第10話 モンスター襲来、ステージは守ります(後編)
宿に戻った。
廊下で、レクトちゃんとすれ違った。
「……まだ起きていたのか」
「うん、おつかれ。レクトちゃんのおかげで——」
「礼はいい。寝る」
素っ気ない。いつも通り。聖剣を肩に担いで、自分の部屋に向かっていく。
——でも。
なんか、変だ。
歩き方がいつもと違う。右足を庇ってる……んじゃない。左の脇腹を、微妙にかばってる。金色の髪の隙間から見える首筋が——汗。戦闘が終わって1時間以上経ってるのに、まだ汗をかいてる。
いや、あれは冷や汗だ。
(……レクトちゃん、怪我してる?)
ゴブリン戦で覚えた。血の匂い。鉄っぽくて、生臭い。かすかに——ほんのかすかに、レクトからその匂いがする。
鎧の下で、隠してる。
「レクトさま」
セラフィーナが部屋の前で待ってた。いつものように、レクトの鎧を脱がせる準備をしてる。タオルと着替えを腕に掛けて。
「今日もお疲れ様でした。お着替えを——」
セラフィーナの手が止まった。
紫の瞳が、一瞬だけ鋭くなった。
「レクトさま。鎧の左脇、いつもと膨らみが違います」
「……気のせいだ」
「気のせいではありません。毎日お着替えをお手伝いしていますので。今日の左脇は——」
「いいから。寝る。触るな」
レクトが部屋のドアを開けようとした。でも鍵を回す動きで、脇腹に力が入って——
「っ……」
一瞬、顔が歪んだ。
「レクトちゃん」
「なんだ」
「怪我してるでしょ」
「してない」
「嘘。歩き方おかしいし、脇腹かばってるし、汗かいてる」
レクトの耳が赤くなった。図星。
「……大したことない」
「大したことないなら、見せて」
「見せん」
「レクトちゃん」
「しつこい」
「レクトさま」
セラフィーナが静かに、でもはっきり言った。
「傷の回復に身体エネルギーを大量に消耗しています。SSR勇者の自己回復力が傷を塞ごうとしているのですが、それだけ体の中のエネルギーが枯渇していきます。今夜中に補充しないと——」
「……」
レクトが黙った。
「……部屋に入れ。二人とも」
◇
レクトの部屋。
レクトがベッドの端に座った。ふんっ、と鼻を鳴らして腕を組んでる。
「手短に済ませろ」
「では、鎧を」
セラフィーナが手際よく鎧の留め具を外していく。かちゃり、かちゃり。慣れた手つきだ。毎日やってるんだろう。
——鎧が外れた。
息を飲んだ。
鎧の下のレクトは——想像と違った。
SSR勇者。ステータス全項目A以上。聖剣を片手で振り回す最強の戦士。
その鎧の下は——白い。華奢。骨格が細くて、肩幅が狭くて。金髪碧眼に白銀の鎧というイメージから想像する「強そうな体」じゃなくて、少女の体だった。
ステータス最高クラスなのに、見た目は——ただの、少女だ。
「……見るな」
レクトが腕で体を隠そうとした。耳が真っ赤。
「え、あ、ごめん。でも傷——」
脇腹から腰にかけて、爪の引っかき傷。赤い線が3本、斜めに走ってる。思ったより深い。鎧の隙間から入り込んだんだ。ミラージュウルフの爪。
傷口の周りの肌が、かすかに青白くなってる。血色が失われてる。
「……レクトちゃん、顔色悪い」
「大したことない。寝れば治る」
「寝ても治りません」
セラフィーナがきっぱり言った。
「傷を塞ぐために身体エネルギーが大量に消耗されています。このままでは自己回復で体力が尽きます。女神の聖なる力で、体の中にエネルギーを直接補充する必要があります」
「なら手を当てて治してくれ。いつものように」
「表面の傷はそれで塞がります。ですが、体の奥のエネルギーが枯渇しています。外からの回復では表面までしか届きません」
セラフィーナが手袋を外した。白い指。爪が短く整えられてる。
「患部に直接触れた方が、聖なる力の補充が早いです」
「……好きにしろ」
レクトがそっぽを向いた。
……でも、体がこわばってる。脇腹の傷を見せるのが嫌なんじゃない。私がいるから、だ。
セラフィーナに鎧を脱がされるのは日常。でも、そこに私がいると——空気が違う。
私はベッドの横の椅子に座った。なんとなく、ここにいた方がいい気がした。
「……桜庭。なぜいる」
「護衛任務の延長だよ。レクトちゃんの怪我が治るまで見届ける」
「見届けるって……別に死ぬわけじゃない」
「いいから、おとなしく治療されて」
「っ……」
レクトがそっぽを向いた。耳が赤い。首筋まで赤い。
セラフィーナの手が、レクトの脇腹の傷に触れた。
「っ……」
レクトの体がぴくっと震えた。
白い手のひらから、淡い光が漏れてる。聖なる力。シャンデリア級の後光を持つSSR女神のエネルギー補充能力。
「表面の傷を塞ぎます。少し温かくなりますが、痛みはありません」
傷口が光に包まれる。赤い線が薄くなっていく。表面はきれいに塞がった。
「……表面は問題ありません。ですが——」
セラフィーナの指が、傷があった場所をそっとなぞった。
「体の内部のエネルギーが枯渇しています。聖なる力を直接、体の奥に届ける必要があります」
「……どうやって」
「女神の体液には聖なる力が含まれています。肌から浸透させることで、体の中のエネルギーを補充できます」
「——え?」
「……これも治療です」
治療。うそでしょ。
「レクトさま。よろしいですか」
「……好きにしろ」
セラフィーナが、レクトの脇腹に、唇を寄せた。
「っ……!」
レクトの全身がびくっと跳ねた。シーツをぎゅっと握りしめる手が、白くなる。
「痛くはないはずです、レクトさま。むしろ……」
「やめ……」
セラフィーナの「神殿で習った治療法」は、女神の聖なる力を、唇や指から、レクトの体に直接浸透させる、というものだった。プライドの高いレクトの顔が、見るからに、崩れていく。
私は、レクトの腕を押さえている役だった。レクトが暴れないように、補助。それが役目。
——のはずなのに、目が、離せない。
私の体の奥にも、変な熱が、ゆっくり、走り始めた。
「桜庭さま」
セラフィーナが、振り向きざまに、女神スマイル。
「治療を手伝っていただけませんか」
「え? 私が?」
「お一人より、二人がかりの方が、効率的です」
確信犯のスマイル。これはたぶん最初から計画通り。
「……わかった」
私も、レクトの体に、そっと手を伸ばした。
レクトが「お前ら結託してるだろ!」と叫んだけど、私の手のひらが頬に触れた瞬間、その声は途切れた。
「桜庭……お前まで——」
「ふんっ、って言ってる場合じゃないでしょ。おとなしくしてて」
——以下、二人がかりの「治療」が、しばらく続いた。
セラフィーナの聖なる光と、私のやさしい手のひら。レクトのSSRのプライドは、ふたりがかりの「治療」の前に、ほぼ崩壊していた。
最終的に、治療は完了した。レクトはぐったりとベッドに沈み込んで、聖剣を振るうSSR勇者の威厳は、今夜だけは、どこかに飛んでいた。
「……許さない」
レクトが、枕に顔を埋めたまま、呟いた。
ツンデレ翻訳:「気持ちよかった」。
セラフィーナが、にっこり、笑った。
「これで治療は完了です。エネルギー補充率100%を超えました」
「お前ら……覚えてろ……」
——その流れで、今度は、私が、レクトに、お返しをされる側になった。
「お前は私の恥ずかしいところを、全部見た。これでおあいこだ」
声が震えてた。強がり。全力の強がり。
レクトの目が、獣みたいに、鋭く光った。
「ちょ、レクトちゃ——」
ベッドに、引き倒された。SSR勇者の握力。逃げられない。
「ふんっ。ちゃん付けは——いや、いい」
レクトのツンが、ちょっと出た。
そこにセラフィーナまで加わって——以下、二人がかりの「治療」が、私の側にも、向けられた。
最終的に、私もレクトも、二人ともセラフィーナに、いいように転がされた。
夜の終わりに、セラフィーナが、にっこり笑って言った。
「念入りに、治療させていただきました」
「セラフィーナ、お前……」
レクトが、再び枕に顔を埋めた。
私も、自分のシャツのボタンを直しながら——指が震えて、うまく留まらない。もう何度目かわからない、深いため息をついた。
◇
治療が終わった。
セラフィーナがいつもの敬語で「エネルギーは十分に補充できました。明日には万全の状態に戻ります」と報告した。さっきまで何をしてたのか信じられないくらい平然としてる。
レクトがベッドの端に座って、壁を向いてる。肩が強張ってて、耳がまだ赤い。
「……レクトちゃん」
「なんだ」
「怪我、ちゃんと見せてね。今度から」
「……次はない」
「次はあるよ。戦ってる限り」
「……」
レクトが振り向かないまま、小さく言った。
「……別に。今日のことで——貸しにはしない」
ツンデレ翻訳:「心配してくれてありがとう」。
「おやすみ、レクトちゃん」
「……失せろ」
ツンデレ翻訳:「おやすみ」。
部屋を出た。廊下で、セラフィーナとすれ違う。
「桜庭さま」
「セラフィーナ」
「レクトさまの治療は、いつもはもっと簡素です」
「……でしょうね」
セラフィーナが、ちょっとだけ笑った。
「今日は——桜庭さまがいらしたので、少し、念入りにしてしまいました」
「念入りって——」
「おやすみなさい、桜庭さま」
セラフィーナが自分の部屋に消えた。水色の髪が揺れて、扉が閉まった。
(……あの子、天然なの? 確信犯なの?)
わからない。
ただ一つわかるのは——今夜のことは、絶対に忘れられない。
脚が、まだ、震えてた。




