第十二話 壁の向こうの時間
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第十二話 壁の向こうの時間
最後の固定具が外れた
点検蓋は動かなかった
「固着してる」
葛西が工具を隙間へ差し込む
力を掛ければ早い
大きな音も出る
壁の向こうでは、男が琴音の扉を蹴り続けていた
『机をどけろ。今なら何もしない』
信用できる言葉ではない
琴音の返事もない
ルークはカイトへ時計を読ませた
「一分ごとに報告」
「今、二十二時十一分」
葛西が蓋を一ミリ浮かせる
黒い粉が落ちる
また一ミリ
点検蓋を歪ませれば、救助後に閉じられない
急いで音を立てれば、敵がこちらへ来る
急げ
急ぐな
両方が同時に必要だった
「十ミリ」
葛西が囁く
古賀が細い鏡を隙間へ入れた
「床。配線。人影なし」
「通路の高さ」
「一メートル弱。右へ続いてる」
片桐が身体を伏せた
「開けろ」
「まだ中の空気を確認していません」
新城が検知器を近づける
警告なし
「長時間は分かりません。ただ、入ってすぐ倒れる濃度ではない」
葛西が蓋をさらに浮かせる
床との間に、手を差し込める隙間
片桐が待ち切れず手を伸ばしかけ、古賀に止められた
「罠を確認する」
鏡の角度を変える
蓋の裏
通路の天井
細い線や金属片
何も見えない
「開けます」
三人で蓋を支え、音を殺しながら外す
地下の冷気が流れ込んだ
湿ったコンクリート
古い油
火薬の残り香
古賀が先に入る
長い銃は置き、短い装備へ変更
胸の厚い物を外し、腹這いに近い姿勢で進む
『三メートル。右へ曲がる』
片桐が後へ続く
柴崎は点検口に身体を半分残し、退路と前方の両方を見た
ルークは入らない
目の前の通路へ入れば、琴音へ近づける
同時に、第三七号側の閉鎖判断を誰かへ渡すことになる
真壁から個別通信
『地下の三人が戻れない場合、点検蓋を閉める判断はお前がしろ』
「分かっています」
『分かっている顔じゃない』
「俺が判断します」
『ならいい』
入口を閉じれば、琴音も三人も戻れない
開け続ければ、敵が第三七号へ入る
救助計画には、送り出す判断だけでなく、切り離す条件も必要だった
『六メートル。縦穴あり』
古賀の声
『下へ一・八。梯子がある。腐食してる』
「一人ずつ」
『了解』
琴音の扉が、また蹴られた
今度は金属の留め具が一つ外れた音
『課長、地下の古い回線が一つ反応してる』
カイトが管理室から言った
「接続しない」
『接続じゃない。設備一覧に音声出力がある。非常放送用のスピーカーかも』
新城が回線を確認する
『琴音さんの部屋と反対側、外部通路寄りに一つだけ生きています』
「鳴らせますか」
『電源を戻せば。ただし照明や端末まで起きる可能性があります』
遠くで音を出す
扉前の男を引き離せるかもしれない
もう一人の位置も分かる
同時に、地下設備へ電気を戻すことになる
「音だけに分けられる?」
『二十秒ください』
琴音へ孔から呼びかける
「石塚さん。これから廊下の奥で音を出します。驚かないでください」
『……はい』
「扉から離れて、床へ伏せる」
『机があるので、その後ろにいます』
「こちらの人間が名前を呼んでも、すぐ開けない。合図を確認する」
『最初に二回。その次に三回』
「それで」
新城が回路を切り分ける
カイトが数える
「十秒」
地下の古い設備へ、必要な分だけ電気を戻す
交換盤の一部が目を覚まし、見たことのない回線番号が点いた
「五秒」
片桐たちは縦穴の下で停止
通信室まで、曲がり角が二つ
『前方に光。一人、扉前』
古賀の報告
「二人目は」
『見えない』
カイトが最後の端子を入れた
『鳴らす』
地下通路の奥で、古い避難警報が一度だけ鳴った
短く、掠れた電子音
扉前の男が止まる
『何だ』
別の声が右側から返った
『おい、奥を見ろ』
二人目
右側の通路にいる
足音が警報の方へ遠ざかる
ルークは片桐へ伝えた
「右に一人。通信室前に一人」
『見えた』
「救助優先。逃げた敵を外まで追わない」
『扉前を落とす。右は柴崎が止める』
「撃てるから撃つのではなく、必要なら」
『分かってる』
片桐の返事には苛立ちがあった
それでも、命令ではなく確認として受け取っている
古賀が通信室前の男を鏡で見る
『扉へ集中してる。銃は右手。左に工具』
柴崎は右側の足音を待つ
警報が止まる
地下が再び静かになる
男がこちらを振り返る前
片桐が動いた
最初の発砲は二発
狭い通路で音が重なり、機械室の床まで震える
琴音の回線に怒鳴り声
『誰だ!』
右側から連続した銃声
柴崎が壁際へ身を引く
『接触! 二人目、戻ってきた!』
ルークは点検口の前で拳を握った
中へ行きたい
だが今は、三人の前に立つことではなく、三人が戻る場所を残すことが自分の役割
「浜田さん。第一線へ」
「了解」
機械室入口で障害物が動く
真壁が施設側を閉鎖準備へ
カイトは救助班の位置と時刻を記録し続ける
『一人、通信室前で負傷! 武器を離していない』
『右側、後退!』
片桐が追おうとする気配
「片桐班長。曲がり角まで」
『逃がすぞ』
「出口が分からない場所で追えば、こちらが消えます」
一発
遠ざかる足音
『……了解。古賀、扉。柴崎、後ろを見ろ』
通信室前の男は肩を撃たれ、床へ倒れていた
古賀が銃を蹴り離し、呼吸を確認する
『生きてる。出血あり』
「結束して、止血。置いていかない」
『敵もか』
「情報が必要です。それに、ここで死なせる理由はない」
古賀は返事をせず処置へ入った
通信室の扉へ片桐が声を掛ける
『石塚琴音。第三七号から来た』
返事がない
『合図を確認する。最初に壁を何回叩いた』
扉の内側から、弱い声
『二回。返事をしなかった』
『次は』
『三回。私も三回返した』
鍵が外れる音
扉は数センチだけ開いた
痩せた顔
汗で貼り付いた髪
血の滲んだ右脚
琴音は、削った工具を両手で構えていた
『武器を持った人は、下がって』
片桐が一歩下がる
『こちらへ来られるか』
『歩けます』
一歩で、琴音の膝が崩れた
古賀が支える
『中を確認する』
柴崎が通信室へ入った
机の向こう
床に倒れた男
野瀬修
琴音が振り返る
『野瀬さんも、連れていってください』
柴崎が首へ指を当てた
沈黙
琴音には、それだけで分かった
『置いていかないで』
十一話で聞いたのと同じ言葉
今度は、自分ではなく野瀬へ向けたものだった
片桐が通信を開く
『生存者一。敵負傷者一。遺体一。点検路は同時搬送不能』
ルークは時計と退路を見た
外へ逃げた一人が戻る可能性
地下に別の敵がいる可能性
琴音の状態
負傷した敵の出血
野瀬の遺体
順番を決めなければならない
「最初に石塚さん」
琴音が何か言おうとする
「次に負傷者。最後に野瀬さん」
『敵を先にするの』
「生きている人間を先に運びます。野瀬さんは必ず迎えます」
琴音の返事はない
片桐が簡易担架を作り始める
救助は始まった
戦闘は、まだ終わっていなかった




