姉妹だから
懐かしい夢をみた。
姉と一緒に祭りを楽しむ夢。
となりに英理もいた。
夢には出てこなかったが、父と母もいて。
病院の中庭で、入院患者向けに行われた夏祭り。
甘い綿飴を英理とほおばって頬にくっついたそれを姉が無言でふき取る。
そうだ、最後にいった夏祭り。
やせ始めた姉に私は一緒に食べようと何度も手をひいて食べ物をすすめた。
食欲を失った彼女があの日唯一食べたのはまっさらなカキ氷だけだった。
彼女の涙が白雪の上に滴ったのを鮮烈に覚えている。
「史緒姉、学校のプリントが……」
夜、寝る前に渡すプリントがあって姉の部屋にノックして入る。
ちょうど遭遇したのは姉が大量の錠剤を飲み込むところだった。
ぎょっとした様子の姉が、後ろにピルケースを隠す。
「サプリメント……ってわけじゃないよね?隠さなくてもいいもの」
「え、あ。違うのよ文」
薬を飲み込んで誤魔化そうとする姉の手からピルケースをさらう。
名前さえみれば大概の薬の効用はわかる。
精神安定剤と睡眠導入剤……それにこれは。
「姉、これ一回1錠のはずだけど何でテーブルに2錠空のがあるの?」
「えーっと、飲んじゃったから、かな?」
「死ぬわ!!!」
「死なない死なない。ごめん、夏は駄目なの。悪い夢ばっかり見て飲まないとやってけなくて」
今すぐ吐かせたかったが姉に問いただして薬手帳を見せてもらうと、処方自体は祖父の病院から数を処方されているものだったのでとどめる。
1錠できかないから、2錠処方されているのだ。
千里が以前話していたことが引っかかる。
「文、どうして昔仲良くしていた人たちが来ないと思う?」
姉の問いに仲良くしていた人が誰かまず考える。
中学時代の友人はこのまえ訪ねてきたので、別の人間だ。
おそらく、変人や殺人鬼のことを指すのだろう。
「……夏に、私の仲のよかった皆が死んで、いや殺された。爆弾魔の爆弾でね。ほら、お姉ちゃん殺されそうにもなったけど文と一緒に可愛がられたから。ちょっとだけ休みたかったんだ」
姉はピルケースの中の薬を慣れた手つきで取り出し、数える。
「甘えたら、目の前で爆発させられて、彼らの家族や恋人や大切なものが吹き飛ばされた。あのころ一時期謎の爆発事故が多発してたんだけど、文は覚えてないよね」
「それが、全部?」
「そう。そして全員。頑張って解除して解除して解除して、でも一人も助けられなかった」
正しくは一人だけ助けたんだ。
姉の記憶にはハルキさんのことは浮かばない。
「寝れなくなってね、父さんにお願いして薬をもらったの。でもどうしても寝れなかった。爆弾魔から逃げて家出した後も。高校卒業のときには普通のときはいらなくなったんだけど、やっぱり夏は駄目」
手のひらの薬が姉の中に入っていく。
「文みたいに、いろんな薬に耐性じゃなくて、この系統の薬だけは大分耐性がついちゃってね。心配要らないわ、夏だけだから。それでプリントがどうしたの?」
そのすべてを飲み込んで、彼女はにこりと笑った。
姉は未だに情報を隠している。
ならば、と部屋に戻って携帯電話を手に取った。
沙門さんに電話すると30分後までに終わらせるとメールで返ってくる。
何をしているのか想像できたのだが、夜中だしホストのお仕事かもしれないと思って邪推はやめる。
「ほい、お待たせ。どうした文ちゃん」
「今、大丈夫ですか?」
「文ちゃんこそ。明日学校なのに夜中に電話なんて」
後ろで人のざわめきが聞こえる。
今日は仕事のようだ。
「史緒姉についてちょっと」
「ん。何かな」
「薬を飲んでるみたいで」
沙門さんの背後の音が静かになる。
どうやら別室に移動したようだ。
「……史緒からは」
「聞きました。夏だけだからって」
「今年は大丈夫だと思ったんだけどな」
「毎年、なんですか?」
「そう。今週末暇?史緒に怒られるけど二人で会えるか?浅木たちにも黙っていることだから」
「いいですよ。もし怒ったら姉が話さないのが悪いっていうんだから」
彼が電話ごしに苦笑しているのがわかった。
史緒姉にはお出かけしてくるといっておいて、昼過ぎに駅前で沙門さんの車に拾われる。
「悪いな。ばれないようにいろいろ細工はしておいたから大丈夫だと思うけど」
「いいえ。いい喫茶店があるんです、そこでいいですか?」
他にお客さえいなければ秘密保持にも適している喫茶店。
ちょっとした裏通りにある、ナイスなグレイなマスターが経営する場所。
店に入るといつもの笑顔で彼が出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「こんにちは。奥いいですか?」
L字の店内には入り口から見えない奥の席がある。
なじみのマスターにたずねるとどうぞ、と返してくれたので礼をいって奥に座る。
「……いいお店だね」
内装をみながら沙門さんがつぶやく。
そりゃ、ここ変人さんご用達で有名な場所だから。
普通の人はめったに近づかないんだよね。
この前の雨の日、花岡が窓越しに見えてあせったことあせったこと。
「ああ、ちなみにここで自分の名前は言わないほうがいいですよ。裏ルールなんですが知られると厄介ごとが増えるので」
「文は人気ですからね」
お冷を持ってきたマスターさんがそう小さくつぶやいた。
「せめて五分早くマスターがそのルールについて説明してくれればよかったんですがね」
「名前ひとつで君が困ることはないと思いましたのでご注文は?」
「アイスコーヒー」
「ブレンド一つ」
注文の品が届いてから私は口を開く。
「姉はあなたと同棲していたんですよね」
「結局5年間。自分でも思う、オレよくあいつ襲わなかったな」
「……なんかすいません」
「欲情より保護欲が勝ったんけどさ。5年前のあいつは痩せてたし、顔色も悪かったし髪も短かったから男かと間違えた。オレ家族いなかったから昔から家出少年は拾ってちょこちょこ面倒は見てたんだよ」
今はちゃんと女の人だけれど、昔の姉は中性的な雰囲気だった。
顔立ちも父に似ていたし、変人相手だと男の子のようなしゃべり方してたはずだ。
失踪直前は体重5kgは落ちてた。ただし、胸は聞いてやるな。
「じゃあ姉も?」
「そう。一生の不覚、その日来た女友達に言われるまで気づかなかったし。って話がそれたな」
「薬のことです」
「飲んでも効かない日が昔からあって、7月から8月は特に駄目だよ。高校3年の冬に一騒動があってそれからは飲まなくても寝れるようになったけど。油断するとオーバードーズ…薬物の過剰摂取するから」
いくら耐性ができているとはいえ体によくない。
「寝れないときは?」
「オレが抱いて寝てた」
いや、沙門さんにっこり笑ってそういわれても反応困るんですけど。
「くっくっく。女としては抱いてないよ?」
「あなたって人は……」
「添い寝ってこと。うぶだなぁ文ちゃんは。おそらくだけどな、以前のあいつにはそうやって隣にいてくれる男か女がいたんだと思う。じゃなきゃオレにたいして無防備すぎたから」
「……ああ。姉は忘れさせられてます。私も最近まで記憶にフタしてました」
「だろう。爆弾魔のことが片付いても、あいつは一生の心の傷を背負っていく。あいつは人の死に弱い。性善説を唱えるほどでもないけれど、人に甘いんだ」
溶けた氷とコーヒーを混ぜて均一にしてからストローで吸う。
「文は人を殺したことは」
「……見殺しにしたことなら何度も。大体そういうときって拘束されているので。自重で潰したことが殺したことになるのならもっと多いと思います」
「あいつはね、あれだけ殺人を日常にする人々が周りにいても殺したことはないし、殺させたこともない。結局爆弾魔も殺せなかったし。そのくせ浅木や他の人殺しの持ってきた死体を加工したり何したりは平気で行う。めちゃくちゃ、と赤沼に言われていたな。AIの仕事も結果的に殺しになってしまっても殺し自体が目的の仕事はしないし」
「それが普通じゃないんですかね?っていうと私もどこかおかしいのでしょうが」
「おかしいって言うよりは死体への忌避感がない。あいつとはまた違うよ」
納得がいった。それだ。
知らない人間の死体なんてただの肉袋にしか思えない。
姉の場合はきっと知っている人間の死体もただの肉袋にしか見えないかもしれない。
あの笑顔の下に何も隠していないなら。
「文?」
「私……姉にできることがあるのでしょうか?5年も離れていたからじゃなくて、本当に姉のことを知らなくて。姉の幸せを願っていたいのに、それだけしかできない」
「文が文であればきっとあいつは幸せだと思う。親しくなれば親しくなるほど、彼女は本当を隠す。その隠し事を叱っては駄目だ。またさらに深いところに隠そうとするからさ」
離れていた5年間傍にいた彼のほうが姉の行動をよくわかっていた。
ちょっとだけ、ほんの少しだけ、嫉妬してしまう。
訳のわからない微妙な感情に心がもやもやした。
いきおいよく喫茶店の扉が開けられた音がした。
「ただいま、叔父さん。頼まれていたブツ買ってきたよ」
「ありがとう。けれどもう少し静かに扉は開けなさい」
「だって、このドア重いし」
あいつが来た。話がだいたい片付いていたからいいけど。
「場所変えましょうか」
「ん」
立ち上がったところで後ろから飛びつかれて、ぐえっと空気が漏れてしまった。
「文ー。らぶゆー」
「うざい、黙れ変態」
レイの特徴ともいえる和柄のシャツが目の端にうつる。
ここは彼が時々登場してくるからいやだ。
「その男だれ?」
「姉の知り合い」
「ふーん」
レイは背中に乗ったまま沙門さんを眺める。
「いい男じゃん。文の姉に会ったことないけどやっぱりいい女にはいい男がつくんだよな」
「姉はそれで喜ばないわよ。今日はあなたに構ってる暇はないの」
私はそういって、彼を肩からどけようとするのだがしっかり抱きしめられてはずせない。
「文、ここのところコムとばっかりつるんでるじゃないか」
「だって、同じ学校だし。姉に手を出したら怒るわよ」
「やっぱり特別は姉かよ。ひどいなシスコン。オレお前のこと好きなのにな」
シスコン違うと思いつつ、低くつぶやいた。
「私、あなたより目の前の男性のほうが魅力的だと思うの。人間としても男としても」
キラーパスが飛んできたという表情を沙門さんがする。
レイの目がそちらへ向いた隙に腕を体からはずす。
「こいつにオレが負けると」
「うん負けるね」
「文ちゃんあのね……オレはあいつらみたいに肉体戦は得意じゃないんだけど」
「大丈夫、彼も肉体派じゃないです。むしろあなたの得意分野です」
ため息をついた沙門さんがレイを見返した。
「悪いな、文の姉にきちんと送り届けないと泣かれるんだ。彼女を離してもらえるかな?シャイロック」
あくまで大人の対応で。営業用の笑顔がまぶしい。
てか今シャイロックっていったか?
「別に黒人だけじゃない」
レイがそう返事をしたってことは某小説の奴隷商人シャイロックか。
……あれ、すごい卑称に近い発言じゃないか今の。
「どうも顔がばれてるな。こっちじゃ仕事はしてないし、文しか欲しいといってないんだけど」
「裏に顔が利くもので。噂はかねがね」
「なるほど。でもさ、こっちは5年かけていろいろやってるの。邪魔しないでくれない?オジサン」
「文は嫌がってるようだけど」
「ええ、うっかり性奴隷とか嫌ですから逃げまくってますよ」
現代日本で簡単にそんなことをやられてたまるか。
「顔覚えておくよ。あんた名前は?」
「言っちゃ駄目ですよ」
「……ならこれをやろう、青年」
彼が名刺入れを取り出し、一枚取り出しレイに差し出した。
ホスト用でもAI用でもない3枚目の名刺。
レイはそこに書かれた名前を見て、私から腕を離した。
「なんだ、同業者か」
「否定はしないな。文、行こうか」
沙門さんに手を引かれて、会計をすませて外に出る。
「沙門さん?」
「文、あの男がどんな人間か知ってる?」
「レイと呼ばれていて、男女問わず彼に連れて行かれると帰ってこない。笛吹き男と私は名前をつけました。私に近づく理由は自分だけの性奴隷として私が理想的だからだそうで、誘拐されること3回内軟禁が2回監禁が1回。あの店は緩衝地帯なのでよく利用するんです」
にっこり笑顔で調教内容について話す姿は正直引く。
『媚薬が効かない子を己が手練だけで磨く楽しさといったら!部屋には感性を保つために毎日違う花を生けて文が愛でれるようにしよう。大丈夫、一月もしたら君をいろんなところに連れて行ってあげる。痛くは基本的にしないさ。僕は人間を痛めつけて喜ぶ人種じゃないし、君は痛みで支配される子じゃないのは十分わかっている。だからオレだけに笑って、オレだけに尽くす悦びを覚えてくれればそれ以外何も求めない。大丈夫、見捨てたりなんてしないから』
傷心の小5の女の子に語りかける発言じゃないよな。
当時半分も理解していなかったけど、今思うとロリコン疑惑さえおきる。
あの時篠原さんがいなかったら私はここにいない。
父親に絶望したのもあのときだっけ。発言は闇のかなたに葬りさったけど。
「文ちゃん、大丈夫?」
「え、ああ。思考が飛んでました。沙門さんは彼のことを?」
「少しだけね。ホスト長くやってたからな、そこらの事情には詳しくなっててさ」
「ふむ、嘘つきですね」
そういって、ちょっとだけ彼より先に歩いていく。
姉はきっと思っても黙っているのだろうけど、私は違う。
わかっているのだろう、姉自身が自分に見せてくれる顔だけがその人の顔ではないことを。
だから姉はきっと他人を家に入れたがらないし、私とAIの人間を二人きりにしたがらない。
何故かわからないけど、姉のその感覚はほとんど正しい気がした。
「……文はそういう時の顔が一番輝いている」
「いやな顔だと思いますよ。なるべく姉に見せたくないぐらいに。姉の中では私はいまだに小学生のときで止まっていますから。それに応えてあげたいんです。……ふふ、そういった意味では姉妹ですね」
沙門さんが伸ばしてきた手をするりと避けるように振り返る。
「今日はこのまま夕方まで遊びましょう?」
「わかったよ。何して遊ぶ?」
何でもないように手を差し出してきた彼の手はとらず、笑みだけ差し出す。
無計画だと失礼か、ならば少し買い物に付き合ってもらおう。
「化粧教えてほしいんです。せっかくだし」
「いい心がけだ」
また一つ何かが壊れた音がした。
でも私は気にもとめない。
夜中、薬を飲み込んだころを見計らって姉の部屋に入る。
「う?あや?」
「一緒に寝る。それ以上飲まないように見張るんだから」
持ってきた上掛けを姉のベッドに投げて、姉の横にハーブティーの入ったポットとカップを置く。
効果は鎮静に有効で、花岡に生ハーブを分けてもらったのでそれを使用した。
「ラベンダーティーね」
「ラベンダーだけだと、美味しくないんだもの」
二人で短いティータイムをして、いつもより気をつけて言葉を選んだ。
姉が心配して寝れないなんてことがないように。
「……文、お姉ちゃんはね」
「うん」
「ちゃんと受け入れられるから、そんなに臆病にならなくていいんだよ?」
臆病かはわからないけれど頷いて、伝える。
「私もいなくならないから。少なくても高校生活は満喫します」
「うふふ。いい心がけだ……駄目なお姉ちゃんでごめん」
「こっちこそ、迷惑かける妹でごめん」
二人でいい感じに弱気になったところでベッドに転がる。
「おやすみ」
「おやすみ、史緒姉」
姉はしばらくもぞもぞしていたが、やがて規則正しい寝息をたてはじめた。
シスコンじゃないんだ。
ただ、もっと姉のためにできることをしたいだけ。
しばらくは、AIの皆の様子を見よう。
もし姉の邪魔になるようならば何か考えなければならない。
少なくても今まで彼女の支えになってきた人だし無碍にはしてはいけないだろう。
姉の黒髪に手を伸ばして少しだけ梳く。
漠然とした考えの中に不穏なものが混ざってしまうのは、悲しいことで。
嫌な人間になったと思いながら目を閉じた。




