プロローグ 帰還
『VRMMO -関東封鎖戦域-』
プロローグ 帰還
午前四時十七分
東京の地下で、岩盤が裂けた
最初の揺れは、眠っていた街を下から殴りつけた。高層ビルが軋み、首都高速の橋脚が折れ、地下鉄のトンネルでは照明が一斉に落ちる。湾岸の埋立地は波のようにうねり、積み上げられたコンテナが崩れた
電気が消え、通信が途切れた
信号を失った交差点へ車が詰まり、避難する人と家族を迎えに行く人が同じ道でぶつかる。官庁街では非常用電源が立ち上がったものの、中央防災指揮所の大型画面は半分以上が暗いままだった
『千代田管区、応答ありません』
『湾岸通信局、予備回線への切り替えに失敗』
『主要幹線で複数の崩落を確認』
『第二波、来ます!』
床が跳ね、天井から粉塵が落ちた。職員たちは机へしがみつきながら、届かない相手を呼び続ける
この時、災害より先に動き始めていた者たちがいた
地震発生から三十二分後、湾岸の物流倉庫で警備員が射殺された。四十五分後には郊外の変電施設が占拠され、一時間七分後、閉鎖中の地下鉄保守通路から武装集団が地上へ現れる
彼らは一つの軍隊ではなかった
国外から送り込まれた工作員。分離独立を唱える過激派。混乱に乗じて縄張りを広げる犯罪組織。政府施設を狙う者もいれば、企業の研究資料だけを奪う者もいる。同じ道路を使うために協力し、用が済めば撃ち合った
物流倉庫は要塞へ変わり、駅の改札には即席の検問所が築かれた。救援物資を積んだ車両が奪われ、避難者の列へ武装兵が紛れ込む。正規部隊の制服を着た偽装兵まで現れ、味方と敵を分ける線は地図から消えた
政府は非常事態を宣言し、警察と自衛隊を投入。在日米軍が輸送と通信を支え、国際部隊と民間軍事会社も重要施設の確保へ動いた
関東以外では、犠牲を払いながらも少しずつ指揮系統が戻った。道路が開き、避難所へ食料が届き、孤立した町へ救援部隊が入る
だが関東だけは終わらなかった
地上には高層建築と住宅地。その下には鉄道、地下街、共同溝、排水路、保守通路が幾重にも走る。一つの地区を制圧しても敵は地下へ消え、別の駅から現れた。誰が誰に命令し、どの集団がどの企業とつながっているのか。調査が追いつく前に死者が増えていく
大規模制圧は失敗
政府は民間人の退避を優先し、関東一帯を特別隔離区域へ指定した。橋とトンネルは封鎖され、空と海からの出入りも制限される
残された地域へ入る役目は、二つのPMC企業連合が担った
日本政府と在日米軍に太い補給線を持つ、八洲共同警備機構
欧州と中東の企業を中心に独自の輸送網を築いた、ヘリオス・リカバリー・コンソーシアム
双方が掲げる目的は、関東隔離区の安定化と民間人の保護
けれど、欲しいものまで同じだった
情報、燃料、輸送路、研究資料。まだ動く工場と、そこを直せる技術者
奪う価値のあるものが残る限り、銃声は止まらない
完全封鎖区域
断絶した通信
足りない水と食料
持ち込んだ装備を失う恐怖
拾った物を持ち帰れるのは、生きて脱出地点へ着いた者だけ
正義は弾丸を止めず、勇気も帰還を約束しない
死ねば、何も持ち帰れない
◇
暗転した視界の中央へ、ひび割れた関東地図が浮かんだ
東京湾岸から内陸へ、赤い警戒区域が血管のように広がっていく。低い振動音とともに、最後の題名が現れた
関東封鎖戦域
「相変わらず、景気の悪い始まり方だ」
三上宗一は映像を止めた
西暦二〇五七年。四十七歳になった宗一の部屋には、銃も弾薬箱もない。仕事帰りに脱いだスーツ、半額の惣菜が入った冷蔵庫、充電中の会社端末。そして配送箱から出したばかりのフルダイブ装置
大きめのリクライニングチェアへ頭部接続リングと生体監視ユニットが付いている。若い頃に夢見た未来の機械は、思っていたより医療器具に近かった
会社では課長と呼ばれている
遅れた荷物の代替経路を探し、誰をどの現場へ回すか決め、上から降ってきた無理をそのまま部下へ落とさないよう削る。そういう仕事ばかり上手くなった
自分の時間が戻ってきた頃には、何をして過ごせばいいのか分からなくなっていた
このゲームを教えたのは、部下の篠宮蓮だった
『課長、昔こういうゲームをやってたんですよね』
昼休みに見せられたのが、今止めた広告映像だった
『四十周年で、ついにフルダイブですよ。しかも昔みたいなハードコア路線へ戻すらしいです』
昔みたいな――その一言が、二十年触れずにいた場所へ刺さった
宗一が十代から二十代にかけて熱中したのは、『ヴォロナ・プロトコル』という古いゲームだ
好きだったのは撃ち合いではない
弾薬の残りを数え、食料と医療品の重さを比べ、危険な道を避ける。仲間が倒れたら助けに戻るか、装備だけでも持ち帰るかを決める。欲を出して奥へ進めば、それまで集めた物を全部失う
勝つより、帰る方が難しい
その不自由さが好きだった
二十二歳だった頃、宗一は仕事以外の時間をほとんど閉鎖都市で過ごしていた。だが記念更新を境に、ゲームは変わった。失った装備は簡単に戻り、敵味方には分かりやすい印が付き、目的地まで地図が案内するようになった
遊びやすくなった。新しいプレイヤーも増えた
宗一には、自分が好きだったものが丁寧にほどかれていくように見えた
だから辞めた
怒ったわけではない。ただ、自分の居場所ではなくなったと思った
それから二十年
旧作の一部権利を取得した天城インタラクティブが、四十周年記念作品として発表したのが『関東封鎖戦域』だった。舞台は遠い架空都市ではなく、震災と武装蜂起で封鎖された日本の関東地方
宗一は装置へ身体を預け、安全確認を一つずつ終えた
接続が始まる
視界が暗くなり、自宅の感覚が遠ざかる。次に目を開けた時、目の前には二つの部隊章が浮かんでいた
《所属PMCを選択してください》
《八洲共同警備機構》
《ヘリオス・リカバリー・コンソーシアム》
宗一は八洲を選んだ
続いて名前の入力欄
十五歳の頃から使い続けた名前を、迷わず打ち込む
《ROOK》
確定すると、白い文字が浮かんだ
『関東封鎖戦域へようこそ』
足元に硬い床の感触が戻る。目の前の鉄扉が、重い音を立てて開き始めた
二十年ぶりの帰還
宗一――ルークは、扉の向こうへ一歩踏み出した




