エピローグ
「アー、ルー、フーッ!」
背中に容赦ない力でぶつかられて、アルフレッドはたたらを踏んでなんとか踏みとどまり、そのまま草原に座り込んだ。
「ちょっ……と。シエラ。転げ落ちたらどうするんだ」
アルフレッドは丘の上に立って草原を雲の影が風に乗ってゆっくりと動いていく様を眺めていた。
そこへ奇襲に遭い、あやうく前へ落ちそうになったのだ。
「なあにぃ? こんな小娘にとびかかられて転げ落ちるなんて、ご当主さまったら運動不足にもほどがあるんじゃないの?」
襲いかかった張本人はアルフレッドの隣に座り込んで、あはははと大口を開けて笑う。
「勘弁してくれ、シエラ……。僕はもう三十三歳なんだよ」
「あら奇遇ね。私、今日十六歳になったわ」
「ああ──。そう言えばそうか。誕生日おめでとう、シエラ」
「ありがとう、アルフ。そんなわけで結婚しましょう?」
「シエラ……」
麦わら色の緩やかな巻き毛に緑と黄色のアースカラーの瞳、十代半ばの少女にしては背が高く手足が長い。
夏の花のように明るく賑やかな少女は、シエラ・ポルザ。
イアン・ポルザ男爵の長女だ。
***
結局、フィリスとイアンは結婚式から三か月後の新年の宴には出席できなかった。
十二月に入ってフィリスの妊娠が判明したからだ。
しかし周囲は諸手を上げて喜び、祝福した。
そして、翌年の夏の終わりにフィリスは元気な女の子を産んだ。
山の緑の美しい季節に生まれた子なので、シエラと名付けた。
やがてポルザ山の近くにあったブルーノ家所有の屋敷へ移り、ハロルドとイアンとシエラ、そしてハチミツとマーブルと暮らし始めた。
その後、マージ、ホリーと二人の妹が次々と生まれ、ポルザ家はいっそう賑やかになった。
意外だったのは、シエラが生まれる頃にイアンの伯父のジェスが夫を亡くした幼馴染と結婚し、一気に五人の息子の父親になったことだ。そのうちの三人が庭師になり、一人はのちにタウンハウスの庭師になった。
名ばかりの男爵となったイアンとフィリスはブルーノの仕事のない時は子どもたちと野山を歩き回り、薬になる野草を探したり家畜を放牧したりと、ポルザの祖先たちをなぞるように暮らした。
ハロルドは都の学校へ行くことなく社交の場へ出るのは王城の新年の宴のみで、イアンと騎士団たちと領地の境の警備に加わった。
そうこうしているうちにアルフレッドの父方の叔母で侍女兼女性騎士だったメリッサ・バーンズが騎士団長と結婚して、騎士を目指す女性が増え、他の職業も同様に活気づいていく。
その一人がアルフレッドの妹のアメリで、騎士として着々と腕を上げて副団長に昇格したその日にハロルドにプロポーズし、アメリはポルザ家の一員となった。
ハロルドとアメリが夫婦になったのはかれこれ五年前のこと。
二人に子供はいないが幸せそうに領地を駆けまわっている。
***
「シエラ。いくらなんでもそれは駄目だ」
「どうして? 奥さんが出て行ってから十年以上経ったよね。いくらなんでももう帰ってこないでしょう?」
「う……」
アルフレッドは二十歳の時に同級生だった貴族令嬢と結婚した。
しかし、彼女は学生の頃から護衛騎士と密かに愛し合っており、結婚一周年を待たずに恋人と駆け落ちして行方知れずだ。
アルフレッドは彼女の恋を最初から知っており、愛の逃避行を手伝っただけなのは、ブルーノ家の誰もが気付いている。
母レイチェルからは『このお人よし』と頭を小突かれ、叔母フィリスには悲しそうな目でアルフレッドを見つめられ、正直、母の鉄拳よりもそちらの方が堪えた。
出来るだけ早くハロルドに当主の座を譲ろうという目論見はあっさり見抜かれていたらしく、妻が駆け落ちした夜、執務室で父バーンズ子爵と二人きりになり夜明けまで長々と説教をくらった。
ようやく解放されたアルフレッドがふらふらと朝もやの立ち込める庭を歩いていると、足にいきなり何かに飛びつかれ、前に倒れた。
芝生に這いつくばるアルフレッドの顔の前に、犯人はちょこんと座って頭を大きく傾け覗き込んできた。
『アルフ。シエラのだんなさまにしてあげる』
にかっと歯を見せて無邪気に笑う幼女に、アルフレッドは力が抜けて、地面と同化した。
「今更、六人も子どもを産んだ夫婦の仲を裂いて、ブルーノの奥方に据え直すとか、まさかそんな鬼畜な所業を考えているわけじゃないのよね?」
「……シエラ、何故それを」
「うん? 王妃様から聞いた。諜報員出して、ちょちょいのチョイよ」
「はああ~」
アルフレッドは盛大にため息をつく。
シエラは『百年に一度の逸材』と言われ、王妃が専属騎士として仕えないかと数年前から熱烈に勧誘している。
逸材に育てたのは言わずもがな、メリッサ叔母と妹のアメリとポルザ山だ。
斧と鉈を使って戦い、大剣も振り下ろせる能力を持つ十六歳の少女など、この国にはいない。
「王妃様が無料で情報をくれるわけは……」
「うん、大丈夫。大公家の三男の鼻をへし折って、性根を正してあげたって言うヤツでチャラにしたから」
物理的になのか心的なのか。
問いただす気にもなれない。
「大丈夫、大丈夫。小さなことばかり気にしていたら、禿げるわよ? まあ、禿げようが腹が出ようがアルフレッドだからいいけど」
「その自信はいったいどこから」
「うん? これぞブルーノの遺伝子って感じじゃない? 一度狙った獲物は諦めないってところ」
「諦めないって言うか逃さないというか……」
「私、母さんと全然似てない上に、恋敵の父さんそっくりだけど」
「……シエラ」
「考えてみたら、そっくりだったら大問題じゃない? 初恋の人のそっくりさんと結婚するとかさ。ちょっと気持ち悪いし、うまくいくはずないよね」
「いや、シエラ。僕は君と結婚するとは言っていない──」
「大丈夫。幸せになれるから。絶対自信あるから」
十二年前と変わらぬ笑顔でアルフレッドを口説く。
十二年間。
顔を合わせれば毎回、シエラはアルフレッドと結婚すると言い張った。
そして、こんなにも眩し過ぎる女性に成長した。
「シエラ──」
アルフレッドは背を伸ばして、シエラと向き合う。
ゆっくりと唇を開き、言葉を返す。
「──────」
草原を風が音をたてて通り抜けた。
「アルフ」
まるで太陽の光を存分に浴びた花のように生き生きと、シエラは笑った。




