74:雨音に包まれて2
前回のざっくりあらすじ:ニースは「仕事」として、セラと接し始めた。
ニースたちが宿泊している宿の食堂は狭く、テーブルは小さい。グスタフは演奏のため出かけていたが、ニースたちは男女で分かれて座り、夕食を食べていた。ラチェットが、くるくるとアマゴのパスタをフォークに絡めながらニースに尋ねた。
「ニース、どうだった? セラちゃんは覚えられそう?」
「はい。セラのパートだけですけど、全部覚えてもらいました」
当たり前のように答えて、鮭のムニエルを口に運ぶニースに、ラチェットは驚いた。
「まだ半日しか経ってないのに、もう終わったのか。さすがニース。教えるのが上手なんだね」
ラチェットの言葉に、ニースは苦笑いを浮かべた。
「ただ、覚えるには覚えたんですけど……」
マルコムがマスのフライを切りながら、ニースに問いかけた。
「何か問題でも起きたのか?」
「問題っていうほどではないんですけど……。ぼくとセラで、試しに歌を合わせてみたんです。でもそうすると、どうしてもセラが音を外しちゃって」
ラチェットは食事の手を止めて、首を傾げた。
「覚えてるのに、音が外れるのかい?」
「はい。セラ一人で歌うと間違えないんですけど、ぼくのパートと合わせると、ダメなんです」
ラチェットはパスタを口に運びながら、考え込んだ。
「うーん。楽器なら弾き方を間違えなければいいんだけど、声だからなぁ……」
悩むラチェットを横目に見ながら、マルコムはニースに話しかけた。
「音楽の悩みは、ラチェットに任せた方が良いだろうな。ところでニース。例のアレだが、模様は考えたか?」
「はい、考えました。あと、ぼく今日、ジーナさんと買い物に行った時に、蛍石の原石を買ってきたんです。磨きたいので、ヤスリを貸してもらえますか?」
マルコムは、ふっと笑みを浮かべた。
「へえ、蛍石か。なかなかいいのを選んだじゃないか。物によってはあの石は、暗い所で光るんだよ。光ると結構綺麗だから、当たりだといいな」
「そうなんですね。ぼく、知らずに買ってきちゃいました。磨いたら光るかなぁ?」
「まあ、光っても光らなくても、大事なのは心を込めて磨いてやることだろう。食べ終わったら、部屋に持って来るといい」
「はい。ありがとうございます」
二人の話を聞いて、ラチェットは興味深げに問いかけた。
「その、石を磨くっていうの、僕も見に行っていいかい?」
「いいですよ」
ニースが微笑んで返事をすると、ラチェットは歌の悩みを後回しにして食べ始めた。ニースたちは手早く食べ終えると、足早にマルコムの部屋へ向かった。
メグたちは、ニースたちとは少し離れたテーブルに座っていた。ニースとセラの事を気遣っているためだ。
「やっぱり秋のお魚は、美味しいわねー」
ジーナの胃袋に次々と料理が吸い込まれていく様に、メグは胃もたれを感じ、テーブルから目を外した。すると、ニースたち三人が食堂を出て行くのが見えた。
「ラチェットたち、もう食べ終えたのね。男の人たちって、あんなにたくさん食べるのに、どうしていつも早く食べ終わるのかしら」
「それはほらー。美味しいからよー」
「お母さんは特別でしょ。男の人より、ずっと早いし」
「そんなことないわよー」
話の合間にも次々と料理を飲み込んでいくジーナに、メグは呆れたように、はぁとため息を吐いた。二人の会話を聞いても、セラは黙り込んだままだ。セラは落ち込んだ様子で、少しずつ食事を食べ進めていたが、皿の料理はほとんど減っていなかった。その様子を、メグは心配に感じた。
――急にやりすぎちゃったかしら……。
メグは、ニースとセラが一緒に練習するように、強引に仕向けた事に責任を感じ、気遣うように声をかけた。
「セラ、大丈夫? やっぱり、ニースと一緒に歌うのは辛かった?」
セラは、ふるふると首を横に振り、ムニエルを飲み込むと、しゅんと肩を落とした。
「いいえ、違うんです。ニース先輩と練習するのは、別にいいんですけど……。私、失敗してばかりで……」
メグは、食べきれなかったパスタの皿をジーナに押しやると、困ったように顔を歪めた。
「失敗は、私にはよく分からないけれど。その先輩っていうのは、どういうことなの?」
セラは言い難そうに、小さな声で答えた。
「その……ニースが、仕事だからって言ってたから、私も、お仕事としてニースと一緒にいた方がいいかなって思ったんです」
メグは苦笑いを浮かべ、諭すように問いかけた。
「そんなことだろうと思ったわ。セラ、それってニースがそうしてって言ったの?」
セラは顔を上げて、首を横に振った。
「ち、違います! 私が、そうした方がいいと思ったから……」
ジーナは食べ終えた皿を横に積み上げると、セラに目を向けた。
「セラちゃん、それはダメよー。自分で距離を取っちゃうのは、ダメー」
メグはジーナの言葉に頷き、言葉を継いだ。
「そうよ。セラは、ニースと仲良くしていたいんでしょ? それなら、ちゃんとニースの前に立たなくちゃ。仕事だけの関係って自分から線を引いたら、戻れなくなっちゃうわ。二人は友達なんでしょう?」
「……はい」
涙目になりながら、こくりと頷いたセラに、メグは手布を差し出し、微笑んだ。
「それなら、ちゃんと友達として、ニースのことを待っててあげて。きっとニースは、自分の気持ちに整理をつけて、セラの隣に戻ってくるから。……ね?」
「そうよー。信じて待っててあげましょー。辛い時は、私たちがセラちゃんを支えるわー」
セラは手布を受け取ると、涙を拭い、二人に頷いた。
「はい。もう少し、待ってみます」
セラたちは気持ちを切り替えて、食事を続ける。鮭のムニエルが、少し塩辛く感じるセラだった。
一方、食堂を出たニースはマルコムの部屋へ入り、蛍石の原石を二人に見せていた。ラチェットはニースの手から原石をひとつ摘まみ上げ、しげしげと見つめた。
「へえ。ゴツゴツしてるけど、綺麗な青だね。これを磨くとアクセサリーに出来るのか」
「はい。水につけて磨くといいらしいです」
ニースが他の原石もテーブルに置くと、部屋に放されていたバードがテーブルに降り立ち、じっと蛍石を見つめた。マルコムは、用意していた小さな分厚い木板を二枚取り出した。
「ちゃんと缶が入るように、穴は開けておいた。厚みもアルミ缶に合わせてある。あとは、装飾を付けるだけだ」
「ありがとうございます」
ニースはマルコムから木板を受け取り、懐からセラのクリーム缶を取り出す。木板の窪みに合わせると、缶はすっぽり収まった。蛍石を確認し終えたラチェットが、不思議そうにマルコムに尋ねた。
「そのサイコロを割ったみたいな、木の板は何なんです?」
興味深そうなラチェットに、マルコムはニヤリと笑みを浮かべた。
「これはな、女心を掴む仕掛けさ」
「女心を掴む……」
ラチェットの目に、キラリと光が宿った。
「マルコムさん。これ、僕も作りたいんですが」
ラチェットが、ずいとマルコムに迫ったので、マルコムはたじろいだ。
「お、おう。構わないが……ラチェット。これが何なのかわかってるのか?」
ラチェットは、メガネをくいと上げると、当たり前だと言わんばかりに頷いた。
「ええ、もちろんです。靴のクリーム入れですよね?」
惜しいところで外したラチェットの言葉に、マルコムは苦笑いを浮かべた。
「クリーム入れっていうのは、そうなんだけどな。なんでそこで、靴のクリームになるんだよ。ラチェットはそんなだから、お嬢に振り回されるんだ」
「ほかに何かクリームで必要なものって、ありました? 鞄用とか……?」
「お前な……」
ムッとしたラチェットに、マルコムは丁寧に説明を始めた。その隣でニースは、バードに声をかけた。
「バード、少し君の姿を見せてくれる?」
バードは、わかったと言うように、くるっぽーと鳴くと、ニースの前に立った。ニースは紙を取り出して、バードの姿を描き出した。マルコムの説明で、ニースが作ろうとしているのが靴クリーム入れではなく、ハンドクリーム入れだと理解したラチェットが、ほぅと感嘆の声を漏らした。
「ニースは、絵も上手なんだね」
「いえ、ぼくなんて全然……」
照れくさそうにはにかむニースに、マルコムは笑いかけた。
「考えたな。セラちゃんがバードを気に入ってるから、バードの模様にするのか」
「はい。でもこれ、彫るの難しそうですよね……」
下書きとして書いた自分の絵を見て、眉をひそめたニースに、マルコムは困ったように小さく唸った。
「そうだなぁ……。ニースが彫りやすい形だと、バードの羽とか、足型じゃないか?」
マルコムの言葉に、ニースはバードをじっと見た。
「足型と羽……」
バードは、任せろというように、くるっぽーと鳴くと、自分の尾羽を一枚引き抜いた。
「え⁉︎ バード⁉︎」
驚くニースに、バードはどうぞと言うように、羽を咥えて、とてとてと近づいた。戸惑って羽を受け取ろうとしないニースに、マルコムが笑った。
「大丈夫だ、ニース。秋頃は羽が生え変わったりするんだ。すぐまた生えてくる。それにしても、バードは本当に人の言葉をわかってるみたいだなぁ」
ニースはマルコムの言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。
「バード、ありがとうね。でも、無理しなくていいんだからね?」
バードは、わかったというように、くるっぽーと鳴くと、さっさと描けと言うように、紙を突いた。
「バードが早く描けって言ってるね」
ラチェットが笑うと、ニースとマルコムも笑った。ニースは皆の助けを借りながら、プレゼントの準備を進めていった。
翌朝。まだ町には雨が降り続いており、窓の外は暗かった。朝になったのかよく分からないながらも、お腹の空き具合で朝だと判断したニースは、もそりとベッドから起きだした。
「おはよう、ニース。よく朝だと分かったね」
ラチェットはすでに身支度を整えており、椅子に座って楽譜を手にしていた。
「おはようございます、ラチェットさん。お腹が空いたので、それでどうにか」
ニースが恥ずかしそうに頬をかいたので、ラチェットは笑った。
「はは。僕も似たようなものだよ。この宿は鐘の音も聞こえにくいから、何時なのかわかりにくいよね」
「そうですね。……ぼく、顔を洗ってきます」
「ああ。行っておいで。それから、ニース。歌詞が出来たから、僕も練習を手伝うよ」
ニースはラチェットの言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。
「良かったです。昨日、セラがずっと先輩って呼ぶから、避けられてるみたいで、なんだかやり辛くて……」
ニースの言葉にラチェットは、苦笑いをニースに向けた。
「ニースはワガママだなぁ。セラちゃんと距離を取っていたのは、君の方だろう?」
ニースはラチェットの言葉に、はっとすると、気まずそうに俯いた。
「ほんとだ……。そうですね。ぼくが避けてたのに、何でそんな風に思ったんだろう」
ラチェットは微笑みを浮かべて立ち上がると、ニースの頭を、わしゃわしゃと撫でた。
「そんなの決まってるよ。ニースがセラちゃんのことを、好きだからさ」
ニースは、ラチェットの顔を見上げた。
「セラのことを好き?」
ラチェットは頷くと、くいとメガネをあげた。
「ああ。だって、二人は友達なんだろう? セラちゃんの歌の力に、ニースがやきもちを妬いたのも、先輩と呼ばれて寂しかったのも、全部ニースがセラちゃんのことを、大事な友達だと思ってるからだよ。好きな相手じゃなかったら、羨ましくてもこんなに悩まないはずだからね」
「友達だから、やきもち……」
ラチェットの言葉を噛み締めるように、ニースは目を伏せた。ニースの脳裏に、クフロトラブラで木剣をくれたマルコの事が思い出された。
――マルコたちは、ずっとぼくにやきもちを妬いてたって、マーサおばさんが言ってたけど、最後に宝物をくれた。ずっとぼくのことを友達だって思っててくれたから、やきもちを妬いてたのかな……。
ニースは、ふっと笑みをこぼした。
「そう、ですね。ぼくはセラのことを友達だと思ってるから、羨ましい気持ちが強くなったんですね」
ニースは、胸を渦巻くモヤモヤが、薄くなるのを感じた。ラチェットは、ニースが笑ったのを見て、胸を撫で下ろした。
「そうだね。二人は、ちゃんと友達だ。でも、無理はしなくていいと僕は思うよ。ゆっくり歩み寄ればいい。時間はたくさんあるんだから」
「はい。ありがとうございます、ラチェットさん」
ニースは顔を洗いに部屋を出る。ニースの足取りは、ほんの少し軽くなっていた。




