変化があったようです
それから二週間が経ち、事態はメルジーナが予想していたものとはいささか違ってきていた。
「メルジーナ!メルジーナー! ちょっと来て」
皇族専用の食堂でメルジーナを呼びつけるエルネスティーネを、他のメイドたちは内心
(またか……)
と、いう思いで盗み見た。
執務室で朝食をとるジークフリートは不在だが、皇帝と皇后、そして皇子と皇女は同じ部屋で食事をとる。貴人のメイドとして働く彼ら、彼女らはプライドをもって仕事をしているため、直視することはないものの、皆が新しい生け贄に注目していた。つまり、エルネスティーネ付きになった新しいメイドーーこれで何人目だろう?ーーについて。
(かわいそうに。また辞めてしまうぞ)
(すぐに呼びつけては文句を言って、繰り返されたらどうにかなってしまいそう)
(今度の子はどれくらいもつかしら)
(さあ、でも一週間耐えられれば上出来じゃない……)
密やかにかわされる目線や口の動きでの音のない会話に、気付いているのかいないのか、エルネスティーネは再び
「メルジーナ!どこにいるの?」
と、苛立ちを隠さずに声を張り上げた。
「はい。お呼びですか」
と、焼き立てのクロワッサンを手に、すぐに金髪の少女が戻ってきた。
「お呼びですか、じゃないわよっ」
と、エルネスティーネ。
(ああ、かわいそうに……)
(四六時中傍で給仕するわけにもいかないだろうに)
(いったいどうするのかしら)
他の使用人たちの同情と好機の眼差しが注がれる中、メルジーナは微笑みを絶やさずにエルネスティーネの傍へ寄り、
「何か御用ですか?」
と、尋ねた。
(め、メンタル強いっ……)
(あたしだったらあんなに威圧されたら声も出せない)
と、見られていることも知らず、メルジーナはパンの入った籠をテーブルに置く。
「……んで」
「え?」
「なんで、メルジーナと食べちゃいけないのよぅ……」
頬を膨らませて拗ねるように言ったその言葉。
使用人一同が耳を疑った。
言葉の内容それ自体もありえないものだったが、それ以上に。
(何!? エルネスティーネ様ってそんな声出せるの!?)
(誰ッ!? 子猫ちゃん並みの可愛い声!?)
(いつもの雷みたいなキンキンした怒鳴り声はどこに!?)
驚愕に包まれるその場の空気には頓着せず、メルジーナと呼ばれた少女は動じない。
驚く代わりに、仕方なさそうに苦笑した。
「ですから。先ほども申し上げましたが、私はメイド。エルネスティーネ様は皇族です。なので、同じ食卓につくことはできないんですよ」
「皇族のわたくしが言っているのに?」
「それでもだめです」
「む……じゃあ、お父様が許したらいい?」
「もし許可が出たとしても、私がメイドの仕事をしなければ誰も給仕するものがいなくなってしまいます。エルネスティーネ様付きのメイドは今、私だけなんですから」
「む、むむっ……」
年相応の表情でふくれっ面をするエルネスティーネ皇女。
こうしてみるとまるで子供だ。
いまだかつて誰がこんな皇女の姿を見ただろうか?
「じゃ、じゃあ! 朝食のあと、お茶をしましょう? それならいいでしょう?」
「お茶、ですか……」
「それくらいはいいでしょう」
メルジーナは少し考えて、
「わかりました」
と、にっこり笑った。
分かりやすく、エルネスティーネがパアッと笑顔になる。
今まで人形のようだった皇女が年相応の顔に変化したのを見て、使用人たちは声を出さずに叫びあった。
いったい何が起こったというのだろう?
驚いていたのは使用人だけではなかった。
「ずいぶん機嫌がよさそうね、エリィ」
この世の宝石にたとえられる相貌で声をかけたのは、皇后――つまり、エルネスティーネの母だ。
上品に指先を純白のナプキンで拭いながら、面白そうに娘を見る。
「どういう心境の変化?」
「どうもこうもありませんわ、お母様。この、新しいメイドのメルジーナが頑固者なんですの。わたくしがいくら命令しても素直にききませんわ」
と、言いながらエルネスティーネはどこか嬉しそうだ。ぽちゃぽちゃした指でシルバーのフォークを握っている。
そしてもう一人、驚きのあまりポーチドエッグを食卓にこぼしている人物がいた。
皇子、エーベルハルト。
「エーベルハルト。お行儀がよくなくてよ」
「あっ、すみません」
「あら。もしかしてわたくしのメイドに見とれていたのではなくて?」
エルネスティーネはわたくしの、というところを強調した。
しかし、内心動揺でいっぱいの皇子はそれに気付くどころではなかった。
(あの、歌姫は――姉上のメイドだったのか。もう会えないと思ったのに)
「――失礼しました。美しい方だったので」
と、皇子は微笑した。
使用人たちは本日何度目か分からない驚愕に陥る。
(えぇぇぇっ!?)
(あの影の薄い皇子様が、エルネスティーネ様のからかいに動じないっ!?)
(美しい!? 女性をほめられるなんて)
(しかも、わ、笑った!?)
(大雨でも降るんじゃないかしら……)
しかし彼らは皆プロなので、顔にも声にも出さなかった。
内心は乱れに乱れていたが、普段と同じ表情を取り繕っていた。
しかし、この日の夜までには皇宮に仕えるおよそ全ての人間の知るところになっていた。
《エルネスティーネ皇女殿下の新しいメイドは、只者ではないらしい》と。




