ロベルト・フィッツェ
帝国騎士団団長のロベルト・フィッツェは驚愕した。
もうお目にかかることはないと思っていた、苦い記憶の品を突きつけられたからだった。
「ジーク、それは……」
「受けとれ」
銀髪の美貌の青年、ジークフリート・クラッセンは傲岸不遜ともみなされそうな態度で、ロベルトにそれを投げて寄越した。執務室に呼びつけられたロベルトは、こんな用事だとは想像もしていなかった。
思わず、ロベルトはまじまじと見てしまった。
自分の手のひらの中に帰って来た婚約指輪を。
マルガレーテのイニシャルの入った華奢な意匠の指輪は、彼女に似合うようにと職人に特注したものだった。彼女が好んで身に着ける百合の紋様も刻印されている。
見紛うわけがない。
信じられずにロベルトは思わず尋ねた。
「どこでこれを」
「どこでも何も、お前が言ったんだろう。さんばしから投げ棄てたと」
言った。
確かに言ったが。
もともと言うつもりはなかった。
先日行われた晩餐会の会場で今にも死にそうになっていたロベルトに目ざとく気が付いたジークフリートに、半ば脅されるような形で白状したのだ。
さすが、乳兄弟であるだけはある。
生まれた時をほぼ同じくして、ずっと傍で互いを見続けてきたのだ。
職業柄いくらポーカーフェイスを気取ったところで、30年近くロベルトの顔を見ているのだから、肉体的な不調のみならず精神的な落ち込みにも敏いはずだ。
ジークフリートはわずかに微笑む。
整い過ぎて氷の刃と形容される冷徹な美貌が少しだけ色をもつ。
「おれだって本当に見つかるとは思っていなかったが……奇跡が起こったんだ」
「まさか人海戦術か? 家臣や民を海に入れて」
「こんな私的なくだらない案件に大事な人手を使うわけがないだろう」
「じゃあ、どうやって」
「……奇跡だよ」
「焦らすな」
教えろ、とねめつけながら、片手にもったシャンパングラスを飲み干す。
さっきまで驚きでとり落としそうになっていたのを気取られたくなかった。
「たった一人の少年が見つけてきた。ものの十分たらずで」
「ばかを言うな。おれは、《海の中》に投げたんだぞ」
マルガレーテに婚姻を申し込んで断られた。
真面目で実直と評価される自分が、恋にうつつを抜かした報いだと思った。
耐え切れなくなっていっそ身投げでもしてしまいたくなったが、己の任務と立場を思い出して踏みとどまった。仕事人間がこんなところで役に立つとは、と皮肉めいた自嘲を浮かべた次の瞬間には、ロベルトは指輪を渾身の力で海へ投げつけていた。指輪がなくなれば自分の傷心の原因を失くしてしまえるように思えた。小さな金属の輪は、放物線を描いてすぐに目の前から消えて、遠くで水面に落ちたようだった。
ロベルト本人でさえ、どこにあるかも分からない。
さんばしの真下ならともかく、一度岸を離れた失せ物に巡り合える確率は限りなくゼロに近いだろう。
もう二度とまみえることはないと確信していた。
それなのに。
「ありえない……」
あの日、指輪を捨てた後悔は意外にもロベルトにはなかった。
マルガレーテと幸せな家庭を築く、夢にみていた未来も消えてしまった。
それと同時に世界から色は消え、全ては無機質な物になってしまった。
ただ機械のように、帝国のための大きな歯車として働く人生なのだと思った。
それなのに。
ロベルトは手のひらの指輪をもう一度見た。
ぎゅっと握りしめていたようで、金属は熱をもっていた。
彼女に似合うと直感して選んだ桃色のダイヤモンドだ。
「まだ、間に合うんじゃないか」
ジークフリートはロベルトから視線を逸らしたまま言った。
大事な話をするときほどわざと別のことをしようとする、ジークフリートの昔からの癖だ。
「もう無理だ。彼女にはそんなことはできないとはっきり言われたよ」
「とにかくもう一度いってこい。この指輪がそう言っている。おれの持ってきた奇跡を無駄にするな」
天井のシャンデリアを反射して、ロベルトの手の上で指輪が光った。
ジークフリートに言われると本当にそうなのではないかという気がしてくるから不思議だ。
「……奇跡か」
もしマルガレーテが頷いてくれるとするなら、本当に奇跡を呼ぶ指輪かもしれない。
ロベルトはジークの横顔を一瞥すると、踵を返した。
さっきのシャンパンは甘いのに結構効いた。
心臓の音がうるさいのはそのせいだ。
部下のエアハルトに後の細々したことを頼んで、ロベルトは城のエントランスを出た。
この胸の熱が消えないうちに、マルガレーテに会わなければならなかった。




