第1話 棒なし
木くずが膝のうえに積もっていた。
少年は切り株に腰かけ、小刀を動かしている。
削る。
眺める。
また削る。
ほんの少し形を整えるだけのつもりだった。
それなのに、気づけば何度も刃を入れていた。
「うーん……」
木片を空へかざす。
――ちがう。
昨日より良くなっている。
それは少年でもわかった。
――でも、まだちがう。
足元には失敗作が転がっていた。
柔らかい木で作った一本は途中から曲がってしまった。
硬い木で作った一本は重すぎる。
節の多い木は削るたびに形が崩れた。
太すぎる物もあれば、細すぎる物もある。
どれも夢で見た姿には届かない。
少年は失敗作を一本拾い上げた。
握ってみる。
――やっぱりちがう。
手を放す。
今作っている物のほうがずっと良い。
「これなら……」
少しだけ、期待が膨らんだ。
――ゆめのやつに、ちかい。すごくちかい。
思い出すだけで胸の奥が熱くなった。
五歳の誕生日、その夜の夢はいつもと違っていた。
夢のなかで少年は大人だった。
知らない部屋にいた。
知らない女の人がいた。
柔らかな感触があった。
温かかった。
そして――。
信じられないほどの快楽。
思い出しただけで体が震える。
胸がいっぱいになり、頭が真っ白になる。
――なんで、あんなゆめ、みたんだろう。
少年にはわからなかった。
けれど夢のなかの男は、自分だった気がしてならない。
男は最後に死んだ。
だけど不思議と怖くなかった。
死ぬ直前まで幸福だったからだ。
だから忘れられない。
――あのとき、あったんだ。いまのボクにはないものが。
夢から覚めた朝、少年は自分の体を見た。
何度も見た。
何度確認してもなかった。
平らだった。
夢の男にあったものが、自分にはない。
そこで初めて母親と父親の会話を思い出した。
『棒なしだからな』
『なんでこんなのが生まれたんだろうね』
棒なし。
その意味を理解した。
――ゆめの、あのひとみたいに、なれないんだ。
少年は少しだけ悲しくなった。
でも泣くほどではない。
ないなら仕方ない。
生まれつきなのだから。
だから別のことを考えた。
――どうやったら、つくれるかな。
夢のなかの形を思い出しながら木を削る。
「おーい! エリオ!」
声が飛んできた。
町の子供たちだった。
森の入口からこちらを見ている。
「また変なもん作ってる!」
「そんなの作ってどうするんだよ!」
「薪にもならないじゃん!」
笑い声が響く。
エリオは木片を抱えた。
「だいじなものなんだよ」
「変なのー!」
子供たちは笑いながら走り去った。
エリオは少しだけ口を尖らせる。
――だいじなものなのは、ほんとなのに。
まだ何になるかはわからない。
けれど、いつか役に立つ気がしていた。
夢で見た幸せに近づくための何かになる。
そんな気がした。
気づけば空が赤く染まり始めている。
「かえらなきゃ」
木片を抱え、大木へ向かった。
根元のうろに作品を隠す。
失敗作も何本か残っている場所だ。
枯れ葉をかぶせる。
――これで、みつからない。
「また、あした」
エリオは立ち上がった。
――あしたには、できるかも。
そう思うと自然と足取りが軽くなった。
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家へ着くと父親が薪割りをしていた。
「ただいま」
「棒なし、薪は取ってきたか」
「うん」
「なら置いておけ」
父親は斧を振るう手を止めなかった。
一度も、こちらを見なかった。
母親も家のなかから顔を出さない。
――ふたりとも、いつも、いそがしそうだ。
エリオは薪を降ろし、家へ入る。
やがて夕食の時間になった。
机には肉の煮込みが置かれていた。
父親の皿には肉がある。
母親の皿にも肉がある。
エリオの皿には肉がなかった。
肉を煮込んだ汁と硬いパン。
森で長く過ごした日は、汁すらないこともある。
――きょうは、しるがある。やった。
パンを汁へ浸す。
肉の味がした。
――おいしい。
エリオは少し嬉しくなる。
父親は肉を噛みながら言う。
「明日も薪を取って来い」
「わかった」
食事は静かに終わる。
エリオは寝床へ潜り込んだ。
――あしたには、できるかも。
そう考えながら目を閉じた。
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翌朝。
エリオは朝食を終えるとすぐ森へ向かった。
うろから木片を取り出す。
朝日に照らされたそれは、昨日よりもずっと良く見えた。
胸が高鳴る。
小刀を握る。
最後の仕上げだ。
少し削る。
指で撫でる。
また削る。
目を閉じて夢の形を思い出す。
比べる。
違うところを探す。
なおす。
何度も繰り返した。
やがて。
エリオは小刀を置いた。
「できた」
思わず声が漏れる。
両手でもち上げる。
滑らかな曲線。
均整の取れた形。
指先に引っ掛かる場所はない。
完璧ではない。
夢で見た物とは少し違う。
でも。
――いままでで、いちばん、ゆめのにちかい。
失敗作とは比べ物にならない。
最高傑作だった。
「すごい……」
何度も眺める。
回してみる。
光へかざしてみる。
頬が緩む。
自分で見ても上手にできたと思える。
それが嬉しかった。
ずっと見ていたかった。
けれど時間だ。
――かえらなきゃ。
名残惜しく作品を抱え、森を出る。
町の門が見えてきた。
その時だった。
角を曲がったところで誰かとぶつかる。
「あっ」
「おっと」
体がよろめく。
手から作品が飛び出した。
地面を転がる。
カラカラと乾いた音がする。
「あっ!」
エリオが手を伸ばす。
だが先に相手が拾い上げていた。
立派な服を着た男だった。
どこかのお屋敷の使用人だろう。
男は作品を見た。
エリオを見た。
もう一度作品を見た。
そして完全に動きを止めた。
まるで時間が止まったようだった。
エリオは不安になる。
――こわれちゃったかな。
男は作品とエリオを何度も見比べている。
その顔は驚いているようにも見えた。
理解できない物を見たようにも見えた。
――おこられるのかな。
なぜかわからない。
けれど、とてもまずい気がした。
エリオは踵を返す。
「あ、お待ちを!」
呼び止める声が聞こえた。
だが止まらない。
そのまま走った。
最高傑作を置き去りにしたことにも気づかないまま。
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翌朝。
まだ日も高くない時間だった。
家の扉が叩かれる。
父親が出る。
外を見た瞬間、その表情が固まった。
母親も慌てて立ち上がる。
エリオは首を傾げた。
扉の向こうにいたのは、昨日ぶつかった人だったからだ。
彼はエリオを見つけると、一歩前へ出た。
そして丁寧に頭を下げる。
「領主様がお呼びです」
エリオは瞬きをした。
――なんで、りょうしゅさまが、ボクをよぶの?
まったく見当もつかなかった。
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