53話 悔いのない一歩
「そんな良い番号をもらってても、試合にも出られねえからって、こんなところで正義気取りか?」
「違う! 日和は――!」
悠尋が思わず声を荒げる。
しかし、その言葉を遮るように日和が首を横へ振った。
「いいんだ」
静かな一言だった。
悠尋は唇を噛み、言葉を飲み込む。
日和は男を真っすぐ見据えた。
「そうだよ。こんなところで正義気取りだ」
一歩、前へ出る。
「お前みたいな悪者を見過ごせないからな。さあ、その刃物を捨てろ」
男は鼻で笑うと、近くを歩いていた女子バスケットボール部の生徒を乱暴に引き寄せた。
「きゃっ!」
少女の首元へ腕を回し、刃物をちらつかせる。
「ガキに何ができる。正義感だけのガキなんて、刃物を向けられりゃ冷や汗をかくだけだろ」
その様子を見つめながら、日和は小さく口を開いた。
「琉妃」
「んー?」
「あいつの後ろへ回れるか? 俺たちが気を引く」
「オッケー」
「……驚かすだけでいいからな」
琉妃は小さく頷くと、気配を消すようにその場を離れた。
日和は再び男へ視線を向ける。
「ねぇ、楽しい?」
ゆっくりと歩み寄る。
「な、何がだ!」
男が声を荒げた、その瞬間だった。
――カンッ。
男の足元へ、小さな石が転がった。
思わず男の視線が下へ向く。
「どうした?」
悠尋が笑みを浮かべる。
「もしかして焦ってる? 刃物を持ってる方が、ビビってるなんて思わなかった」
「本当のビビりは、お前だったんだな」
俊音も続ける。
「俺はビビりじゃねぇ!」
男は怒鳴りながら刃物を握り直した。
「あんまり調子に乗るな。この女を殺すぞ!」
少女へ目を向けた、その時だった。
「やっほ」
背後から聞こえた、気の抜けた声。
男が勢いよく振り返る。
「なっ……! お前、いつの間に!」
そこには、いつの間にか女子生徒のすぐ後ろへ回り込んでいた琉妃が立っていた。
男の意識が完全に逸れる。
「今だ!」
日和が一気に飛び込む。
女子生徒の腕を掴み、そのまま男の腕の中から引き離した。
同時に、琉妃の手が男の手首を払う。
カラン――。
乾いた音を立て、刃物が床へ転がった。
男は目を見開いたまま立ち尽くす。
日和は女子生徒へ向き直った。
「大丈夫?」
「だ、大丈夫……です」
まだ震える声だった。
「こういう人もいるから、気をつけて」
「……はい。ありがとうございました!」
女子生徒は深々と頭を下げ、その場から駆け去っていった。
それを見届けると、日和は再び男の方を向く。
「あーあ。立場が逆転しちゃったね」
「くっ……」
「なんで、こんなことをした」
男は拳を強く握り締める。
「……お前らには分かるかよ」
震える声だった。
「ガキを見ると悔しいんだよ。どれだけ頑張っても、努力しても報われなかった頃を思い出す」
男は苦笑する。
「俺も……試合に出たかった」
日和はゆっくりと男へ歩み寄った。
「分かるよ」
短く、そう答える。
「試合には出たいよな。努力したなら、その舞台で力を出したい」
日和は一度だけ体育館を振り返った。
「俺もそうさ。今日でバスケは終わりだ。明日からは、もうやらない」
「……三年だから引退だろ。お前には高校があるじゃねぇか」
「高校でもやらない」
その言葉に迷いはなかった。
「俺には俺の、やるべきことがある。あんたにも、あるはずだ」
男は黙って聞いている。
「こんなところで人生を棒に振るなんてもったいない。願った舞台では報われないこともある。でも、努力はきっと別の形で報われる。俺はそう信じてる」
男は静かに目を閉じた。
深く息を吐く。
「……ガキに言われたくねぇよ」
苦笑が漏れる。
「でも、不思議だな。初心を思い出した」
遠い昔を懐かしむように空を見上げる。
「部活なんて、最初は何でもよかった。ただ怒られたくなくて頑張って……それでも頑張った以上は、結果が欲しかった」
周囲では、必死に試合を応援する選手や保護者たちの声が響いている。
男はその光景を見つめ、小さく笑った。
「あの頃の俺も……こいつらと同じだったんだな」
「あぁ」
日和は静かに頷いた。
◇
――ブーーーーッ!
無情にも試合終了のブザーが体育館へ響き渡る。
日和たちは観客席から、その瞬間を見届けていた。
日和は静かに目を閉じる。
「六十七対八十二……負けちまったな」
「そうだね。でも、いい試合だった」
空介の言葉に、日和は小さく笑みを浮かべた。
「帰ろうか」
「最後にみんなへ会わなくていいの?」
悠尋が尋ねる。
「いいんだ」
日和は出口へ向かって歩き出す。
そして扉の前で、一度だけ足を止めた。
振り返らないまま、小さく呟く。
「ありがとう」
その声は、仲間へ向けたものなのか。
バスケットボールへ向けたものなのか。
「俺の人生に、色をつけてくれて」
一歩踏み出す。
もう振り返ることはなかった。
出口の先では、大切な仲間たちが笑顔で待っている。
日和はその姿を見つめ、穏やかに微笑んだ。
(大切なものを、一つ失った。でも――)
仲間たちの笑顔は、何よりも眩しかった。
(この仲間がいてくれる限り、それだけで十分だ)
そう胸の中で呟くと、日和は仲間たちのもとへ歩き出した。
バスケ回書きたかったんだ〜。




