26話 風の恐怖(風の支配者)
日和の仲間たちは、いつも通りの時間を過ごしていた。
「そういえばさ、今日も行ってるのか?日和」
悠尋がふと口にする。
「あの崖でしょ?」
空介が少し眉をひそめた。
「なんか不気味なんだよね、あそこ。立ち入り禁止の看板あるじゃん?」
「その先の渓谷は、風が強すぎて立ち入り禁止になったって話、聞いたことあるよ」
「風……?」
俊音が小さく反応する。
その一言は、妙に引っかかる響きを持っていた。
――その頃、当の日和は。
命のやり取りの最中にいた。
◇ ◇ ◇
刃と刃がぶつかる。
火花が散り、足元の小石が弾ける。
「やっぱりさあ」
ウィンディベルは、楽しげに笑った。
「戦い方も、さっきみたいな“しつこさ”が武器なんだね」
「馬鹿言うな」
日和は踏み込む。
「こんなにしつこいのは――お前にだけだ」
「僕、男に好かれたくないんだけど」
「安心しろ。殺意しかねえよ」
「それはそれで嫌だなあ」
軽口の裏で、確かな実力差があった。
日和の剣は鋭い。速い。迷いもない。
だが――当たらない。
かすりもしない。
日和の動きが、ぴたりと止まる。
「……なんでだ」
息を荒げながら睨む。
「なんで本気で戦わねえ!」
「えぇ?」
ウィンディベルは心底つまらなそうに肩をすくめた。
「だって、つまんないもん。その程度でしょ?」
「……っ!」
歯が軋む。
「それなのに……なんでそんなに強い……!」
脳裏に、過去の戦いがよぎる。
国の中枢に関わる強敵との死闘。
あの時の重圧。命を削るような戦い。
だが――
「お前みたいなやつが、あの場にいたら……!」
声が低くなる。
「俺らなんかより、よっぽど名の知れた存在になってたはずだ」
「君、有名人なの?」
「違う」
「なんだよー」
軽く押された。
「うわっ……!」
足場が崩れる。
崖の縁。
一歩でも踏み外せば、終わり。
「落ちる……!」
だが、なんとか踏みとどまる。
「っ……あぶねえ……!」
「軽ーいイタズラ」
ウィンディベルは笑う。
「よく耐えたね」
「……クソやろうが」
怒りが、恐怖を押し潰す。
再び踏み込む。
止まらない連撃。
「怯む隙も見せないか」
ウィンディベルの目が、ほんのわずかに細まる。
「戦闘センスは人一倍……って感じかな」
「お前も抵抗しないと死ぬぞ」
「死なないよ。ってか、しつこい」
「死ぬまで追い詰めてやる」
「あーもう、ほんと面倒」
ウィンディベルが一歩引く。
距離が開く。
「飽きた。今日は帰ろうかな」
「待てよ!」
日和が叫ぶ。
「帰るとか冗談だろ。俺、悲しいぜ?」
息が乱れているのに、笑う。
「死ぬまで俺と遊ぼうぜ」
その異様な執着に、ウィンディベルはにやりとした。
「嫌だね、ばーか。弱いやつとは遊ばない」
くるりと背を向ける。
そして――
立ち入り禁止の看板の、その先へ踏み出した。
「待て!」
迷いなく追う。
「……はぁ」
ウィンディベルが振り返る。
「なんでついてくるの?」
「言ったろ」
日和の目は揺れていない。
「お前だけは、俺が仕留める」
足が止まる。
風が強くなる。
「……あーあ」
ウィンディベルが空を見上げた。
「こんなところまで来ちゃったね」
看板が、ギシギシと軋む。
「見えてたでしょ?立ち入り禁止」
「ああ」
日和は一歩踏み出す。
「お前を倒すまで、どこまでも追いかける」
「ストーカーじゃん」
呆れた声。
だが、その目は少しだけ楽しそうだった。
「いいこと教えてあげるよ」
「……なんだ」
「僕さ、今まで何人も殺してきたんだ」
あまりにもあっさりと。
「なのに、国から悪だと思われてない」
「……理由は?」
「簡単だよ」
風が、さらに強くなる。
「ここは風が強すぎる」
髪が乱れ、視界が揺れる。
「人が死んでも――事故に見えるんだ」
ぞくり、と背筋が冷える。
「誰も、殺しだなんて思わない」
「……お前……」
「だからこの場所は最高なんだよ」
ウィンディベルが微笑む。
「風に任せて、そっと押すだけ」
その一言で、全てが繋がる。
「……だから、あの時……」
妹が落ちた“理由”。
理解してしまった。
「立ち入り禁止を無視した罰、ってやつかな」
「……サイコやろうが」
「だからさ――」
その瞬間。
突風が吹き荒れた。
「ぐっ……!」
体が持っていかれる。
「これが、この場所の“力”だよ」
ウィンディベルの声が、風に混じる。
「風に身を任せれば、簡単に人を殺せる」
呼吸が乱れる。
視界が開けない。
立っているだけで精一杯。
◇ ◇ ◇
――同じ頃。
「風は舐めちゃダメなんだよ」
俊音が真面目な顔で言った。
「特に強風。呼吸すらできなくなる」
「そんなにか?」
悠尋が眉をひそめる。
「みんな経験あるだろ?ブランコで。
風を浴びると心臓がギュッてならない?」
「例え下手すぎだろ」
「ジェットコースターの方がわかりやすいんじゃない?」
珠架が補足する。
「あー、それは分かるかも」
琉妃が頷く。
「俺、ああいうの苦手だし」
「ただ怖いだけでしょ」
「そう、それ。風が怖い」
軽い笑い。
だが俊音だけは、真剣だった。
「強風はな、体の自由を奪うだけじゃない」
一拍置く。
「呼吸も、視界も、全部持っていく」
◇ ◇ ◇
――崖の上。
「はっ……!」
日和は息を吸おうとする。
だが、うまく吸えない。
「息が……!」
「ほらね?」
ウィンディベルの声だけが、はっきり聞こえる気がした。
「まともに戦えないでしょ?」
「くそ……!」
顔を上げれば風が直撃する。
だが、下を向けば視界を失う。
「目も開けられないよね?」
「音も……聞こえねえ……!」
全てが奪われる。
五感が、崩されていく。
(どうする……)
思考が鈍る。
(どうすれば……あいつに勝てる……!)
◇ ◇ ◇
――家。
「対処法は?」
悠尋が問う。
「簡単だよ」
俊音が即答した。
「味方にすればいい」
「どうやって?」
「立場を変える」
その言葉に、弘明が頷く。
「向かい風と追い風、か」
「そういうこと」
俊音は指を立てた。
「向かい風になる状況を作ればいい」
「なるほど……」
悠尋が考え込む。
「でも、それを咄嗟にやるのは難しいな」
「できるとしたら――」
俊音は少しだけ笑った。
「日和だろうな」
その名前に、全員が静かに頷く。
「……あいつなら、やる」
「日和の戦闘IQは、群を抜いてる」
悠尋の言葉に、空気が引き締まる。
「日和の行ってる崖って、地獄山の裏口だよな?」
「うん、たしかそう」
珠架が答える。
俊音は立ち上がった。
「……ちょっと様子見てこよーかな。」
その背中には、いつもの軽さはなかった。
次回 『日田杏奈』




