セレンギル「キレてる……新しい船長はオズディルの10倍頭おかしいぜ……」
海賊の船を強奪した! 海賊マリー。
フラヴィア達を救いたいジェラルドをハマームに届ける為、海を行く。
「なあフレデリク、どうなってやがんだろうなこの風。この辺で夏に北西風とか有り得ねえんだが……まあ都合はいいんだけどよ」
「知らないよそんなの、風に聞いてくれ」
ハーミットクラブ号は追い風に追われるままパゴーニ島を東へ迂回し、追い風に追われるまま内海を南東へと走っていた。この風なら沿岸を回り道で向かうフォルコン号より早くハマームに着けるかもしれない。
空荷は癪だからと、昨日の港でオリーブオイルの樽をいい感じに積んだ。一応商売をしている方が気持ちが落ち着くし。
普段の癖で甲板掃除をしようとしたら、非番の水夫が慌てて飛んで来た。この人は私にサーベルでお尻を突かれた方だったかな。
舵はジェラルドに殴られた方の水夫が取っている。船長室は私とジェラルドが8時間ずつ使う約束になった。
このジェラルドの居ない8時間が辛い……謎の貴公子にして索具やボートの上限定で剣士になれるフレデリク君だが、中身は15歳の貧弱なお針子のマリーである。
甲板には本物の海賊さんが常時4人……ちょっと嫌だなあ。順風の間はこんなに要らないよ。
「セレンギル、水夫は二人勤務二人待機にしてくれ。甲板は操舵と見張りだけ、操帆手は日陰で体力を温存するんだ。そして一日8時間は船員室で寝ろ」
「いいんですか、そんな楽をして」
「逆風が来たら忙しくなるさ。休めるうちに休め」
まあ、私は単に目に映る海賊さんを少なくしたいんですけどね……しかし、逆風は来ない。
「船長、食事です」
そしてこれが堪える……思えば今まで私は大変恵まれていて、つい最近まで、アイリお姉さんが保存食をアレンジして作る美味しい朝食で始まり、野菜やチーズをたっぷり使った夕食で終わる、贅沢な旅をしていたのだ。
今はどうか。私はちゃんと食材を買ってやったんだが……塩漬け肉は切っただけ、固パンは並べただけ。調味料を使う気はないのか。人参も生のまま輪切りにして出して来る。
船には何かの時に漁船のフリをする為の延縄もあるのだが、手入れが悪く殆ど役に立たない。それでもやっているとたまにツイてない魚が引っ掛かる。
大概は小さなイワシだが、海賊共は食べようともしないで、例のぶち猫にあげてしまう。そういえば海賊のおじさん達も猫は好きみたいだ。
そして私は暇だった。
だけどフレデリク君が料理をするのはおかしいよなあ。私でも海賊のおじさんよりは美味い物が作れると思うんだけど……何とももどかしい。
さすがに私が15歳の小娘だとバレるのはまずいと思うし。どうしたものか。
その日の日没近く。
「甲板! 西に船影!」
西日を受けて一隻の船の影が見える。あの帆影はまさか……! ジェラルドもそれに気づく
「クソ、我が物顔だぜあの野郎」
「サイクロプスだな……まさか行先は同じじゃないだろうな」
近くに居た水夫がそれを聞いて震え上がる。
「サ……サイクロプス……!」
「前にも見た事が?」
「やられたんでさぁ、奴は軍艦でも海賊でも見境なしだ。あっしが漕ぎ手で乗っていたガレアス船、まあ海賊だったんですけど、それが野郎と戦ったんです。こっちは3隻だし乗員は5倍、負ける訳が無いと思ってやした」
ふーん。どうしよう。まず、今私が乗ってるのはフォルコン号じゃない。
それから、昔ロイ爺は軍艦に近づくなと言ってたけど、海賊はもっと近づくべきでないと思う。まあ今はこっちも海賊だけど。
檣楼の上の見張りが叫ぶ。
「あちらさん、ややこちら寄りに転進中!」
サイクロプス号が針路を寄せて来た……という事は、向こうはこの船に何か用があるのか。
「逃げましょう、親分!」
セレンギルも駆け寄って来て叫ぶ。親分? 私の事を言ってるのか。
「何で逃げるんだ! 俺は奴を捕まえる為に出撃したんだぞ! だけど今戦っても絶対勝てねぇし。まあ、逃げるべきだな……ああ、真っ直ぐ逃げると危ねえ、艦首砲で撃って来るかもしれん」
ジェラルドは一瞬セレンギルに抗議するような気配を見せたが、すぐに態度を翻してそう言った。私は腕組みをしたまま答える。
「進路はこのままでいいや。この船じゃ逃げようったって逃げられないんだから、向こうがどういうつもりなのか見てみようじゃないか」
水夫達から溜息が漏れた。何か?
「なあ……前にマリー船長には聞いたんだが……お前には聞いてなかったな? お前はファウストと面識があるのか?」
「僕には彼との面識は無い……マリー船長から聞いた程度だ。マリー船長はどこまで話した?」
白々しい私の台詞に、ジェラルドは普通に頷く……本気で別人だと思っているのね。
「海賊だとは知ってる、パパに通報したと。まだ何か隠してる感じだったけどな」
「ファウストという男は最近、ドナテッラ号という貨客船に一人で乗っていた。8月前半の話だ。ところが船内で事故を起こしてね、怒った船員達に縛り上げられた……ドナテッラ号の人々は、それが偽名を使っているファウストだとは知らなかった」
「……おい、何の話だ?」
「偶然近くに居たフォルコン号は、炎上するドナテッラ号の救援に駆け付けた。ドナテッラ号の乗客はフォルコン号に移乗してジェンツィアーナに到着している……ここまでは普通の話なんだが」
「捕まったファウストはどうなったんだ?」
「ドナテッラ号の乗組員の私刑を受けた。砲丸と共に海に投げ込まれたんだ。フォルコン号の乗組員はその名前も知らない男を海の中から救い上げ、陸に放した。マリー達がその男がファウストだったと知ったのはずっと後の事だった」
ジェラルドは腕組みをして頷く。
「ファウストはマリー船長に借りがあると? じゃあ、アキュラ号がサイクロプス号に追いついた時に、野郎が間に挟まれたフォルコン号ごと砲撃して粉砕しようとしなかったのはその為か。畜生め」
サイクロプスがだんだん近づいて来る。
「おい、お前とマリー船長はめちゃくちゃ似てるよな? もしかしたらお前がマリー船長の真似をしてたら、奴は攻撃して来ないんじゃないか?」
それに気づかないで欲しかった……いくらなんでもそこまでしたら、ジェラルドや海賊達が気づくよ……これは小僧じゃないって、15歳の小娘だって気づくよ……それは嫌だ。
「誰かが僕をマリーと見間違えるのは勝手だが、女装などお断りだ。そんな事をするくらいなら潔く船に火をつけて体当たり攻撃してやる」
海賊の皆さんが引いている。私も強がってないと正気を失いそうなので仕方ない。
「まあ、短気を起こすな……お前が船尾で手を振ってやるだけで済むかもしれねえからさ……お前ら、パッと見は結構似てるぞ、パッと見だけはな」
どういう意味ですかそれは。失礼な。
サイクロプス号の船影はどんどん大きくなって来る。完全にこちらに近づき、併走しようとしている……しかし、信号旗は出ていない。
こちらは平静を装う。まるでそこに重フリゲート艦に乗った手に負えない海賊など居ないかのように。
「サイクロプス号を見るなよ。見たら石になると思え、前だけ見るんだ……ジェラルド、君も」
私のおかしな命令に皆が従う……全員がこの窮地を私に託す事にしたのか。知りませんよ、どうなっても。
サイクロプス号は停船指示をして来る事もなく、どんどん近づいて来て、しまいには30m横をぴたりと併走し出す……すごいなああの船。船員のレベルも相当高い、まるで軍艦のようだ。
やがてファウスト氏は、サイクロプス号の艦尾楼の上に姿を現した。
私はジェラルドも水夫達もこちらを見てない事を確認してから、マスクごと帽子を取り、お辞儀をして、帽子とマスクを掛けなおす。
氏の、眼鏡の奥から射抜くような鋭い視線が私に降り注ぐ……しかし次の瞬間、氏はその眼鏡を外し、ハンカチを出してよく拭いて……また掛けて……
一瞬だけ見せた、氏の本性と思える冷徹で強靭な意志を感じる美貌を、だらしなく弛め……ニコニコめがね爆弾おじさんは、笑顔で手を振って来た。
サイクロプス号の見事な併走を挑発と捉え、こっちも曲芸でも見せてやる事にする。ズルだけど。
「鉤縄投げは得意なんスよ」
セレンギルはそう言って、鉤付きの縄を投げる……鉤は一回で、10mまで接近して併走していたサイクロプス号の舷側の手摺りに、しっかりと掛かった。
「僕が一人で行く」
「そうは行かねェ。俺もついて行くぜ」
「君もこのロープを渡れるのか?」
「無理だな、やっぱりお前一人で頼む」
ジェラルドについて来られるより、一人で行く方がマシだ。
そう思っていたら……あのぶち猫がやって来た。
「お前、行くのか? 大丈夫かよぅ……」
水夫の一人が、私よりも猫を心配してそう言った。
ハーミットクラブ号とサイクロプス号を繋いだロープ……両船の水夫達は固唾を飲んで見守っているのかもしれないが……すみません、ズルなんでさっさと終わらせていただきます。
私は事もなげにすたすたとロープの上を歩き、サイクロプス号の甲板へと渡る。
大きい……甲板だけで40m近い船だ……索具や滑車の量も桁違いで、圧倒されそうだ。
帆はハーミットクラブ号と併走出来るように、半開くらいに調整されている。見事なものだ。私が見上げる間にも、熟練の水夫達が微調整をしてハーミットクラブ号との併走を維持している。帆の枚数も凄いな。何枚あるんだ。
艦内の様子は、予め聞いてなければとても海賊船とは思わなかっただろう。規律が行き届いているようで、甲板には塵一つない。
そして大砲……私は殆ど大砲を見た事がないので、違いなど解らないのだが……この大砲、すごく新しいんじゃないだろうか? 製造したばかりのように見える。
恐らく、私には多くの視線が降り注いでいるだろう。私は敢えてそれを帽子の鍔で遮る。ロープの上をすたすたと歩き、単身海賊船に乗り込む謎の貴公子……決まった。決まったよフレデリク君。みんな見てるだろうな、私の事。
「がんばれ……」
誰かが呟いた。
「慌てるな……」「舵! もっと真っ直ぐやれ!」
水夫達の声……何の話?
振り向けば。頼りなく揺れるロープの上を一匹のぶち猫が渡って来る。距離は10m、下は海……ぶち猫は渡る、長い尻尾をピンと立てて。
「しっかり」「がんばれ」「あぶない……」「大丈夫大丈夫……」
手を合わせている水夫も居る。
ぶち猫がやって来る……残り2m……1m……
「やったあああ!」「すげええ!」「えらいぞーにゃんこ!」「ああ……良かったぁ」
サイクロプス号の、ハーミットクラブ号の水夫達が、惜しみない拍手を送る中……ぶち猫ちゃんはロープを渡り切り、サイクロプス号の船上に立った。
「良かった……私もホッとしたよ」
ファウスト氏も、眼鏡を外しハンカチで目元を拭う。
カイヴァーン「姉ちゃん……」シクシク
ウラド「やはり、止めるべきではなかったのか」
アレク「大丈夫だよ……船長、みんなの気持ち解ってるよ。だから無茶な事したりしないって」
アイリ「アレク! 本当!? 信じていいのね? あの子、危ない事してないわよね!? 大人しくイリアンソスで美味しい物食べてごろごろして待ってるわよね!?」ガクガク
アレク「あああ、苦しいですアイリさん」




