしないのかな?」
「これは駿の意向でもあるんだ、由美ちゃんの演技の幅も広がるし、それに駿の結婚相手ならお前も安心だろう?」
優介はそう言うと私の手を握ってきた。
そうか……みんな優しい……私のためにそこまで考えてくれて、いくら感謝してもしたりないくらい……。
「それからこれは俺からの頼みだ……でも嫌だったら断ってくれ……由美ちゃんにお前が経験した事、その時に感じた事を話して上げられないものだろうか?」
優介は真っ直ぐ前を見たままそう言った。
今なら大丈夫かな?普通に話せるかな。
「……たぶん大丈夫だと思う」
私の中に小さな不安はあったけれど、思い出に変えるいい機会を与えてもらったような気がした。
優介は握っていた私の手を口元に持っていくと軽く口づけをする。
私は横に体重をずらして、優介の肩にもたれた……。
眼の前の太陽が西の山に隠れようとしていた。
「いい作品にしてね」
私はそんな太陽を目を細めて見ながら呟いた。
麻未の中で悲しみでしかなかった過去は少しずつ思い出に変わろうとしている。
元木監督との映画は、優介にしか出来ないような役柄だった。それに対しても素直に喜べる麻未だった。
長谷川駿と夏川由美の結婚式に出席する二人、そこで麻未が口にした言葉とは!?