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ミュリエルとのやり取りを一通り説明したロードリックは、その間わずかに頷くだけで口を挟んでこなかったカーチャの反応を伺った。小さな口で、ロードリックからしたら信じられないくらい少ない量の食事だけで満足した様子のカーチャは、綺麗に拭いた手をそのまま顎に当てて何事かを考えている。
ひとつひとつの仕草に品があり、それだけでもとてもただの平民とは思えない。しかし、貴族名鑑には学院入学をもってして名前が載るため、ロードリックにはそれ以上カーチャの素性を調べる術はなかった。
「おおむね、予想通りです。王太子罷免について、これだけ早くに伝えてくださりありがとうございます」
「この時期で良かったか」
「ええ、考える時間が多ければ、ゆっくり王太子に対する疑念を増やせることでしょう」
「本当か? 彼らは第一王子派。王太子が生まれたころから、つまり彼らがまだ物の道理も分からないほど幼いころから奴のために働くよう教育されているんだぞ」
「そうかもしれません。しかし、彼らにも考える頭があります。そして、これくらいの年になれば親へ反抗の一つもしてみたくなることでしょう」
「遅れてきた反抗期か……うまくいくといいが」
「私が、うまくいくようにして見せるんです」
カーチャは、ほとんどロードリックの前で笑うことがない。なのに自信たっぷりに綺麗な弧を描く口元を見せるので、どこからその自信が来るのかと疑いが先に出てくる。
「次の作戦の詳細を、聞いてなかったな。それほど自信があるのか」
「あら、ここまで私の言った通りになっているんです。これで自信をなくせるようならよほどの不安症でしょう」
ロードリックからすると、その返答には違和感があった。カーチャはこれまで自身の作戦を疑うようなことはなかったが、かといって過信するようなこともなかった。それがここまで言うのなら、余程自信のある作戦なのだろうが、ロードリックにはそんなこと考えもつかない。
「個人の心理と、集団心理は別物です。集団心理の方が操りやすく、行動も予測しやすいのです」
「エルボロー嬢を狙うんじゃないのか」
「もちろん、今後もずっとエルボロー嬢には一喜一憂してもらいますが、彼女は人を使うのもお上手ですから」
「具体的には?」
一向に詳細を話さないカーチャに焦れて尋ねると、察しの悪さを薄く笑われる。
「悪かったな、君ほど賢くなくて」
「これは賢さではなく、小賢しさですから。閣下とは無縁のものです」
言われて、馬鹿にして笑ったわけではなく、子ども扱いをして笑ったのだと気づいた。ロードリックが両親を亡くしたのは十四歳のころだったが、それよりも昔から後継者としての教育を受けてきたので、こんなにもあからさまな子ども扱いはもう覚えていないほど昔にされたきりだろう。
カッ、とロードリックの頬に熱が集まる。今の会話は、まさに目についたものすべてに関して尋ねる子供と同じだと気づいて、カーチャの顔をまっすぐに見れなくなった。
あまりにもカーチャ任せにしすぎたのだと、火照る顔を冷ましながら頭を回す。カーチャは、ミュリエルたちとキースを反目させようとしている。そのために必要になるのは、ミュリエルからキースへの決定的な失望だろう。では、どうすればすでにろくでなしを欲しいままにしているキースから、さらに期待を削ぐことが出来るのか。
「集団心理、と言ったな。民衆、大衆、今回で言えば生徒たちが総意で王太子を許せないと断じれば、国王に即位した後も忠誠は得られないとしてさしものエルボロー嬢も見放すか」
「おっしゃる通りです。エルボロー嬢は、王太子になんの期待も持っておりません。自分よりも劣っている相手であり、誘導しやすい権力者に寄せる期待など、使い勝手のいい操り人形であることくらいです。しかし、閣下のご意見に付け加えて言うなら、その飼い犬とも呼べる相手に手を噛まれでもしたら?」
「彼女のプライドが高いのであれば、許せるものではない、か」
「あら、閣下はまだエルボロー嬢の自己愛にお気づきではないのですか?」
驚いたように尋ねられて、ミュリエルの態度を思い出す。ロードリックの前では高潔な次代王妃として振る舞っていたため、少々プライドが高く見えても立場に相応しいだけだという印象だった。どうにも、カーチャのいうミュリエルとは重ならない。
そうでなかったとしても、貴族には貴族としての矜持がある。権威に相応しい誇りを態度で示すことに慣れ切ったロードリックは、やはりカーチャは平民出身だからそれを理解しないのかとまで思考を飛ばす。
考え込むロードリックを、カーチャはお茶を飲みながらゆっくり待っている。それが相変わらず子供に対する態度に見えて、ロードリックは少々ムキになってしまった。
「エルボロー嬢の自己愛だかプライドだかが高いとしよう。では、彼女はこれからどんな行動に出ると予想している?」
「なにもしません」
「なに?」
「エルボロー嬢は、自分ではなにも行動を起こさないでしょう」
思わず、カーチャを鼻で笑ってしまう。ミュリエルは、カーチャを排除するために動くと言っていた。それこそ、カーチャの言うようにプライドが高いのであれば、これまで十分カーチャに対して猶予を与えただけあって、一刻も早くふたりを引き離すために動くだろう。
反論のために身を乗り出すほどに前屈したロードリックに向かって、その出鼻を挫くようにカーチャが人差し指を突き付けた。
「閣下は、私の言ったことをひとつ、お忘れです」
「……なんだ」
「エルボロー嬢は、人を使うのもお上手です」
鼻先にある桜貝のような爪にロードリックの目が寄りそうになるが、それを誤魔化すために虫を払うに近しい動きで退ける。カーチャは気にせず手を引いて、再びソファのひじ掛けに凭れた。
「集団の権力者に嫌われた個人に対して、その他有象無象は一体どのように接するか。答えは決まっています。権力者に倣って嫌い、集団から排除しようとするのです」
それに関してはロードリックにも思い当たることがあり、ゆっくり頷く。領主は領地内での犯罪に対する判事の役割も持つので、判例には事欠かない。貴族子弟の集まる中央学院でそんなことが起こると信じたくはなかったが、その知識や経験は当然それが起こるだろうと訴えてきた。
「ご理解いただけたようですね。今後、生徒たちから私、つまり身の程知らずにも王太子に近づき将来の王妃に敵対する女に対して、いじめが行われます」
「頭の痛い話だな。だが、規模はどの程度を想定しているんだ? 舵取りするべきエルボロー嬢が扇動するんだろう」
「しばらくは王太子に黙っているつもりですが、直接的な危害を加えられるようなら訴えるつもりです。ですが、エルボロー嬢もそれほど過激になる前に止めるでしょう。彼女にとっても、学院内の秩序が乱れすぎるのは能力不足を疑われてしまいますから」
「ああ、そうか。在学中にいじめ騒動があれば、将来経歴の傷としてつつかれるのに十分だな」
ようやく、ロードリックもカーチャの想定している今後を理解し始めて、その悪辣さに顔をしかめる。恋人を傷つけられたと知ったキースはどのような行動に出るか、ロードリックには具体的なことは思いつかなかったがまともな結果にはならないだろうとは分かった。
もしも、最適な場面で、最適な方法で、そのいじめの原因がミュリエルだとキースが知ったら。
それらをカーチャがどれほど操れるのか。カーチャの自信にあふれた様子を思い出して、ロードリックは楽しみに口元がゆがむ様を大きな手で覆って隠した。




