#2 その悲しみを拭いたい
そして次の日。今日からセツは学校に通う。急過ぎて緊張しているかと思いきや、そうでもなかった。むしろ緊張感がなさすぎて心配になるくらいだった。
「ネクタイってどうやって結ぶの?」
「…………」
朝からそんなことを言われて、雫は言葉を失った。
雫とセツの通う学校は、男女共にブレザーだった。男子はネクタイをしなくてはならない。
「ど、どうしよう。私もわからない」
「もうなくて良くない?俺、首元締まるの好きじゃない」
「だめだよ、ネクタイなかったら校則違反……」
なんとかならないかといじくり回していた雫の頭を、彼女の後ろに立った人がぽんと叩いた。
「なーに玄関先で面白いことやってんの、君らは」
「錦さん」
そこにいたのは、二十代後半くらいの男性だった。真っ白な長い髪は頭の後ろで括られていて、手には煙草の箱とライターがある。どうやら、これから一服しようとしていたらしい。彼は無表情でセツを見下ろすと、瞬時に状況を悟ったようだった。金色の目がきらりと光って細められる。
「はーんなるほど。こっち来な坊主。結んでやるよ」
「……はあ、どうも」
セツが警戒しながらもお礼を言う間に、男性はさっさとネクタイに取り掛かった。彼は、人のだと難しいんだよな、とぼやきながらも、さほど時間はかからずにネクタイをそれらしい形にしてしまった。雫がやるのよりずっと良い。
「ん、出来た。ほれ、もたもたしてると電車乗り遅れるぞ」
「あ、ありがとうございます、錦さん」
「……ありがとうございました」
雫の後に続いて頭を下げたセツが、何か言いたそうにしているのに気づいたらしい。錦と呼ばれたその人は、煙草を咥えながらにやりと笑った。
「自己紹介はまた次の機会にな」
とりあえずその場は、二人とも駅に向かうことにした。彼の言う通り、電車の時間が差し迫っていたから。
「いってらっしゃい」
階段を降りた二人の背中に、階上から声がかかる。上を見上げると、錦が煙草をくゆらせながらひらひらと手を振っていた。
「いってきます」
と言って雫が小さく手を振り返す横で、セツは軽く会釈をする。
小走りに駅に向かう途中で、セツが口を開いた。
「あれ、メデューサ?」
「えっ、すごい。よくわかったね」
「何となくね。においで」
それを聞いて、雫はすぐに納得した。人狼は鼻がいいのだ。
「そう。錦さんはメデューサなんだ。私の隣の部屋に住んでる」
つまり左手から、錦、雫、セツの順に部屋が並んでいるということだ。ちなみに錦が角部屋だった。
「あのアパートには、亜人か、亜人保護免許を持っている人しかいないんだよ。余計な隣人トラブルを避けるためにね」
「へえ。今までに住んだところは、そんな風に区別化されてなかったけど」
「今は、こういう制度が整理されてる真っ只中だから。都市によってかなり違うと思う」
この街は、この国の中でも、亜人と共生するための制度がよく整えられている方だ。亜人が住む割合も多い。雫の通う学園も、それを顕著に表している。
透和学園。
人間と人外が共生するための世界を形作ってゆく人間を育てるための学校。
*
「はぁー……」
盛大なため息をつきながらデスクワークをしている細川を見て、片岸も小さくため息をつく。このまま放っておいても良かったが、真面目な細川はまた余計な被害妄想を始めそうだったので、フォローはしておくことにした。
「セツのことなら、そんなに心配することもないと思うぞ」
「ああ、やっぱ何で思い悩んでるのかわかります?もう胃に穴があきそうで……」
胃に穴が空く前に、貧血で倒れそうだ。
青白い顔をしている細川を見て、片岸は呆れ返った。この様子じゃあ、仕事にも身が入らないだろう。少し安心させてやるかと、片岸はおもむろに口を開いた。
「あいつの新しいバディ、天羽雫っていったな。透和学園の生徒だそうだ」
「えっ……透和学園!?」
よほど驚いたのか、細川はがたんっ、と椅子を蹴飛ばして立ち上がった。それからすぐに我に返って座り直したが。
「……あー……なるほど道理で……そういうことでしたか。学生なのに資格持ってるのも納得ですね、あの学園の生徒なら」
「昨日、制服見たときに気づかなかったのか?」
「うっ……」
冷静に指摘されて、細川は何も言い返せずに呻いた。そこまで注意が疎かになるほど、彼は雫を警戒し、同時にセツを心配していたということだ。
「気をつけておくべきは、バディじゃなく”あいつ”の方だ。監視は怠ってないな?」
片岸が、一段声を低くして聞く。細川も背を正して、声をかたくした。
「ええ、抜かりありません」
「気づかれては?」
「いないはずです」
片岸は軽く眉を寄せて、口元に手を当てた。その鋭い目が、わずかに細められる。
「いつ動くかわからん。注意は怠るな」
「了解です」
かしこまった返事を返して、細川は少し考え込んだ。
「……あの、片岸さん」
「何だ」
「この話、天羽さんにも言っておいた方がいいのでは」
そう言った瞬間、いつにも増して鋭い目が細川を見た。慣れてはいるものの、さすがにぎくりとして、体を強張らせる。一呼吸ついてから、細川は意を決して続けた。
「彼女は敵ではないはずです。身辺調査もしましたが、奴との関わりは見つかりませんでした」
片岸は、細川から視線をはずして窓の外を見やった。それから、いつもより心なしかゆっくりとした動作で、自分の椅子に座る。彼の体重を受け止めた背もたれが、ぎ、と軋んだ。
「……これから接触されて懐柔されないとも限らないからな。注意喚起はしとくべきか」
「彼女がターゲットにされると?」
「ない話じゃないだろう」
その発想は、細川にはなかった。だが確かに、片岸の言う通り、あり得ないことじゃない。
「じゃあ細川。お前、お遣いしてこい」
「なっ……じ、自分ですかっ!?」
「他に誰がいんだよ。俺は一応責任者だしな、ここを離れるわけにはいかん。かと言って他の奴は監視の仕事や管理の仕事があるしな。人手不足なんだよ」
一瞬だけ反抗する姿勢を見せたものの、細川は片岸の部下で、片岸は細川の上官だ。よっぽどのことでない限り、上官の命令には逆らえない。
「りょ、了解しました……」
細川は、死にそうな顔をしながらもそう言った。
今度飲みに誘ってやるか、と片岸は自分の仕事をこなしながら、ぼんやりと考えた。
*
透和学園には、人外が多く在籍している。恐らく、国内でも一、二を争うほど。ここはそういう学園なのだ。人外と人間が共生する社会を築くための「次世代を担う人間」を育てる学校。普通科と特別科、二つのコースに分かれていて、言わずもがな、特別科は人外と関わるための人間が取るコースだ。普通科は、そういった教練を受けない一般生徒のためのもの。普通科と特別科では校舎も分かれていて、その辺りの区別化は徹底されていた。もちろん、授業内容も違う。特別科では、通常授業に加えて、亜人保護免許を取得するために必要な教養と能力をつける授業が入ってくるのだ。
特別科では、バディは基本的に同じクラスになる。そんなわけで、雫とセツも同じクラスに所属していた。ついでに席も隣だ。
セツは朝の自己紹介を無事に済ませ、授業も普通に受けていた。編入生を珍しがった人が集まってくると彼は露骨に面倒臭そうな顔をしたので、その手の人の波は割とすぐに引いた。そんな感じで、特に何事もなく、昼休みになった。
「俺、まともに学校に通うのって初めて」
「そうなの?」
「中等教育までなら管理所で受けたけど、あれは学校ではないからなぁ」
購買で買ったパンをもそもそと頬張りながら、セツはそう言った。雫はお弁当をつつきながら彼の話を聞く。さすがに、彼の分までお弁当を作る余裕はなかった。
「新鮮?」
「うん。新鮮だし、思ったより居心地いいよ。こんなに同族がいる場所に来たの、初めてだ」
「そうだね。人狼は割と多くいるかも。吸血鬼とか妖狐はあんまりいないけど」
「まあその辺の種は、こういうところ嫌いだろうしね」
ペットボトルを傾けて中身を飲み干してから、セツはじっと雫を見つめた。覗き込まれるようにされて、彼女は思わず少し後ずさる。
「雫って友達いないの?」
「へ……え、っと……」
「朝から俺につきっきりだけど、全然平気そうだから」
雫は思わず俯いた。
いずれ気づかれるとは思っていたけれど、思った以上にズバッと言われてしまった。傷つきはしないけど、少し戸惑う。誰だって、変には思うだろう。これだけ誰とも声を交わしていなければ。むしろ昼休みまでそのことについて触れないでいてくれたことが、雫には不思議だった。ひょっとして気を遣ってくれたのだろうか。
「そうだね、特定の人はいないかな……私、こんな髪色だし、ちょっと気味悪がられてて……」
「髪?……ああ、俺も、変わった色だと思ってた」
すい、と彼の骨ばった手が伸びて、雫の髪を一房掬う。薄い金色の長い髪が、日に透けて光る。思いがけず近くに寄られて、雫は固まった。その間に彼は、ぱっと髪を離す。
「この国の人間の髪色って、だいたい色素濃いもんね。黒とか茶とか、あっても赤とか」
雫は俯いて、唇を噛む。
「俺の銀色は別。違う国の血が混じってるし、そもそも人間じゃないから。でも君は違うよね。顔立ちから見てもまるきりこの国の人間だし、それなら何でその髪色かって考えたときに」
セツの青色の目が、俯く雫を射抜く。
「人間じゃないからっていう答えが、真っ先に出てくる」
君が避けられている理由はそれだよね、と彼は確信をもって聞いた。雫は膝の上で握った拳に力を入れて、小さく頷く。
彼の言う通りだ。
雫の髪色は、この国の人間ならあり得ない色。だけどそれはあくまで「人間なら」。人外はどこの国でも、髪の色素が薄い傾向にある。それは彼らの持つ魔力や霊力がそうさせるのだと、人外研究者たちは言う。だけど雫は、DNA鑑定では混血ではないという結果が出た。間違いなく、この国の人間である父と母の子。両親も弟も茶髪なのに、その中で雫だけが、薄い金色の髪を生まれ持った。原因はまだ、よくわかっていない。
この学園はなまじ人外についての知識がある者が集う場所だから、自然と雫の噂は広まり、誰もが遠巻きにするようになった。
この特別科で最初に教え込まれるのは、人外と人間との間の線引きの大切さだ。だからこそ、みんな雫との距離をどうとっていいのかわからないでいる。
”どっち側”なのか、わからないから。
「……セツこそ、私につきっきりでいなくても良いんだよ」
「は?何それ」
「人狼の友達とか、できるかも……」
「いい。遠慮する。同年代とどう喋っていいかわかんないし、俺、そんな簡単に誰かを懐に入れられるほど平穏な育ち方してないから」
「そ、そう……?」
雫は食べ終わった弁当箱を片付けながら、彼の発言について考えた。
管理所は身寄りのない人外が身を寄せる場所だ。責任能力が認められるような年になれば、あそこにはいられなくなるから、必然的に子どもが多くなる。雫も何度か訪れたことがあるが、セツがいた管理所は特にその傾向が強くて、小学校低学年くらいの子どもが多くいた。逆にセツと同年代の子どもはあまり見かけなかったように思う。だから「同年代とどう喋ればいいのかわからない」のだろう。だけど、「平穏な育ち方をしていない」というのは、推測はできても曖昧な答えしか見つからない。セツが自分から話さない限り、真実はわからないことだ。
その会話を最後に昼休みは終わり、瞬く間に放課後になった。
「職員室来いって言われたんだけど」
さあ帰ろうというときに、セツは憮然とした表情でそう言う。
「なんだろうね。学校生活の注意点とか話されるのかな。学園の寮の紹介とかも」
「どうでもいい……早く帰りたい」
セツは本気でそう思っているみたいで、げんなりしていた。学校生活一日目は新鮮だったものの、慣れない環境だからか疲れたらしい。そんな彼を、雫は苦笑しつつなだめた。
「じゃあ私、校門のところで待ってるね」
「いやいいよ。立ちっぱじゃん」
「花壇のとこに座ってるから」
まだ校舎に慣れていないセツにはそこが一番わかりやすいだろうということで、待ち合わせ場所は校門前に決まった。まだ家から学校の道にも慣れていないだろうし、セツを一人で帰らせるわけにはいかない。
多分、それなりに長くなるだろう。本でも読んでいようか。
昇降口で靴を履き替えながら、雫はぼんやりと考えた。外は暑くもなく寒くもなくて、よく晴れていた。煉瓦塀の校門のところまで歩いて来てから、雫はなんとなく空を見上げる。
青。澄みきった青色。
彼の目の色と同じ。
あんなにきれいな目の色を、雫はセツにあったとき初めて見た。そう、きれいなのだ。だけど、その目にははかりしれない悲しみが浮かんでいる。そのどうしようもない感情を知りたい。彼の抱えているものを知りたい。できるなら、その悲しみを拭ってあげたい。
いつしか雫は、そう感じていた。
自分でもおかしいとは思う。一ヶ月前に出会ったばかりで、一緒に過ごした時間は一週間にも満たない相手なのに。
これがバディというものなんだろうか。
雫は思案に暮れながら、青い空を見上げる。その後ろから、彼女に手を伸ばす人影があった。手はそろそろと伸びて、確実に雫に迫る。気づいていないのか、雫は空から目を逸らさなかった。
その手が、無防備な細い肩を掴む。




