表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
脳汚染  作者: 青空あかな
11/24

第十一話

「次のニュースです。感染が拡大している新型の認知症についてですが、昨日のロンドン市内の感染者数は472人でした。これでロンドン市内の感染者数は1万人を超えました。大英帝国家全体では3万人に達する見込みです」


 サニー達は修理所の壁に映し出されたニュース番組を見ている。「先生、この先どうなるんでしょうか」傍らのアランが心配そうにサニーへ話しかけた。看病している者が認知症を発症するケースも多々あり、アンドロイドの需要は一段と高まっている。修理依頼も多く、修理所を閉めるわけにはいかなかった。


 「アラン、君の友達は大丈夫か?」「はい、皆はまだ大丈夫みたいです」アランの"まだ"という言葉が、この新種の病が身近に迫っていることを表してる。「脳波で感染するんじゃ防ぎようがないわね」鎌原もテーブルに腰掛けながら呟いた。


 幸いなことに、修理所にいる三人は認知症の症状は出ていない。「買い出しや外に出る所用は、これからもペティに任せよう」新型認知症が流行し始めてからは、外出する必要がある用事は全てペティに頼んでいた。


 「遠慮なくお申し付けください」ペティが修理所を掃除しながら答える。「それにしても、ペティだけに負担かけ過ぎちゃうわね」「私は皆さんのために働けて幸せですよ」ペティが三人に対して言った。その表情は以前より優しい。「ありがとう、よろしく頼むよ」このところ、ペティが少し人間らしくなってきたように、サニーには感じられていた。

 

 「くそっ!一体どうなってやがるんだ!」イリヤは人間至上主義の大広間で、テレビのニュースを見ながら叫んでいた。


 この新型認知症は、イリヤ達がいる人間至上主義でも猛威を振るっている。物忘れにより武器の管理が曖昧になる者や、徘徊して一般人に保護される者もいた。


 「イリヤさん、アレックスが昨日から見当たりません。それに、アレックスのスタンガンと特殊警棒もありません」「なんだと!まずいな……」人間至上主義は傭兵や民間警備などの業務を引き受けているので、様々な武器がある。組織の隊員が市民に危害を与えることは、何としても防がなければならなかった。


 「すぐ探しに行くぞ!空いている奴は一緒に来てくれ!」イリヤはその場にいた、数人の隊員達と急いで探索に出る。「まずは宿舎の周辺から手分けして探す。俺は北の方に行く」日は傾き街には夜が訪れようとしていた。「暗くなると見つけづらくなるな。何処かで騒ぎが起きてないかも注意深く観察するんだ」


 隊員の中で徘徊する者が現れてから、市民の間で人間至上主義に対する不安が強まっている。幸いなことに、隊員が一般人に危害を加えることはまだなかった。日は暮れても、街には人通りがまだある。アレックスの探索中も人間至上主義の制服を見ると、慌てて離れていく者が目立った。


 「すっかり怖がられるようになっちまいましたね」イリヤと行動している隊員の一人がぼやく。「まさかこんなことになるとはな。アレックスも何も起こしてないと良いんだが」イリヤが呟いた時、通りの向こう側で甲高い女性の叫び声が響いた。


 「誰か!誰かいませんか!助けてください!」「おい、行くぞ!」イリヤ達は全速力で声の元へ向かう。角を曲がると、アレックスが特殊警棒で女性に襲い掛かっていた。


 「やめて、お願い!」「ちっ、くそ!」イリヤが一直線にアレックスへ突進する。「あ、あれ?イリヤさん。うぐっ……」アレックスが物凄い勢いで建物の壁に叩きつけられた。「早くその人を保護しろ!」イリヤはアレックスを注視したまま指示を出す。「大丈夫ですか、怪我はありませんか!?すぐここを離れましょう!」女性が保護されたのを確認してから、イリヤはアレックスを刺激しないように話し始めた。「アレックス、随分探したぜ。心配したんだぞ」アレックスが辛そうに立ち上がる。


 「痛いじゃないですか、イリヤさん」「すまん、アレックス。……大丈夫か」「大丈夫じゃないですよおお!」アレックスが特殊警棒片手に、イリヤへ向かって突っ込んでくる。凶暴性が増しているようだ。イリヤは咄嗟に身を翻し強襲を避けた。


 すかさずアレックスが、特殊警棒で切るようにイリヤの身体を叩く。カーボンスチール製の警棒がイリヤの横っ腹に食い込んだ。イリヤは強靭な腹斜筋を持っているが、アレックスの警棒は筋肉の壁をもろともせずめり込んでくる。


 「っ……」手加減を全くしていないことが痛いほど伝わってきた。瞬時にイリヤはアレックスの右手を掴み、警棒を奪おうとする。イリヤの注意が警棒に向かった時、アレックスは左手でイリヤの顎を目掛けて鋭いストレートを撃った。イリヤは最小限の動きでストレートを躱し、左手でアレックスの腹を殴る。「ぐっ……」アレックスが警棒を落とし、腹を抱えて後退した。ころころと警棒が力無く道路を転がる。


 「痛いじゃないですか……イリヤさん」「……帰るぞ、アレックス」「いくらイリヤさんでも、もう怒りましたよ」アレックスがスタンガンを起動した。電圧も電流も高出力の非常に威力の高い代物だ。バチバチと大きな音を立てて、青白い火花が電極の間で踊り始めた。


 スタンガンで死亡することは無いが、相手に与える威圧感としては十分だ。いつの間にか通行人は消え失せ、周囲は閑散としていた。「へへへ、ここまでされちゃ俺も黙ってないですよ」アレックスは不気味な笑みを浮かべながら距離を詰めてくる。


 スタンガンを当てられると、その強い電流によって身体の筋肉が強制的に収縮され、自由に動けなくなってしまう。さらに、首や頭部など人体にとって弱い部位を狙われると気絶は免れないだろう。アレックスを見失わないためにも、スタンガンに触れないことが絶対条件だった。


 アレックスは大分ふらついているが、イリヤ達と同様に厳しい訓練を受けてきているため、油断は禁物である。イリヤは特殊警棒で叩かれた脇腹の痛みが強くなってきているのを感じた。もしかしたら、骨や内臓までもがダメージを負っているのかもしれない。


 「……アレックス!」イリヤは一瞬の隙をついて走り出す。「……!」アレックスがスタンガンを構えた。イリヤの胸を目掛けて押し当てようとする。イリヤは手刀でその手を払うと、もう片方の手でアレックスの顎を強打した。


 「がっ……!」アレックスがよろめき、後ろの壁に衝突する。そのままずるずると崩れ落ち、終いにはぐったりとして動かなくなった。イリヤは落ちたスタンガンを拾うと電源を切る。攻撃的な光と音が消え、辺りに静寂が戻った。


 「イリヤさん、大丈夫ですか!?」先程女性を保護した隊員達が走り寄ってくる。女性は安全な場所に避難できたようだ。脇腹を抑えながらイリヤが言った。「あぁ、大丈夫だ。俺よりアレックスを頼む。思いっきり殴っちまった」隊員達はアレックスの方に向かう。


 肩を貸して立たせたが、気絶しているためかアレックスの足元はおぼつかなかった。「……帰るぞ」痛めた身体を引きづるようにして本部に戻る。「あの女性は無事だったか?」本部に着いてから、イリヤが再度隊員に尋ねた。「はい。幸いなことにかすり傷一つありませんでした。ですが、やはり相当怖かったみたいです」


 アレックスが持ち出したのが、護身用の武器だったことは不幸中の幸いと言えよう。人間至上主義には護身用以外に、実際の戦闘でも使うような銃やナイフなどもたくさんある。護身用ではなく、殺傷能力の高い装備が持ち出されてたらと思うとぞっとした。


 「アレックスの調子はどうだ?」イリヤが気落ちした声で隊員に聞く。「まだ目は覚めてませんが、医療班によるとあと数時間もすれば目覚めるだろうとのことです。でも、さすがイリヤさんです。あなたのおかげでアレックスも無駄な怪我をせずに済みました」隊員の慰めの言葉もイリヤの暗い気持ちを払拭させるには至らなかった。


 「ちょっと、アレックスの様子を見てくる。あと頼むわ」医務室に入ると、ベッドで寝ているアレックスがいた。イリヤの殴った個所が赤く腫れている。「本当に済まなかったな、アレックス」イリヤは深く頭を下げた。この緊急事態に人間至上主義が何をできるかについて考えながら戻ると、言い争う大きな声が聞こえてくる。「だから、もうこんな組織には居られないって言ってんですよ!」「いくら何でも急すぎるだろ!考え直せよ!」イリヤが急いで駆け寄った。


 「おい、どうした!」「聞いてください、イリヤさん。こいつが急に組織を抜けたいとか言い出すんですよ」除隊は自由だが、上役に一度相談することが慣習としてある。「だから、今相談したじゃないですか。大体、この緊急事態でそんな悠長なこと言ってられないです!」「だから、それが急だって言ってるんだよ!」


 今すぐにでも殴り合いの喧嘩になるそうな雰囲気になったので、イリヤが仲裁に入った。「まあまあ、ちょっと二人とも落ち着けって」「まず、お前はどうして除隊したいと思ったんだ?」努めて冷静に問いかける。


 「……この新型認知症のせいですよ。実家にいる家族が皆、認知症の症状が出始めているんです。だから、少しでも俺が帰って面倒みないといけないんです。俺もすでに感染してるかもしれないし、一人じゃ面倒みきれないんでアンドロイドを使うつもりです。この組織に所属しているとアンドロイドが使えないですから、一国も早く除隊したいのです。それなのにこの人が……」「あぁ!?何だよ!そうならそうと言ってくれれば良いだろうが!」「あなたが聞こうとしないから!」一度落ち着いた雰囲気が再度熱を持ち始めた。


 「待て待て待て!二人とも、興奮するな!こんなご時世だ、早急にこいつの除隊手続きを進めよう。世の中の情勢が変わっても、慣習を見直さずにいたのは俺の責任だ。二人とも、申し訳ない」イリヤが頭を下げ謝罪する。「ちょ、イリヤさん、やめてください。元はと言えば俺が悪かったんですから」「僕も興奮してしまったのが悪かったんですから。頭を上げてください、イリヤさん」口論していた二人が、慌ててイリヤに謝った。


 その後アレックスが戻ってから数日の間に、次々と除隊届けが出されていた。家族が危険な目にあっているのは、あの隊員だけではないのだろう。中には除隊する前にアンドロイドを使用し始める者もいる。入隊時アンドロイドなどに頼らず人間同士の繋がりだけで生きていくことを固く誓い合ったはずだが、新種の病の流行はそんな誓いをいとも簡単に破壊した。


 市民の間でも人間至上主義に対して、強い不安と怒りの感情が強くなっている。当然と言えば当然だった。特殊に訓練された頑強な人間が徘徊し、実際に市民へ危害を加える直前までいったのである。有難いことに傷害を与えるには至らなかったが、それでも市民に深い恐怖心を植え付けてしまった。


 信頼を回復するには時間がかかりそうなことは、言われないでもわかる。今日も抗議の電話が鳴り響いていた。発症した隊員については、いつまでも組織で保護するわけにもいかないので、身寄りの無い者を除いて家族の元へ送り届けている。


 アレックスも、先日彼の母に引き渡した。息子を殺人犯にさせなくてありがとうございました、と頻りに感謝されたがその目には大粒の涙が浮かんでいた。


 イリヤは組織に残って業務を続けていたが、どんどん仲間が減っていくことが悲しい。自分の拠り所を守れない無力感が日に日に強くなる。こんな時、あのサイボーグ女やアンドロイド修理所の主はどうするのだろうと、イリヤはぼんやりと考えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ