一ノ八.異変
ミアーノはこうとも言っていた。
―――海の女神ヴィエナは、長期の神子不在で力が弱まり、海の状態に異変が出始めている、と。
絵美佳ちゃんが神子候補なら、二人を早く引き合わせた方が良い。
けれど、本人の意志に背いて神子候補を強いるわけにはいかない。
「絵美佳ちゃん、あのさ―――」
言い掛けるわたしを絵美佳が止める。
「さっきからその『絵美佳ちゃん』って止めてくんね? そういうガラでも歳でもないし。絵美佳でいいから」
「そ、そう? じゃあ、、、」
絵美佳、と言い掛けて言葉が続かなかった。
こちらの世界の人には敬称を付けていなかった(つける方がおかしい気がしてた)けれど、あちらの友人を呼び捨てにするは人生初体験だ。
―――なんというか、照れるというよりも、勇気が必要だ。
すぅ、はぁと数回荒く呼吸を繰り返して―――
「―――絵美佳」
うあー! 言えたー!!
絵美佳も満足そうに頷いてる。
コミュニケーション能力がレベルアップした気分!
絵美佳は、神子候補としてヴィエナ様に会う事を了解してくれた。
けれど、そのために一度帰宅してもらい、家族対策を考えて欲しいというわたしの意見は即却下された。
「ヤダね。寝るとこと、食べるとこがあるならコッチに居る」
顔を背ける絵美佳に「どうして?」と問うと、彼女はふてくされたように大声を出した。
「家に帰ったって良い事なんか何にもないからだよ! アタシ、中学出てからはバイトしながら友達ん家とかカラオケに泊まってて、家にはほとんど帰ってない。親だって好き勝手やってて、アタシの心配なんかしねーよ」
「……そっか」
その言葉と唇をキツく結んだ表情で、何か事情があるのだろうと察しがついた。
こういうとき、どういう言葉を掛けたら良いのか分からないが、無理強いはしたくないと思った。
「じゃあ、神官長に頼んでみる。あの方だけはわたしの事情も全部知ってるから、絵美佳のことも理解してくれると思う。けど、帰りたい時とか、あっちに用がある時はいつでも言って」
絵美佳は何故かぽかんとして頷いてから、小さく「また説教されるかと思ったのにな」と呟いた。
さあ、問題はこれからだ。
どうやってヴィエナ神と絵美佳を対面させるか。
ヴィエナ神殿は、海を越えた先のガリューラ国にある。
ウトゥヌ神殿のある、このマルベナ国からは馬で一日先の港町まで出て、そこから海路で五日程。合計六日の行程だ。
その間、神殿での仕事を放棄するのも忍びないし、両親にも帰宅できないことを説明しなきゃいけない。これは難題だ。
「大丈夫だよ、里緒。神と神子は、お互いもそれぞれも引き合うものだからね。黙っていても、近い内にあっちからやってくるよ」
「へー、そういうものですか?」
「ああ。そうでなければ、伴侶と巡り会う事自体が奇跡になってしまうだろう? 君と彼女が近くに存在していたのも、力の一部だろう」
「へぇー、不思議ですね!」
神様のお導きというやつかな?
ウトゥヌ様が再び口を開こうとした時、不意にノックもなしに勢い良くドアが開かれた。
勢い良く飛び込んできたのはファレスだった。
「里緒! 大丈夫ですか!?」
「―――え、何が?」
「あなたが強盗に襲われたと聞いて―――、ッ!?」
珍しく荒げた声を出しているので、心配をかけたのだと分かる。
「ああ、うん、大丈夫。強盗じゃなくて、ちょっとキヤルの取り分で揉めただけだよ―――って、どうしたの?」
ファレスが硬直している。
口がぽかんと開かれたままで、彼にしてはかなり間抜けな顔だ。
「り、里緒。彼女は―――?」
「え? ああ、絵美佳のこと? あっちの世界での、わたしの幼なじみだよ」
「絵美佳―――」
ファレスは熱に浮かされたようにぼうっとしながら絵美佳に近寄ると、その手を取った。
「絵美佳、はじめまして。私はアルディア国第二王子、ファレスです」
「へー、さすが王子って感じの定番の美形だね。アタシの好みじゃないけど―――あ、手ぇ、離してくんない?」
「ああ! そんな風に冷たくあしらわれるのは初めてです! 絵美佳、私と結婚してください!!」
べちん。
静まりかえった部屋に、鈍い破裂音が響いた。
「ちょっと成瀬、この人キモいんだけど。アンタの知り合いならどうにかして」
「は、はへっ?」
―――ナンデスカ、コレ。
ファレスが、絵美佳に求婚した?
で、その綺麗な顔に、絵美佳が平手打ちした?
あれ、ファレスはわたしと結婚したいって言ってなかったっけ?
おかしいな、アルディア国は一夫一妻だって聞いてたけどなー?
ファレスは、ぽーっと緩んだ表情で絵美佳の手を離さない。
絵美佳は明らかにイライラしながら、ヤメロだのハナセコノヤロだのと毒づいて暴れる。
それでも離れないファレス。
とうとうキレたらしい絵美佳は片足を上げてファレスの脛を蹴り上げて引き離そうと靴の底で押しつけるがびくともしない。
そして彼女は最終手に出る。
ショートパンツに覆われた長く細い彼女の足が蹴り上げられ、綺麗にファレスの股間へとヒットするのをわたしはスローモーションのように見ていた。
ご、ごめんなさい……