第五話 最初の住民
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
第五話 最初の住民
鋼鉄扉が、人ひとり通れる幅まで開いた。朝の光と一緒に、冷えた外気が入口室へ流れ込んでくる。最初に入ってきたのは、工具箱を抱えた老人だった。次に、右脚を引きずる若い女性。最後に、その女性の上着へしがみついた女の子。三人が入ったところで、古賀が外を確認する。
「追跡者なし。公園内にも動きは見えない」
「外扉を閉鎖」
ルークが管理端末へ入力する。重い鋼鉄扉が動き、細くなった朝の光を切り取っていく。完全に閉じる直前、女の子が外を振り返った。何かを置いてきた者の顔だった。扉が閉まる。固定装置が降り、入口室は第三七号の内部からも隔離された。透明な強化窓を挟み、ルークたちは三人と向き合う。
「武器を持っている場合は、床へ置いてください」
室内の拡声器は壊れている。代わりに、内扉横の通話口から声を通した。老人は工具箱をゆっくり床へ置き、両手を見せた。女性も上着のポケットを外へ返す。小さな布袋。空の水筒。折り畳まれたハンカチ。武器はない。
「名前を聞かせてください」
老人が通話口へ近づいた。
「葛西正信。六十八だ」
古賀の眉が動く。
「葛西?」
「何だ」
古賀は腰のポーチから、錆びた名札を取り出した。第四話で管理室から見つけたものだった。
《施設管理主任 葛西》
強化窓越しに見せる。老人――葛西正信は、目を細めた。
「そいつは俺のだ」
入口室の空気が変わった。浜田が銃を少しだけ上げる。
「この施設の管理者だったのか」
「管理者だった。二十年以上前にな」
「鍵は」
「持ってない。閉鎖が決まった時に役所へ返した」
葛西は床の工具箱を見た。
「残ったのは、仕事道具だけだ」
ルークは女性へ視線を移した。
「あなたは」
「高瀬真由です。三十一歳。この子は娘の結衣。七歳です」
高瀬真由の声は掠れていた。
「近くの集合住宅にいました。昨日までは十二人いました。でも、食べ物がなくなって……外へ探しに出た人が戻らなくて……」
言葉が止まる。娘の結衣が、母親の上着を握る手へ力を込めた。
「葛西さんが、ここなら地下に避難施設があるかもしれないって」
「中に誰かいるとは思わなかった」
葛西が言った。
「発電機の排気が見えた。だから来た」
第三七号の灯りを守ったことで、人を呼び寄せた。発電機の煙も音も、生存の印になる。同時に、敵へ場所を知らせる印にもなる。ルークはその事実を記憶へ置いた。
「高瀬さん。脚の怪我は」
「階段で転びました。歩けます」
「結衣さんは」
「昨夜から震えが止まらなくて」
女の子は震えていなかった。震える力が残っていない可能性がある。唇の色も悪い。
「入口確認を終えます。古賀さんと女性プレイヤー一名で身体と荷物を確認。子供を優先して医務室へ」
「女性プレイヤーは二人とも休息中だ」
浜田が言った。十一人のうち、カイトを含む二人が安全ログアウトしている。
「高瀬さん本人の同意を取った上で、古賀さんが確認してください。必要最低限で」
「了解」
「葛西さんの工具箱は、こちらで中身を確認します」
「壊すなよ」
「壊れた施設を直すための物なら、壊しません」
葛西は初めて、わずかに笑った。工具箱の中身は、武器より重かった。レンチ。ドライバー。絶縁工具。小型の手回しドリル。導通確認器。細い針金。交換用のヒューズ。種類の違うボルトとナット。布へ包まれた古い鍵が三本。
「施設の鍵じゃないと言ったな」
浜田が聞く。
「ここの鍵じゃない」
葛西が一本ずつ指した。
「住宅地の配水設備。公園の倉庫。南側にある排水ポンプ管理棟」
「まだ使えるのか」
「見なきゃ分からん」
葛西の回答は古賀に似ていた。機械は動かしてみるまで分からない。図面だけで安全とは言えない。ルークは工具箱を葛西へ戻した。
「第三七号の設備を確認してもらえますか」
「もう使う気になってる顔だな」
「使えますか」
「先に水と娘さんだ」
葛西は医務室の方向を見る。
「仕事の話は、それからでいい」
その言い方で、ルークは少しだけ警戒を緩めた。能力を売り込むより、同行者を優先した。少なくとも今は、そう判断できる。医務室では、結衣が乾いた毛布に包まれていた。高瀬真由の脚は腫れていたが、明らかな変形はない。古賀が固定具を当て、無理に歩かせないよう説明する。結衣には少量ずつ温めた水を飲ませた。厨房の加熱設備は完全ではなかったが、電気ポットだけは使える。真壁がベッドから様子を見ている。
「三人とも、今すぐ命に関わる状態ではない」
PTIDに表示された評価は、真由が《注意》、結衣が《危険》、葛西が《注意》だった。結衣には低体温と脱水の疑い。葛西は疲労と栄養不足。高瀬真由は脚の負傷に加え、睡眠不足が強い。敵ではなかった。少なくとも、今の検査では。問題は、その後だった。管理端末に人員が追加される。
《保護対象:葛西正信》
《保護対象:高瀬真由》
《保護対象:高瀬結衣》
《現在人員:14》
《稼働可能寝床:9》
《安全な飲料水:推定18時間分》
《食料:推定7時間分》
食料だけが、急に短くなった。
「七時間?」
セトが画面を覗き込む。
「さっきまで、もう少しなかったか」
「子供と負傷者へ優先配分した場合です」
「均等にすれば」
「全員が少しずつ足りなくなる」
ルークは食料一覧を開いた。携帯食。栄養バー。報酬箱へ入っていた保存食。数だけ見れば、十四人が一度食べる分はある。だが、次がない。今すべてを配れば、空腹を先送りするだけだった。
「朝食は半量。子供と負傷者は通常量。作業者には追加分を出します」
「また配給管理か」
ミナトが腕を吊ったまま言った。
「拠点経営って、銃より計算してる時間の方が長くないか」
「まだ経営できるほど物がない」
「それはもっと悪いな」
カイトなら何か軽口を挟んだだろう。だが、そのカイトはまだオフラインだった。ルークは人員一覧を見る。
《KITE:オフライン》
《RIN:オフライン》
プレイヤーが二人いないだけで、第三七号は静かに感じられた。彼らの身体は消えている。担当していた仕事だけが残る。
「警戒を減らすわけにはいかない」
浜田が言う。
「機械室も止められない」
「医務室も人が要る」
真壁が続ける。十四人いる。だが、十四人全員が働けるわけではない。ログアウト中が二人。負傷者。子供。新しく来た三人は疲れ切っている。人数と労働力は同じではなかった。
「葛西さんが休んだ後、設備を見てもらいます」
「もう休んだ」
声が管理室の入口からした。葛西が工具箱を持って立っている。
「十分ですか」
「十分じゃない。だが、あの発電機の音を聞きながら寝る方が難しい」
古賀が鼻で笑った。
「同感だ」
二人は言葉を交わす前から、同じ種類の人間らしかった




