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#1 きれいなものを探して歩きなさい

 


 ねえセツ、今はまだこのセカイの嫌なところばっか目に付くかもしれない。でもね、上を向いて。あんたの目は空を見上げるためにあるの。

 きれいなものを探して歩きなさい。



 *



 吸血鬼、人魚、ウェアウルフ。おとぎ話の向こうの世界に住む様々な存在。ここ十年ほどで、彼らは急に表舞台に出てきた。

 人外と人間。誰もが困惑する中、両者の共存を図るため、バディ制度が確立された。

 一定の基準を満たした人間と、保護という名目のもと管理された人外。彼らは二人一組となって、一緒に日々を過ごすことで互いのことを知っていく。

「で、あんたもバディを組む奴を探している、と」

「は、はい……」

「なら今回のことに異存はないよな?」

 片岸と名乗る大柄な男は、ソファに腰を下ろした雫に詰め寄って聞いた。ないです、と即答することができずに、少女は自分の膝に目線を落とす。

「ちょっと、片岸さん。怖がられてますよ」

「…………それはすまなかった」

 別に凄んでるつもりも脅してるつもりもないんだがな、とぼやく彼を前にして、雫は申し訳なくて肩をすくめた。でも、どうしたって片岸は強面なのだ。

 彼の横に座っていた細川という男が、少し言い淀んでから、雫に別の質問をした。

「あの、あなたずいぶん若いようですが、ちゃんと資格は取っていらっしゃいますか?」

「あっ……そ、それは大丈夫です。ちゃんと、ほら」

 雫は制服の内ポケットからライセンスを取り出す。パスケースに入れられたそれを確認して、細川は「これは失礼しました」と頭を下げた。自分より遥かに年上の大人にそんなことをされて、雫はますます狼狽えてしまう。

 疑われるのも仕方のないことなのだ。このライセンスは、難関と謳われる試験を突破した人にしか与えられない物。雫のような学生がこれを持っているのは、とても珍しい。

「……まあいいか。その様子だと、送付した資料には目を通してあるらしいしな」

 片岸が、がしがしと頭をかきながら言う。

 送付した資料。

 あれに書いてあったことを思い出して、雫はかすかに青ざめた。

「……あの」

 意を決して、雫はずっと気になっていたことを口にした。

「どうして、私が呼ばれたんでしょうか……」

「それは”あいつ”に直接聞いてくれ」

 片岸はそう言って椅子から立ち上がり、細川もそれに続く。雫も慌ててソファから立ち上がった。

「今から会いに行く」

 ちゃり、と片岸の手に輝く鍵束が音を立てる。嫌だとは言わせない力を持った声だった。雫は唇を噛んで、わずかに俯く。

 彼女は、ある少年に呼ばれてここに来た。ところが、雫は彼に会ったことがない。彼の顔も名前も、送られてきた資料を見て初めて知った。

 彼はどこで私のことを知ったんだろう。

 ぼんやりと考えながら、雫は片岸と細川の後ろについて灰色の廊下を進んだ。

「ついた。ここだ」

 灰色の廊下から、鉄の扉を一枚隔てた向こう側。更に細い通路を経たその先に、鉄格子に閉ざされた牢屋があった。

「おい、連れてきたぞ」

 細川が声をかけると、牢屋の隅で丸まっていた毛布が突然もぞもぞと動き出した。雫は一瞬ぎょっとしたけれど、すぐにそれが雫とそう見た目の変わらない生き物だということに気づく。

「……なに、細川。うるさいんだけど」

 毛布にくるまって寝ていたらしい少年は、眠そうな声で文句を言ってから、むくりと起き上がった。彼の姿を見て、雫は声をなくして目を見開く。

 きれい。

 それが、最初に生まれた感動だった。

 薄暗い牢の中でも輝く銀の髪、空を映した色の瞳。

 そのきれいな目が、雫を見る。

 その途端、彼はぎしっ、と固まった。互いから目を離すこともできないまま、二人はしばらくそのまま見つめ合う。

 止まっていた時間は、深いため息で再び動き始めた。

「……真面目だねぇ、細川は。まさか本当に連れてくるとは」

「お前が興味を示すなんて珍しいからな。あと『細川保護官』な」

「わかったよ細川」

 何もわかってないだろ、と隣にいる細川がぼそっと言うのが雫にも聞こえた。

 青筋を浮かべる細川にもお構いなしに、彼はすたすたと牢の隅から雫の目の前まで来る。かしゃん、とその手が柵を掴んだ。

「名前は?」

「え」

「君の名前」

 一瞬遅れて質問の意味に気づき、少女は慌てて答えた。

天羽(あまは)……雫です」

「そ。雫ね。もう知ってると思うけど、俺はセツ。雪って書いて、セツって読ませる」

 よく読み方間違えられるんだ、と言って、彼はかすかに笑う。

 彼の言うとおり、雫はあらかじめ彼の名前を知っていた。名前だけじゃない。彼のパーソナルデータはあらかた知っている。彼が過去にしてきたことも。

「……あ、あの、どうして私を呼んだんですか」

「君とバディを組みたかったから」

 それはわかっている。雫が聞きたいのは、どうしてその相手が雫かということ。

 彼女の表情からそれを読みとったのか、彼は説明を付け足してくれた。

「俺はとっても扱いづらいって評判でね。今までの飼い主にも逆らったり、怪我をさせたりした」

 知ってるよね、と言って、彼はにこりと微笑んだ。まるで威嚇するような、隙のない笑い方に、雫は体を強張らせて身構える。

「でも俺は、君の命令なら聞いてあげる」

 ところが、続けられた言葉で一気に力が抜けた。思いがけない言葉に、雫は俯した顔を上げる。澄んだ青色の瞳が、視界に飛び込んできた。

「……それは、どうして?」

 そっと問いかけると、彼はいたずらっぽく、にやりと笑った。

「声が綺麗だから」


 *


 初めて会った日から一ヶ月。

 諸々の書類の作成と提出を済ませて手続きを終えた雫は、セツを管理所に迎えに行った。

「はあー、久しぶりに自由の身だ」

 ロビーで待っていたセツは、大きく伸びをしてそう言った。彼の隣にいた細川が、眉をひそめて彼に言う。

「いいかセツ、今度問題起こして帰ってきたら……」

「はいはい、わかってるよ」

 細川の表情が引き攣る。それでも知らん顔を通せる彼って、なんてマイペースなんだろう。雫は呆れるを通り越してむしろ感心してしまった。

 そんなこんなで、二人はめでたくバディとなった。

 連れ立って管理所を出た彼らは、最寄りの駅に入って、切符の発券機の前に並んだ。

「……あの、高槻くん」

「却下」

 恐る恐る呼びかけてみたら、目も合わされずに冷たい返事が返ってきた。

「……えっと、何がでしょう……?」

「俺は雫って呼んでるのに、何で君は”高槻くん”なの。俺、名前教えたよね?」

 ああ、そういうこと。

 納得はしたけど、実行できるかは別だった。なにせ男子を名前呼びするなんて、小学校以来なのだから。でも、彼はそう簡単に諦めてくれそうにない。

「……せ、セツ、くん」

「気持ち悪い」

 ひどい。

 妥協案だったのだが、確かに呼び捨てよりも恥ずかしかった。こうなればもう腹をくくろう、と雫はゆっくり息を吐く。

「……セツ」

 こう呼ぶと、彼はやっと満足げに笑った。雫は力なく笑い返す。

「……それで、今日の予定なんですけど」

「敬語もナシ」

 今度は爽やかな笑顔できっぱりと言われて、さすがの雫も顔を引き攣らせる。

「……予定なんだけど」

「うん」

 半分ヤケになって敬語を取っ払い、砕けた口調に切り替えると、セツは素直に頷いた。これくらいで素直になってくれるなら安いものだ。

「セツの下宿先に向かおうと思いま……思うんだ。住所、聞いてる?」

「聞いてない」

「え」

 しまった。細川保護官に聞いておけば良かった。

 激しく後悔しながら、雫は慌てて鞄の中から書類を漁る。彼の居住場所を示した書類を探し当てたのとほぼ同時に、セツが口を開いた。

「住所は知らないけど、雫の家の隣だって聞いたよ」

 彼がそう言った横で、雫の目は角ばったワープロの文字を追っていた。とても見覚えのある住所だった。なんたってそれは、雫の住むアパートと同じ住所なのだから。しかも、セツがこれから住む部屋は、彼女の隣の部屋だった。

 七区の住宅街にある、なんの変哲もない古いアパート。二人は電車に乗り、目的の駅で降りて、そこから歩いてアパートに辿り着いた。

 要監視対象。

 彼がそう指定されていることは知ってた。

 バディにおいて、人間側が学生の場合、人外側は公的機関の運営する施設ーー例えば、学校の寮だったり、管理所が運営するマンションだったりーーに住むことになる。雫はてっきり、セツは学園の寮に入るのだと思っていた。なのに、わざわざバディを同じアパートの隣の部屋に住まわせるということは。

 そこまで危険、なのか。

 雫はちらりと、セツを見る。偶然かそうでないのか、ぱちんと目が合った。

 考えていたことが考えていたことなだけに、気まずくなった雫はすぐに目を逸らす。それから、しまったと思った。

 今の逸らし方は、明らかに不自然だ。

「……やっぱり君も、俺のこと怖がるんだね」

「……っ!」

 待って、と引き留める暇もなく、彼は一人でアパートの階段を登ってゆく。冷たい声音を残したまま、かんかんと安っぽく錆びた鉄の階段を登る音が、耳にこびりつく。

 今、目には見えなくても、確実に彼との間に亀裂が入った気がした。

 ここで追いかけないと、距離が離れていくばかりだ。それに気がついて、雫も慌てて階段を登った。

「あ、あの、セツ。荷解き、私も手伝う」

「いいよ。もともとそんな私物ないし」

 普通の受け答えなのだろうけど、このときばかりは突き放されたように感じた。ばたん、と扉が閉まる。

 その前で、雫は呆然として立ち竦んだ。

 しばらくそのままでいてから、彼女は大人しく隣の自分の部屋に入った。ばたん、と扉が閉まる音と一緒に、ため息がもれる。

 彼との接し方がわからない。どれくらい距離をとればいいのかもわからない。踏み込んでいい境界線が、わからない。

「……ちゃんと、しなくちゃ」

 線引きは大事だ。人間(わたし)人外(かれ)は違う。互いに、相容れないもの。迷ったり情が移ったりする前に、ここまでっていう線はちゃんと決めておかないと。結果的に、どちらにとっても、良いことにはならない。

 教習所で耳にたこができるほど言われたことだった。

「……えっと、書類……」

 ひとまず落ち着いて彼の情報を確認しておこうと、雫は鞄の中からセツについて書かれた書類の束を取り出して、ソファに寝転んだ。セツと出会う前に渡された書類と、今日細川に渡されたぶんだった。

 紙の上に並ぶワープロの文字は、全部彼のことを記している。

 高槻雪。ウェアウルフで、種は銀狼。銀狼というのは、北方に生息するとされる種で、とても珍しく保護指定されている。

 ぱら、とページをめくると、また違う種類の情報が載っている。

 セツが今までのバディに逆らったり怪我をさせたりしたのは、全部本当のことらしい。そのことについての報告が、事細かに書いてあった。

 右足と左腕を骨折。全治3ヶ月。また別の人は、腕に咬傷、次は、頭に裂傷ーー。見ていて気の遠くなるような事実だった。雫は思わず顔を強張らせながら、それらの情報を飲み込む。

 怖い。いつ彼の機嫌を損ねて襲われるか、気が気じゃない。でも、彼はただの暴力的な少年ではない気がした。だからバディの申請をしたのだ。

『声が綺麗だから』

 だから言うことを聞く。そんな単純な、ある意味子どもっぽい理由を告げた彼が、ただの悪い狼だとは、雫にはどうしても思えなかった。

「……セツ」

 どんな人なんだろう。

 隣の部屋にいるだろう彼に思いを馳せながら、雫はぱらぱらと書類の束を繰った。

 そして気がついたら、いつのまにか寝てしまっていた。慌てて飛び起きて時計を確認すると、午後六時半。

「うわ……変な時間に寝ちゃったな……頭痛い……」

 とりあえずソファから立ち上がって、眠気覚ましに伸びをする。その拍子に、ばさ、と書類の束が落ちた。雫はそれを拾い上げてじっと見る。

『……やっぱり君も、俺のこと怖がるんだね』

 寂しそう、だった。

 怒り、よりも。

 あの表情(かお)を思い出したらいてもたってもいられなくなって、雫は玄関先で靴を引っ掛け、扉を開けた。がちゃっ、という音が、二つ重なる。

 セツが、ちょっと驚いたような顔でそこに立っていた。どうやら、二人同時に戸を開けたらしい。

「……ど、どこ行くの?」

 雫が恐る恐る聞くと、彼の顔は途端に不愉快そうに歪む。

「なに。そんなことまで報告しなきゃなんないわけ」

「や、違くて……私が個人的に知りたいだけ」

 寝起きで頭がよく働いていなかったから言えたことかもしれない。ともかくこのときの勢いが、結果的には功を奏した。

「……コンビニ。メシ買いに行く」

「えっ……あの、まさか、これからずっとコンビニ弁当で繋ぐつもりなの」

「そうだけど」

 なんか悪い?と言いたげな彼を前に、雫はぽかんと口を開けた。

 これから毎日コンビニ弁当。朝昼晩。プラス間食。そんなの栄養偏りやすいだろうし、出費もかさむはず。

 そんなことをつらつら考えた雫は、彼にそんな生活をさせてはいけないという結論に至った。

「うちで一緒にご飯食べましょう!」

 雫がいきなり大声で言ったものだから、セツはびくっ、と肩を跳ね上げた。そんな彼の手を取って、雫は半ば強引に彼を家の中に入れる。

「いや、いやいや、いいって別に!」

「そんなこと言ってどうせ最後には即席麺類大人買いするんでしょ!?」

「俺がなに食おうが、君には関係ないでしょ!」

「あるよ!バディなんだから!」

 セツはそう言われて、言葉に詰まった。というより、唖然としているみたいだった。

「……料理って、大人数分作るのより一人分作る方が難しいんだ。私は材料余らなくて助かるし、セツはタダでご飯食べられる。どっちも損はしないはずだよ」

 こう言われて、やっと彼も納得したみたいだった。大人しくソファに座って、テレビを見ることにしたようだ。雫はそれを確認してから、キッチンに向かった。

 冷蔵庫の中の余り物で煮物を作って鮭をふた切れ焼き終わった頃には、雫の頭もだいぶ冷えていた。ぐるぐると考えながら、味噌汁の味噌を溶く。

 無理やり家に連れ込んで、強引に食事をご馳走する。非常識極まりない。セツの言い分をもうちょっと聞くべきだった。余計に嫌われたかもしれない。

 ひどい自己嫌悪に陥りながらも、雫は取り敢えず食卓に料理を運ぶ。セツはさっき見たときと同じように、黙ってソファに座っていた。

「そ、それでは、いただきます」

「……いただきます」

 雫に続いてセツも食前の挨拶をしたけれど、彼は一向に料理に手をつけようとしなかった。ここでまた、雫はぐるぐると考えてしまう。

 もしかして、和食嫌いだったかな。魚よりお肉の方が良かったとか。

 ひとりで狼狽えている雫を、セツはじっと見ていた。それからおもむろに、口を開く。

「……バディって、こういうもんなの?」

「え……?」

「今までの奴とは、一緒にご飯食べたことなんて一度もないんだけど」

「え、どうなんだろう……私、バディ組んだのはセツが初めてだから……」

「ふうん」

 彼はそう言うと、煮物に手を伸ばして食べ始めた。冷めてはいけないからと、雫も食べ始める。しばらく無言が続いて、テレビの音だけがむなしく響いていた。そんな中、雫は軽く眉を寄せて考える。

 一緒にご飯を食べたことがない。一度も。じゃあセツは、今までずっとひとりで食事を済ませてきたのか。

 そこまで考えて、雫ははっとした。

「……セツ」

「ん?」

「たまには自炊、してたんだよね?」

 まさかとは思ったけれど、嫌な予感がしたから聞いてみただけだった。ところが、悪い予感は大当たりしてしまったのである。

「俺、料理できないけど」

「えっ……じゃあまさか、ずっとコンビニのご飯で食い繋いでたってこと……?」

「管理所の外にいる間はね」

 それを聞いて、雫は唖然とした。その事実にも驚いたけれど、それを看過していた彼の過去のバディたちにも。書類によれば、彼が今までバディを組んだ人間は五人。そのいずれも、三ヶ月ほどでバディを解消している。

 おかしい。

 かすかな違和感を感じて、雫はご飯を食べる箸を止めた。

 バディを組んだ人間は、パートナーである人外の監視者だ。それと同時に、保護者のような立場でもある。管理所から彼らの身柄を預かっている、というかたちなのだ。偶然にしたって、五人全員、セツの食生活に関して無関心だった。そんなこと、あり得るのだろうか?

 紙の上には、端的な”事実”しか書いていない。

 彼を見て、彼と話すことができるのは私だ。紙の上に書かれていない彼を知ることができるのは、私だ。私が怖がって距離を取れば、その気持ちは彼にも伝染する。そんなんじゃいつまでも、近づけない。

 マニュアルの考えじゃなくて、私が自分で考えて動かなくちゃいけないんだ。

 雫はそれに気がついて、唇を噛んだ。かちゃかちゃと、食器と箸が擦れる音がテレビの音に混じる。

「……あの、美味しい?」

 恐る恐る聞くと、彼は顔を上げた。彼の食器は、もう殆どカラになっている。

「うん、美味しいよ」

 セツは、薄く笑ってそう言ってくれた。

 今はそれでいい。そう言ってくれるだけで、雫は嬉しかった。

 これから、時間はたっぷりあるのだから、少しずつ近づいていけばいいのだ。
















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