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ミュリエルは、これまでも度々キースから傍に寄るなと命じられてきた。もちろん、執務に関しては話が違うだろうと言い包めてしまってもよかったのだが、意地かプライドか、当てつけか。ミュリエル自身も理解しえない感情でもって王太子の執務室には近づこうとしなかった。
しかし、それでは公務に影響が出る。
なぜわざわざ専用の部屋が特別に用意されているかといえば、機密性が高いからである。情報を守るために警備まで置かれているくらいなのだから、そう簡単に書類を持ち出すことさえ出来ない。そのためミュリエルは、キースに悟られないように近くの部屋を確保し、ジンジャーとジェシーにだけ書類を運ばせることを条件に外部で執務を行う許可を得た。
「失礼いたします。姉上、ライリー卿からお話を伺ってまいりました」
遅い時間だったため帰り支度をしていたミュリエルの元に、デニスとジェシーがやってきた。
ミュリエルはふたりに微笑みながら頷いて返し、この部屋に置いてはおけない書類をジェシーに渡して先に持って行かせる。デニスだけが残ってふたりきりになるが、何事もなかったような顔で部屋を出て施錠をした。それを、デニスは不思議そうに見る。
「姉上、報告は必要ありませんでしたか?」
「いいえ? デニス、もう少し考えなさい。もう夕食の時間もすぎてしまっているわ。こんな時間まで残っていたら、いつ見回りが来てもおかしくないでしょう?」
あくまでも学生である彼らなので、遅い時間まで作業をしていると見回りの職員に見咎められてしまう。
「この時間なら、見回り以外はもうほとんど出歩いていないわ。歩きながら話していた方が安全よ」
「左様でしたか。そこまで考えが及びませんでした」
「でもその代わり、誰にも聞かれないように周囲には気をつけなさいね」
「はい!」
姉弟が仲睦まじく帰路を共にしている姿を装って、中身はまったく微笑ましくもない会話を始める。けれど、この姉弟にとってはこれが家族の会話の全てだった。
「ライリー卿は、辺境伯家から第二王子の従者が寄越されることをご存じではありませんでした。ライリー家門は盤石ですが、第二王子派としては、随分瓦解しているようですね」
「第二王子派と呼ばれているけれど、陛下に先代ライリー侯爵が第二王子の教育係に任じられたことで便宜上ついた名だもの、ライリー卿が第二王子と親しくしているとは聞かないし、現在は距離を置いているのかしら」
「……姉上、先代ライリー侯爵夫妻が亡くなったのは」
「デニス。事故よ、あれは」
「事故、ですよね。はい……」
「確実なことはなにもありません。証拠もありません。であれば、事故でしかないわ」
懸命に疑念を飲み込もうとしているデニスとは対照的に、ミュリエルの表情は凪いでいる。それは、自身で調べたことがあるからこその結論だった。王宮の調査官まで動員して調べた結果何も分からなかったので、事故だと信じる他なかったとも言える。
幾度か言葉を飲み込んで、ようやく気を取り直したデニスが話を再開しようとしたところで、ミュリエルが手を上げてその話出しを止めた。
「こんばんは、殿下。このような時間まで残ってらしたのですか?」
ちょうど、研究棟の建物を出たところだった。王太子の執務室に書類を持って行ったジェシーと共に、キースがそこにいた。
「そちらこそ、なにをしていた?」
「もちろん、殿下をお手伝いするため公務に勤しんでおりました。殿下のパーティのご準備は順調です」
「ふん、よくも抜け抜けと。貴様が私のカーチャに嫌がらせをしていると、知らないとでも思ったか?」
「わたくしが、マクラウド嬢に嫌がらせ、ですか。どなたから何をお聞きになったのでしょう。まさかそんな世迷い事を信じてしまわれたのですか?」
「聞いたのではない、自分で見て、調べた結果だ! 貴様は、どこまで私を馬鹿にすれば気が済む……!」
低く唸るように主張してくる姿は、ミュリエルの知るキースの姿とはどこか違う。それを感じ取り、ミュリエルは不快感にキースを睨みつけてしまった。幸いにも、それそのものは暗い周囲に助けられてキースには気づかれなかったが、キースに返すべき返事には少し間が開いた。
「……もういい。思えば、貴様に期待したことなどなかった」
「それは、こちらのセリフです。……と、言いたいところですが、残念ながらあなたにはひとつだけ期待せざるを得ないことがあります。どうか、殿下。この期待だけは裏切らないでくださいませ」
「ふん、利用価値の間違いではないか。いい、いい。こんな話は不毛だ。ミュリエル、私は学院のパーティにはカーチャを伴っていく。王城のパーティでは貴様の相手をしてやる。それでいいな。分かったら、これ以上私のカーチャへの嫌がらせをやめろ。この際、貴様が主導しているかは関係ない。だが、貴様ならやめさせられるだろう」
ミュリエルの返事も待たず、キースは少し離れたところに控えていた護衛のイライアスだけを伴って帰っていく。それを見送るミュリエルの顔は、デニスとジェシー両名が容易に声をかけられないくらいに陰り、キースの後ろ姿を睨みつけていた。
「ジェシー。殿下は、なぜここに?」
とてもではないが婚約者だとは思えない恐ろしい顔のままなのに、声だけは殊更に優しくジェシーに尋ねる。ジェシーは、無意識に一歩下がっていた足を悟られないように姿勢を正しながら、これ以上ミュリエルの機嫌を損ねないよう言葉を探した。けれど結局、どう言おうとも敏いミュリエルには分かるだろうと正直に白状する。
「どうやら、僕がライリー卿を訪ねていた間に、マクラウド嬢に関して学内の評判を調べていたようで、結果、最近行われているマクラウド嬢への嫌がらせに確信を持たれたそうです」
カーチャへの嫌がらせが始まってから日が経ち、順調にエスカレートしていた。もちろんここまで早く状況が変わるのは、ミュリエルがそうと分からないように誘導していたためでもあり、カーチャ自身が被虐心を煽る振る舞いをしていたためでもある。直接的な暴力はまだなかったが、逆に言えば暴力以外は大体行われたと言えるだろう。そうまでカーチャの周囲の雰囲気が悪くなれば、さすがにキースも気づくというもの。
「僕が殿下に鉢合わせてしまったので、ミュリエル様に確認をするのだとおっしゃられて、ここで待っておられました。……申し訳ございません。まさか殿下がこのように自身で動かれるとは思ってもみませんでした」
「ええ、わたくしもよ。どうやら、殿下も心境の変化があったようね」
キースはこれまで、ミュリエルが浮気相手たちに対して行っていた様々な工作について調べようなんて、一切してこなかった。それがどうしたわけかカーチャのためには動いて、ミュリエルは爪が刺さるのも構わず強く手を握り締める。
「王太子殿下が使える人間は、こちらでそろえていたよね?」
「ええ、護衛のブリッジズ卿だけは騎士団からの派遣ですが、それ以外はすべてエルボロー家の息がかかっております。そのため、殿下もこれまでご自身で動いてまで調べようとはしていなかったのですが……」
「つまり、それだけあの女性に心を寄せているのかな?」
「どう、でしょうか。それだけであの殿下がご自身で動かれるとは思えません」
横でデニスとジェシーが話している。ミュリエルはそれを聞き流しながら、考えた。
キースはまだ使える駒だろうか。カーチャを排除すれば元通りになるだろうか。キースが役に立たなかった場合の最善手は。
考えて考えて、気づけば余裕を取り戻していた。なんにせよ、主導権はエルボローにある。であれば、どうとでもなる。いつも最後にはそうやって助かって来たので、その慢心がミュリエルの目を曇らせた。




