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この家の、あかり  作者: めこねこ


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エピローグ 絶やさぬ、あかり

 諭吉さんがいなくなって、最初に気づいたのは、窓辺が静かになったことだった。


 あのヒトは、気がつくといつも窓辺にいた。


 朝も、昼も、夕方も。外を見ていた。何を見ていたのかは、最後までわからなかった。でも、あそこに諭吉さんがいる、っていうのが、この家の当たり前だった。


 今は、誰もいない。

 窓辺に、誰もいない。


 諭吉さんがいなくなってから、みんな、なんとなくそこに近づかなくなった。行ってはいけない気がしていたのか、それとも、行けなかったのか。どちらでもあった気がする。


 最初の何日かは、そこを見るたびに、胸がつかえた。匂いがまだ残っていた。残っているのに、いない。それが、つらかった。


 あたしは近づけなかった。


 何日も、そうだった。


 チャトランさんは、諭吉さんがよく座っていた椅子の近くで、ぼんやりと外を見ていることがあった。マロンは、いつもより静かで、パトロールの範囲が少し狭くなった気がした。おはぎは、相変わらず全部を見ていたけど、その目が、どこか遠くを見ているようだった。


 みんな、それぞれのやり方で、諭吉さんがいなくなったことと向き合っていた。


 あたしは、ただ、近づけなかった。


――――――


 ある朝のことを、思い起こす。


 お母さんの目覚ましが鳴った。いつもの時間だった。


 お母さんが目覚ましを止めて、そのまますぐに起き上がった。いつもは諭吉さんに顔をクンクンされて、「もう、わかったわよ」って言って起きていたのに、今日は誰も起こしに来なかった。それでも、お母さんは起きた。


 二階を降りて、すぐにご飯の準備を始める音がしてきた。


 チャトランさんが一番に起きて、お母さんの足元でいつもの声を出していた。いつもと変わらない。でも、その声には、どこかお母さんを気遣うような温かさがあった。


 マロンが廊下を走った。ドタドタって音がした。相変わらず騒がしい。でも、どことなく淋しげだった。いつもなら諭吉さんの椅子の下まで覗きに行くはずなのに、今日は行かなかった。


 おはぎが、静かに起き上がって、部屋の隅から全体を見回していた。あの子のいつもの朝の儀式。全部確認してから動く。でも、今日は、誰かの姿を探しているようにも見えた。


 あたしは、伸びをして、それから、窓辺に行った。


――――――


 諭吉さんが、いつもいた場所。


 誰もいなかった。

 でも、日向があった。


 朝の光が差し込んで、あの場所だけが明るくなっていた。まだ少し肌寒い朝だったけど、諭吉さんと並んで座っていた頃と、同じ角度で、同じあたたかさで、光が来ていた。


 あたしは、そこに座った。

 はじめて、そこに座った。諭吉さんがいた場所に。


 あたたかかった。

 光のあたたかさだけじゃなかった。何か、もっと別のあたたかさがあった。うまく言えないけど、あった。


 諭吉さん、眺めがいいからここにいるって言っていたけど、違うじゃない。どこよりも朝の光があたたかくて、どこよりも日向がやわらかいじゃない。ずっと独り占めしていたのね。ずるい。


 そう思ったら、いつもは凛としている諭吉さんが、いたずらっ子のように笑う顔が浮かんだ。


 匂いが残っているかな、と思ったけど、もうしなかった。でも、なんか、いた気がした。気がしただけかもしれない。でも、した。


――――――


 でっかい人が、リビングに降りてきた。


 いつもの時間に、いつもの椅子に座った。座る前に、椅子の下を、ちらりと見た。

 何も言わなかった。ただ、見た。それから、いつもみたいに、コーヒーを飲んだ。


 あのヒトは、毎日そこに一声かけてから座っていた。声に出していたのか、心の中だけだったのか、あたしにはわからない。でも、毎朝、必ずそうしていた。


 今日も、きっとそうしていた。


 男の子が起きてきた。マロンに話しかけながら、ご飯を食べ始めた。マロンの不思議そうな顔に気づかずに、ずっと話しかけていた。誰かの分まで、マロンに話しかけているみたいだった。


 おチビちゃんが、あたしのそばに来た。窓辺に座ったあたしの隣に、そっとしゃがんで、何も言わずに頭を優しく撫でてくれた。

 この子は、いつもそうだ。何も言わずに、そこにいて、あたしたちが欲しい何かを、そっと与えてくれる。


 それが、ちょうどいい。


――――――


 チャトランさんが、ご飯を食べ終わって、窓際に来た。


 おはぎが、チャトランさんの隣に来て、丸まった。チャトランさんが、おはぎの頭を舐めた。いつもの朝だった。


 マロンが家の中をパトロールしている足音がした。いつもの朝だった。


 お母さんがご飯を片付けながら、窓際を見た。少しだけ、目が止まった。それから、また片付けを続けた。


 でっかい人が、椅子から立ち上がった。仕事に行く時間だ。玄関に向かう途中、窓辺のあたしを見た。一瞬だけ、目が細くなった。笑ったのかもしれない。あたしの隣、諭吉さんがいた場所を、見ていたのかもしれない。


 いつもあたしたちを見ているでっかい人。行くときも帰って来るときも、あたしたちひとりひとりに挨拶を伝えてくる。あの目は、行ってきます、だった。


――――――


 諭吉さんがいなくなっても、朝は来る。


 ご飯の音がして、誰かが走って、誰かが笑って、誰かが出かけて。


 変わらない朝が、来る。


 窓辺の日向は、あたたかい。


 諭吉さんが好きだった場所に、今日も光が来ている。


 あたしはそこに座って、外を見る。諭吉さんがいつも見ていた外を、見る。


 何があるんだろう、ってずっと思っていた。見てみたら、ただの庭だった。小鳥が来て、風が吹いて、草が揺れる。それだけだった。


 でも、悪くなかった。


 諭吉さんが毎日ここで見ていたのは、これだったのか、と思った。これだけのことを、毎日、ずっと見ていたのか。


 そうか、と思った。それで、十分だったんだな、と思った。


 あたしも、そう思う。


 竹林で、精いっぱい鳴いていた。台風の夜、知らない家に連れてこられた。諭吉さんが、先に目をそらしてくれた。あたしは、それで、ここにいていいんだとわかった。


 あれから、ずいぶん時間が経った。チャトランさんが来て、マロンとおはぎが来て、この家が賑やかになった。賑やかになるたびに、諭吉さんはどっしりとそこにいた。


 あたしも、そうしよう。


 どっしりと、ここにいよう。


 この家に、あかりがある。


 諭吉さんが灯したあかりが、まだここにある。


 消えていない。


 かぐや、チャトラン、マロン、おはぎ。

 でっかい人、お母さん、男の子、おチビちゃん。


 みんなで、ここにいる。


 それだけで、この家はあかるい。


 今日も、始まる。

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