第9話:『銃の気配』
(……嘘だろ)
隙間から覗く湊の視界の端が、急速に冷えていく。
心臓が嫌な跳ね方配を始めた。ドクドクと耳の奥で脈打つ音が響く。
迷彩服を着た男たちは、自衛隊の制服らしきものを着崩し、肩章はナイフで乱暴に引きちぎられていた。胸元にはスプレーで粗雑なマークが描かれている。
軍隊の規律なんてものは欠片も残っていない。目つきは、獲物を前にした浮浪犬のように濁り、ぎらついていた。
「おいおい、小太りのおっさん。随分といい隠れ家を見つけたじゃねぇか」
「た、助けてくれ……! 私は一般人だ、金なら……!」
「金ぇ? ハッ、紙くずなんざケツ拭く紙にもならねぇよ。棚の食い物、全部うちの『部隊』に徴発させてもらうぜ。……おい、奥の部屋。誰かいるのか?」
無精髭の男が、事務所のドアに銃口を向けた。
(……本物の、銃だ)
喉がからからに渇く。
ゾンビなら、どれだけ見た目がグロテスクでも「頭を潰せば止まる」「動きが鈍い」というルールがあった。だが相手は、銃を持った生身の人間だ。引き金を指一本動かされるだけで、自分の身体に風穴が開いて終わる。
ステータスが上がった? レベルが5になった? そんなものが鉛の弾丸に勝てるのか?
恐ろしくて、両足の裏が床に張り付いたように動かない。
――ピロン♪
【突発事態を検知しました】
[突発クエスト:武装脱走兵への対処(難易度:C-)]
概要:近隣の駐屯地から離脱し略奪を行っている元自衛隊員2名。彼らは目撃者を残すつもりはありません。
クリア条件:武装解除、または対象の無力化
推奨行動:先制奇襲による射線の遮断
ペナルティ:死亡
無機質な文字が網膜の上を流れる。
「目撃者を残すつもりはありません」という一文が、心臓を針で刺すようにチクりと痛んだ。
やっぱりそうか。物資を差し出して土下座したところで、見逃してくれる連中じゃない。
「おい、奥の! 聞こえてんだろ、手を上げて出てこねぇとドア越しに撃ち込むぞ!」
カチャリ、とセーフティを解除する金属音が事務所の中にまで届いた。
猶予は数秒もない。
(どうする……どうすればいい……!?)
視線が、手の中にあった青い小瓶に落ちる。
『高純度エナジードリンク』。思考速度2倍。心臓爆発のリスク。
(……クソッ、賭けるしかないのかよ!)
湊は歯を食いしばり、親指でキャップを弾き飛ばすと、一気に青い液体を口の中に流し込んだ。
舌の上に広がるのは、痺れるような薬品の味と強烈な苦味。
ゴクリと飲み干した瞬間、胃の腑がカッと焼けつくように熱くなった。
「う、ぐっ……!」
ドクンッ、と心臓が破裂しそうなほど強く脈打つ。
一瞬、視界が真っ白に明滅した。
だが、痛みに耐えて目を開けた時――世界から「音」が消えかけていた。
【エナジードリンクを摂取:バフ[思考加速]発動(効果時間:10:00)】
【ステータス[体力:35]により、致死的副作用を抑制】
(……動いてる、けど……遅い?)
外で遠藤が何かを叫んでいる口の動きが、ひどく緩慢に見える。
ドアノブに伸びてくる男の指先が、まるで水の中を手探りしているかのように、一ミリずつゆっくりと近づいてくるのが分かった。
頭が冴え渡っている。恐怖が消えたわけではない。ただ、その恐怖を置き去りにするほどのスピードで、脳が状況を処理し始めていた。
(銃口がこっちを向く前に、腕を潰す。それしかない……!)
湊は事務所のデスクに手を伸ばした。
目に入ったのは、書類を閉じるための金属製の大型ホッチキス。ずっしりと重い鉄の塊だ。
さらに、未割り当てのままだったスキルポイントを、思考の速度でシステムに叩き込む。
「システム、投擲スキルを開放!」
【SPを100消費:スキル[投擲術(Lv.1)]を習得】
腕の筋肉の使い方が、頭蓋の中にスッとインストールされる感覚。
ドアが、ギギ……と音を立てて内側に開き始めた。
男の迷彩服が見える。無精髭の顎が見える。そして、黒い銃身が隙間から滑り込んでくる。
(今だッ……!)
湊は息を吐き出しながら、低く身を沈めてドアの陰から飛び出した。
大声なんて出ない。出す余裕すらない。ただ喉の奥で「ッ――!」と息を呑みながら、右腕をしならせた。
筋力36による、至近距離からの全力投擲。
手元を離れた鉄のホッチキスが、風を切り裂いて男の右手首を正確に直撃した。
ガキィッ!!
「ぐあぁっ!?」
鈍い打撃音とともに、男の右手が跳ね上がり、アサルトライフルがガラガラと床に滑り落ちる。
男の顔に浮かんだのは、驚愕と激痛。
「てめぇ――!?」
もう一人の大柄な男が、棚からカップ麺を落としながら、腰の銃ホルスターへ手を伸ばそうとする。その動作すら、思考加速中の湊にはコマ送りのように見えていた。
(抜かせるかよッ!!)
湊は床を蹴った。
敏捷38の脚力が、一瞬で二人の間合いをゼロにする。
綺麗に戦おうなんて毛頭ない。湊は床に滑り込むようにして、大男の軸足を思い切り足払いで刈り取った。
ドスゥッ!!
巨体がバランスを崩し、陳列棚に背中から激突する。
棚が派手に倒れ、スナック菓子の袋が雪崩のように男の上に降り注いだ。
床には、弾き飛ばされた一丁のアサルトライフル。
手首を押さえて顔を歪める無精髭の男と、瓦礫の中で起き上がろうとする大男。
そして、肩で荒い息を吐きながら、落ちていた金属バットを両手で握り直し、ギリギリのところで踏みとどまっている湊。
「ハァッ……ハァッ……動くな……!」
湊の声は震えていた。
アドレナリンで心臓が破裂しそうなほど早鐘を打っている。
奇襲は成功した。だが、エナジードリンクの脈打つような熱気が、早くも頭の奥をズキズキと苛み始めていた。




