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地に響く天の歌 〜この星に歌う喜びを〜  作者: 春日千夜
第2部 旅の一座 【第6章 二人のハーモニー】
96/647

75:雨音に包まれて3

前回のざっくりあらすじ:やきもちを妬いて苦しむのは、好きだから。

 アウクリシウムの町は、相変わらずの雨空だ。ニースがセラと練習を始めて数日が経ったが、晴れやかな秋空は一度も姿を見せていなかった。グスタフは町の至る所で演奏を続けており、マルコムとメグは、新しい手品の練習に励む。ジーナは宿の厨房を借りて、保存の利く菓子をたくさん作っていた。ニースは、昼は自分たちの部屋でセラ、ラチェットと共に新しい歌の練習を行い、夜はマルコムの部屋で贈り物の準備をするという日々を過ごしていた。セラへの贈り物は着々と完成に近づいていたが、新しい歌はなかなか完成せず、ニースとセラの距離も離れたままだった。

 その日、何度目かの練習の後で、ラチェットは椅子に座ると、悩みを解すように頭をかいた。


「うーん……。どうしたらいいのかなぁ……」

「ご、ごめんなさい……」


 ニースとセラは、すっかり新曲の歌詞を覚えていた。それぞれのパートも、しっかりと覚えており、後は二人合わせて歌うだけだ。ニースは何の問題もなく歌えていたが、セラは何度試してもニースの音につられてしまい、音程を外していた。


「細かく分けても、うまくいかないし……」


 悩むラチェットと、落ち込むセラを見て、ニースは何か出来ることはないかと、考えを巡らせていた。


 ――ぼくのパートの方が、もしかして簡単だったりするのかな。ぼくには、難しさは同じように思えるけど……。


 ニースは窺うように、ラチェットに声をかけた。


「あの、ラチェットさん」

「なんだい? ニース」

「ぼくとセラの歌うパートって、交換しちゃいけないんですか?」


 ラチェットは、口元に手を当て考えた。


「んー。二人の声の質で、この方がいいかなと思って、作曲はしてるんだけど……。でも、そもそも合わせられないんじゃ、意味がないからなぁ……」

「ご、ごめんなさい……」


 セラが、ますます身を縮こませたので、ラチェットは慌ててセラに笑みを向けた。


「いや、セラちゃんが悪いわけじゃないんだよ。初めての試みだから、仕方ないんだ。気にしないで」

「はい……」


 力なく返事を返したセラに、ラチェットは申し訳なさを感じ、誤魔化すように笑った。


「まあとにかく、色々試してみないことには、どうにもならないから、とりあえず二人のパートを交換してみようか。セラちゃん、ニースのパートは覚えてる?」


 セラは、ふるふると首を横に振った。


「私、自分のパートを間違えないように必死だったから、全然ニースの歌を聞いてませんでした」


 セラの言葉に、ラチェットは苦笑いを浮かべた。


「もしかすると、それが原因かも……」

「え……?」


 固まったセラを見て、ラチェットは肩をすくめ、二人に微笑んだ。


「休憩しながら、少し話をしようか」


 立ち上がるラチェットに、ニースとセラは黙ってついていった。しかし、セラの足取りは重かった。窓の外ではどんよりとした雨雲が空を埋め尽くし、仄暗い廊下を小さなランプの明かりだけが照らしていた。


 雨は強まったり弱まったりを繰り返しながら、降り続ける。ニースたち三人は、ランプがぼんやり照らす食堂で、お茶を飲みながら話し始めた。


「セラちゃんが音を外さないように、一生懸命になってくれていたことは、全然悪くないんだよ。だから、気を悪くしないで聞いてほしいんだけど……」

「はい……」


 ラチェットは、お茶を一口飲み、くいとメガネを上げた。


「今までセラちゃんが舞台で歌ってた時は、自分の声しか聞いてなかったかな?」


 セラは、ふるふると首を横に振った。


「いえ。私はいつもニースと一緒だったから、ニースの歌を聴いてました」

「そうか。それじゃあ、僕や座長の伴奏は聞いてたかい?」

「いいえ……ごめんなさい……」

「そんなに気にしなくていいんだよ、セラちゃん」


 しゅんと肩を落としたセラを慰めるように、ラチェットはジーナが作った無花果の甘煮を、セラに取り分けた。


「無花果は今が旬だよね。食べながら話そうか」


 セラは皿を受け取ると、戸惑いながら甘煮を口に入れた。ぷにりと柔らかな果肉から、じわりと甘みが溶け出して、固まったセラの心を、ほんの少し和らげた。


「美味しい……」


 ラチェットは安心したように微笑むと、ニースにも取り分けた。


「ニース。君はどう? 舞台でいつも、どんな風に歌ってた?」

「ぼくですか? ぼくは……」


 ニースは皿を受け取ると、思い出すように目を伏せた。じんわりとランプの光が広がる食堂には、パラパラとリズミカルに雨が窓を叩く音が響き、ジーナが作る菓子の甘い香りが厨房から漂っていた。


「ぼくは……いつも、周りの音や、空気や光を感じながら歌っていました」


 ニースは目を伏せたまま、口元に、ふわりと笑みを浮かべた。セラは柔らかなニースの微笑みに、目を奪われた。


「感じて歌う……?」


 ニースは目を開き、頷いた。


「うん。聞いてくれる人の笑顔を思い浮かべて、ラチェットさんたちの伴奏や周りの色んなものが、自分の声と溶け合うように歌うんだ」

「溶け合うように……」


 考え込むセラに、ラチェットは微笑みを浮かべた。


「僕も楽器を色々弾くけど、ニースと同じだよ」


 セラは、不思議そうに問いかけた。


「楽器も同じなんですか?」

「ああ。ソロでピアノを弾くときでもね。音楽って一人で演奏してるように見えても、実は違うと僕は思ってる」

「一人で演奏してるわけじゃない……?」


 ラチェットは頷き、無花果の甘煮を突いた。


「セラちゃんが分かりやすいように言うと……そうだなぁ。音楽って料理みたいなものなんだよ」


 ラチェットは、ぱくりと甘煮を口に含むと、頬を緩めた。


「うん。これはちょうどいい甘さだね。やっぱりジーナさんは料理上手だ」


 セラは、表情を引き締めた。


「ラチェットさん。お料理みたいってこと、詳しく教えてください」

「もちろんだよ」


 セラの真剣な眼差しに、ラチェットは笑みを浮かべて答えた。


「僕は楽譜というレシピを作ったけど、実際に料理をするのはセラちゃんとニースだ。例えばこの無花果だけど、砂糖が加えられているよね」


 ラチェットは、フォークに甘煮を刺して、ゆっくり持ち上げた。ランプの炎に照らされて、無花果はつやつやと煌めいた。


「作り方はシンプルで、レシピだって簡単な物だ。でも無花果は自然な物で、甘みはそれぞれ異なる。だから、ひとつひとつ味は変わるはずなんだ。でもジーナさんの料理は、どれも美味しい。それはジーナさんが料理を作る時に、どんな出来上がりになるかを想像して、そのイメージに近づくようにしてるからじゃないかな? 味見をしたり、火の通り具合を見計らって、火加減を調節したりね」


 セラは、ジーナがいる厨房に目を向けた。ジーナがオーブンをじっと見つめ、火加減を調節し、焼け具合を確認しているのが見えた。


「そうですね。オーブンだって場所によって違うけど、ジーナさんのお料理はいつも美味しいです」


 ラチェットは微笑んで頷いた。


「音楽も同じだよ。一緒に演奏する人、場所、聞いてくれる観客たち……。周りをよく見て、聞いて、感じて。自分が出す音をどんな風に混ぜ合わせて、()()を作り上げるのかをイメージするんだ。歌という料理の中で、セラちゃんのパートがどんな役割を持つのかを意識していれば、音が外れることもなくなって、()()()()()になると僕は思う」


 ラチェットは、目線でニースに甘煮を食べるか尋ねた。ニースは微笑んでフォークを受け取り、ぱくりと食べた。セラは、美味しそうに頬を緩めるニースを見て、呟いた。


「私に出来るのかな……」


 セラの言葉に、ニースは、こくりと頷いた。


「出来るよ。セラは今までやってきてたんだから」


 セラは、ぽかんと口を開けた。


「え……そうなの?」


 ニースは甘煮をもう一つ皿に取り分け、セラに目を向けた。


「うん。だって、ぼくと歌を合わせてきたんだから、歌声が揃うように、セラは歌っていたんだと思うよ? 息を合わせないと揃わないから。それって、ぼくの声に合わせて、どんな風に歌うか考えてたってことでしょ? だからそんなに難しいことじゃないよ」


 ニースは甘煮を二つに割る。フォークでぷにりと押された無花果は、ほろりと綺麗に割れた。半分をぱくりと食べたニースは、セラがじっと見つめているのに気づき、もう半分をセラに勧めた。嬉しそうに受け取ったセラに、ラチェットは笑みを向けた。


「今までは一つのメロディを二人で歌ってたけど、今回は分かれる。でも、二つで一つになるんだよ。だから、歌うメロディが違っても、今までと基本は変わらないんだ。セラちゃんには、異なる音を重ねたイメージがつき難かったのかもしれないね。どんな風に音が重なるのか、実際に聞いた方がいいのかもしれない。一度、僕のオカリナとニースの歌を合わせた所を、聞いてみようか」

「わかりました。よろしくお願いします」


 セラがぺこりと頭を下げると、ニースは微笑みを浮かべた。


「セラなら、きっと出来るよ」


 優しいニースの言葉に、セラは涙を浮かべた。ニースは、気まずそうに苦笑いを浮かべ、誤魔化すようにお茶を飲んだ。


 ――ぼくだけが歌で悩んでたんじゃない。セラもこんなに悩んでるのに……。ぼく、何やってるんだろう。


 口に残る砂糖の甘みが、お茶に溶けて染み渡る。ニースの心のモヤモヤが、また少し薄くなった。


 セラの誕生日の前日。長かった雨が止み、分厚い雲の隙間から柔らかな日の光が射した。セラは毎日繰り返し練習を続け、ようやく音を外さずに歌えるようになった。二人の歌を聞いていたラチェットは、満足そうに頷き、拍手を送った。


「うん、いいね。歌声のハーモニーが、こんなに心地いいとは思わなかったよ。これで完成だ。二人とも、お疲れ様」


 ラチェットの言葉に、セラは、ほっと胸を撫で下ろした。


「よかった……。私、もう無理かと思いました」


 安堵の涙を指で拭うセラに、ニースは優しい眼差しを向けた。二人の歌声が溶け合い重なり合う内に、ニースのモヤモヤはすっかり消えていた。


「お疲れ様、セラ。それと……今までごめんね」


 ニースはセラに、ぺこりと頭を下げた。セラは驚き、ぽかんと口を開いた。


「え……え? なんで謝るの?」


 ニースは顔を上げると、気まずそうに頬をかいた。


「ぼく、ずっとセラにやきもちを妬いてたんだ」

「……やきもち?」


 首を傾げるセラに、ニースは、こくりと頷いた。


「セラに歌の力があるって分かって、ぼくは羨ましかったんだ。セラが望んだことじゃないのは分かってたけど、どうしても羨ましく感じて、セラに酷いことしてた。……ごめん」


 もう一度頭を下げるニースに、セラはふわりと微笑んだ。


「そうだったんだ……。でも、もう大丈夫になったの?」


 ニースは、セラに頷きを返した。


「うん。もう大丈夫。歌の力があるセラも、こんなに悩んでたことを、ぼくはよく分かった。それにぼくは、ぼくに歌の力がなくても、やっぱり歌が好きだなって分かったから。歌石が光らなくても、誰かに悪く言われても、セラと一緒に歌うのは、やっぱり気持ちがいいんだ」


 ニースは、晴れやかな笑みをセラに向けた。セラは思わず、泣きそうに顔をくしゃりと歪めた。


「うん。うん……。私も、ニースと一緒に歌うの、大好きだよ」


 目に涙を浮かべながら、えへへと笑うセラの顔を見て、ニースは胸がぎゅっと締め付けられる気がした。ラチェットが微笑んで、二人の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「二人とも、仲直り出来たみたいで良かったよ。これからも色々辛いことがあるかもしれないけど、大事な気持ちを忘れないでね?」

「はい、ラチェットさん」

「ありがとうございます」


 心から幸せそうな笑みを浮かべるニースとセラに、優しい日の光が射した。窓の外には、抜けるような青空が広がっていた。

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