第7話 緊急メンテにつき、モンスターは出現しません(前編)
第7話 緊急メンテにつき、モンスターは出現しません(前編)
◇
異世界10日目の朝。
目覚めると、空に巨大な文字が浮かんでいた。
窓から差し込む朝日の中に、半透明の文字列。ステータス画面と同じフォント。同じ色。
『緊急メンテナンスのお知らせ』
『現在、モンスターの出現システムに不具合が発生しております。復旧までフィールドでの戦闘は行えません。ご迷惑をおかけし申し訳ございません』
「……バグ発生か?」
リルアがもそもそとベッドから起き上がった。銀色の髪がぼさぼさで、後光が寝ぼけてぼんやり。
「ひなたちゃん……空に字が書いてある……」
「メンテだって。今日はモンスターが出ないらしい」
「もんすたーが出ない? じゃあ……」
「お休みだね」
「やったぁ!」
リルアがベッドの上でぴょんと跳ねた。昨日の約束通りの休日。約束した上に、世界の方からも「休め」と言ってきた。
リルアが私の腕にぎゅっとしがみついた。昨夜から——いや、あのお風呂の夜から、リルアの距離感がさらに近くなった。
お腹に顔を押しつけてくる。甘えてる。
「ひなたちゃん、今日はどこにも行かないで一緒にいて」
「うん、いるよ」
……あの夜以来、リルアと寝る時の体の密着度が明らかに上がっていた。前は腕にくっつくだけだったのに、今は全身で絡みついてくる。
それはさておき。
◇
ギルドに行くと、入口に「本日休業」の札がかかっていた。
その札の前に、エルナさんがいた。
いつものギルドの制服じゃない。白いブラウスにロングスカート。私服だ。
「あ……桜庭さん、リルアさん。おはようございます」
「おはようございます、エルナさん。今日はお休みですか?」
「はい。緊急メンテでギルド機能も停止していますので」
エルナさんが少しもじもじして、視線を逸らした。
「あ、あの。もしご予定がなければ、なんですが」
「はい」
「……今日、一緒に遊びませんか」
「え?」
「街の東にきれいな川があるんです。今日みたいにモンスターがいない日なら——その、水遊びとか、どうかなって」
いつもの「データ収集」の建前がない。純粋なお誘いだ。
リルアが私の袖を引っ張った。
「ひなたちゃん! 川遊び! 行こう!」
「うん、行こうか。せっかくの休日だし」
エルナさんの表情がぱっと明るくなった。年相応の女の子の顔。
「ほんとですか!? あの、私、お弁当を作ってきてもいいですか!?」
「え、お弁当まで?」
「料理は得意なんです。唯一の生活スキルなので」
◇
マーケット通りで水着を買った。リルアは迷い0秒で白いフリル付きのワンピース型を選んだ。エルナさんは長いこと迷ったあと、ワインレッドのシンプルなビキニを選んだ。
「ワンピース型は全部売り切れていて……派手なのは苦手なので、これが一番落ち着いた色だったんです」
私は紺色のスクール水着みたいなのを選んだ。ワンピース型で、腰のところにちょっとスカートみたいなフリルがついてるやつ。胸がないのでビキニを選んでも何も主張できない。
◇
川に着いた。
透き通った水が岩の間を流れてる。幅は10メートルくらい。川底の石がはっきり見えるほど透明で、木漏れ日がきらきら水面に揺れてる。
着替えて出てきたら——
「ひなたちゃん!」
リルアが白いワンピース水着で飛び出してきた。かわいい。白いフリルが銀色の髪に映えてる。
エルナさんも出てきた。
……あ。ビキニだった。
ワインレッドのシンプルなビキニ、と説明を聞いていたはずなのに。実物を見るまでわかってなかった。ポニーテールがいつもより高い位置で結ばれて、首筋から肩にかけてのラインが全部見えてる。そして、胸が。
胸が、ビキニのトップスから溢れそうに、なってる。
布の面積が少なくて、谷間がはっきり見えてる。制服を着てる時に想像してた以上の、ずっと上の話だった。
エルナさんが両腕を胸の前で交差させて隠した。耳まで赤い。
「……見ないでください」
「見てないです」
見てた。
あの夜、リルアの胸に触れた記憶が蘇る。リルアとは違う、もっと大きな——
考えるな。
『3人の水着姿にフィルターかからないの?』
『水着は服だからセーフ判定(神仕様)』
『ギルド受付嬢の胸囲、制服詐欺だったことが発覚(速報)』
◇
川に入って遊んだ。
リルアが水をばしゃばしゃ跳ねさせる。3人で水をかけ合って、笑って、叫んで。
前の世界では絶対にやらなかったこと。
しばらく遊んで、岩場で休憩していた時だった。
エルナさんが深い方に足を踏み入れたところで、川底の苔に足を滑らせた。
「きゃっ——」
バランスを崩して、水中に沈みかける。私が咄嗟に手を伸ばした。
「エルナさん!」
エルナさんの腕を掴んで引き上げようとした——その時。
ずるっ、と。
エルナさんの水着の肩紐が、岩の突起に引っかかって——
「あっ——」
ずれた。
エルナさんの水着が、肩からずるっとずり落ちかけた。
「やっ——!」
エルナさんが慌てて押さえる。でも片手で私に掴まって、片手で水着を押さえて、体勢が不安定で——
「エルナさん、掴まって!」
私がエルナさんの体を支えようとして、両手を伸ばして——
……手が。
ずるりとずれた水着の上から、やわらかいものに、触れた。
ふに。
「…………」
「…………」
時間が止まった。
手のひらに伝わる、やわらかくて、あったかい感触。水着の薄い布越し。リルアの時とはまた違う——大きい。明らかに大きい。手のひらに収まらない。
指が沈んでいく。弾力がすごい。水着がずれたせいで、布が薄くなったところから直接——
エルナさんの体がびくっと震えた。
——この一瞬の、息を呑むような気配。
リルアがあの夜、最初に見せたものと同じだ。驚きと、困惑と、それから——
「ご、ごっ、ごめんなさい!!!!」
ばっと手を離そうとした。
でも離す瞬間に、指先がエルナさんの胸の真ん中に、もう一度、軽くかすった。
エルナさんの体が、ぴくんと跳ねた。目が見開かれて、切れ長の瞳が潤んで——すぐにぎゅっと閉じられた。
「ち、違うんです! 支えようとしたら手が! 不可抗力!」
「わ、わかってます……不可抗力……」
エルナさんが水の中に肩まで沈んで、顔を真っ赤にしてる。水着を直しながら、もじもじしてる。
「あ、あの、桜庭さん」
「はい! すみません!」
「……痛くは、なかったです。その、大丈夫です」
痛くなかったって言われても。問題はそこじゃなくて。
……いや、問題はその先にあった。
エルナさんの体に触れた瞬間の感触が、手のひらにはっきり残ってる。リルアとは違うやわらかさ。エルナさんの体が、ほんの少しだけ、反応していたのが、わかった。
そして私も。
胸の奥が、きゅっとした。あの夜、リルアと過ごした時と、ちょっと似た感覚。
まずい。これはまずい。
リルアが岸辺からこっちを見てた。後光がちかちか不穏に明滅してる。
「……ひなたちゃん」
「ち、違うの。事故だから」
「私の時も事故だったよね」
「うん。事故。全部事故」
「……ふーん」
後光、暗い。嫉妬バロメーター、反応してる。
「リルア、こっち来て。一緒に遊ぼ?」
リルアがぷくっと頬を膨らませた。でもすぐに水に入ってきて、私の腕にぎゅっとしがみついた。
「……私の方が先だから」
「何が?」
「揉まれたの」
「その主張やめて!?」
◇
お昼になった。
川辺の木陰に座って、エルナさんのお弁当を開けた。三段の重箱みたいな木の器に、色とりどりのおかずが詰まってる。全部おいしかった。
そして——午後。
エルナさんが、自分の過去を話してくれた。
召喚されたこと。女神が現れようとした時に、怖くて手を引っ込めたこと。勇者になれなかったこと。
リルアが「怖かったのは、普通だよ」と言って、エルナさんが泣いた。
エルナさんが私を抱きしめて「死なないでください」と言った時——水着越しのエルナさんの体温が、さっきとは別の意味で、じんわりと胸にしみた。
リルアも抱きしめて、「一緒にいて?」と言った。
3人で川辺に座ってる。リルアが私の膝で寝た。
エルナさんが隣で、ノートに何かを書いてた。
穏やかな午後だった。
◇
夕方前。リルアがまだうとうとしてて、私とエルナさんが二人きりで川辺に座ってた。
足を水につけて、ぱちゃぱちゃ。
「桜庭さん」
「はい」
「……さっきの、ことなんですが」
「さっき?」
「川で……その」
エルナさんが頬を赤くした。
「あの。触られた時の、ことです」
「すみませんでしたぁぁぁ!」
「違うんです。謝ってほしいわけじゃなくて」
エルナさんが膝を抱えた。ポニーテールが揺れてる。
「……正直に言うと」
「はい」
「……嫌じゃ、なかったんです」
「…………え」
「事故だったのはわかってます。でも。桜庭さんの手が触れた時——」
エルナさんの声が、かすかに震えた。
「体が、反応しました。自分でもびっくりしました。前世でも、この世界でも、誰かに触れられて体が反応したことなんて一度もなかったんです」
「エルナ、さん……」
「ずっと——記録者でいたから。誰かに触れることも、触れられることも、なかった。体だけじゃなくて、心も。ずっとガラスの向こう側にいたみたいで」
エルナさんが水面を見つめた。
「でも桜庭さんの手は——ガラスを通り抜けてきた。事故だったのに」
沈黙。川のせせらぎだけが聞こえる。
「……それで、あの声が出ちゃったんです。自分でも知らない声でした」
「……エルナさん」
「こんなこと言って、気持ち悪いですよね。すみません、忘れてください」
「気持ち悪くないよ」
自分でも意外なくらい、はっきり言えた。
「……え?」
「私も——リルアに初めて触れた時、同じ気持ちでした」
言ってしまった。
エルナさんが目を見開いた。
「桜庭さんとリルアさんは、もう——?」
「…………はい」
「…………」
「数日前の、お風呂で」
「…………」
エルナさんの切れ長の目が、ゆっくりとまばたきした。
「……そうですか」
寂しそうだった。ほんの一瞬だけ。すぐに受付嬢の笑顔に戻ったけど。
「いい関係ですね。桜庭さんとリルアさん」
「エルナさん」
「はい」
「私、エルナさんのことも——」
言葉が詰まった。何を言おうとしてるのか、自分でもわからない。
エルナさんが好き?
友達として?
それとも——リルアに感じてるのと同じ種類の?
手のひらに残ってる感触が、答えを知ってる気がした。
「……エルナさんのことも、大切です」
「……ありがとうございます」
エルナさんが笑った。やわらかい笑顔。でも目の端に、何かを諦めたような色がちらっと見えた。




