58:川下り
前回のざっくりあらすじ:“調子外れ”の証明書を手に入れた。
ペリフローニシの町を出た船は、皇都を目指す一座を乗せ、大河を下る。しかし川幅は、ずっと広さが同じわけではなく、川底の形状も深さも様々だ。そのため大きな外輪船が、ずっと進み続ける事は出来ない。船が進めなくなる場所には船着場があり、皇都を目指す人々は、一度船を降りて陸路を通り、さらに下流の船着場から、また別の船に乗る。そうして陸と川を交互に進み、船を乗り継ぎながら、ニースたちも皇都を目指して旅を続けていた。
何度目かに乗り換えた船の中。男女別の二部屋に分かれて乗船した一座の女部屋には、ため息と呻き声が漂っていた。部屋の大きなベッドの上では、ジーナが呻いていた。川の流れは穏やかだが、陸路の馬車と船の揺れの違いで酔ってしまったのだ。ジーナにとっては災難だが、同室のメグとセラにとっては幸運だった。ジーナが船酔いで熟睡出来ないため、二人はいびきに悩まされる事なく過ごしていた。
呻きながら微睡むジーナを横目に、二人は小さな窓から外を眺め、お茶を飲んでいた。メグは、げんなりとした顔で、陽光を反射する川面と川沿いに続く森を眺めた。
「いい加減、船旅も飽きてきたわね。何かこう、パーッと楽しくなれるような事があればいいんだけど」
皇都へ向かう船には船付きの芸人たちがいる。一座は、船の中で公演を行う事もなく、ゆったりと休日のように過ごしていた。しかし船の中では、ほとんどする事がない。何もせずにのんびり過ごす事が苦手なメグは、すっかり退屈していた。
窓の外に広がる景色をじっと見ていたセラが、メグの声に振り向いた。
「そうですか? 私は楽しいです」
セラは、水上からの景色に飽きないようで、にこにこと上機嫌に笑った。ニースが仮面を外したのをきっかけに、セラは仮面をつけなくなっていた。相変わらず長い前髪で目は見えないが、表情は豊かにコロコロと変わる。メグは、そんなセラの顔を見て、小さく笑みを浮かべた。
「セラが楽しいなら、良かったわ」
しかしメグは再び、はぁとため息を吐いた。そんなメグに、セラは、ふと閃き声を上げた。
「そうだ! メグさん。お買い物に行けば、楽しくなれるんじゃないんですか?」
「お買い物?」
「はい。この船に乗る時、船着場にいた行商人の人が、たくさんの荷物を運び込むのを見たんです。きっとその人に頼めば、売り物を見せてもらえると思います」
メグは魅力的な誘いに揺らいだが、ぎゅっと拳を握った。
「いいえ、ダメだわ」
「なんでですか? メグさん、お買い物好きですよね?」
不思議そうに首を傾げるセラに、メグは、しゅんと肩を落とした。
「あのね、セラ。私、お父さんに怒られたのよ」
グスタフは、いつもジーナとメグに甘く、弱い。グスタフがメグを怒るというのが、セラには珍しかった。セラは驚き、目を見開いた。
「グスタフさんに怒られたんですか?」
「私とお母さんが色んな物を買いすぎるから、馬車の荷物が増えて困ってるんですって。それに、無駄遣いだって怒られたの」
メグの話を聞いたセラは、船に馬車を乗せる時にグスタフが苦労していた事を思い出した。荷物が多いため、女部屋へ運び込むのに、だいぶ時間がかかっていたのだ。宿に泊まる度に、ラチェットとニースが荷物持ちで苦労しているのも思い出し、グスタフが我慢できずに怒ったのも当然かと納得した。
「それなら、買わないで見るだけにすればいいんじゃないんですか? 見るだけでも、すごく楽しいと私は思います」
セラの言葉にメグは苦笑いを浮かべた。
「それが出来たら苦労しないのよ。見ると、どうしても欲しくなっちゃうの」
「そうなんですね……」
セラは残念そうに俯いたが、お茶を一口飲むと、思い出したように笑みを浮かべた。
「そういえば、お給金を初めて頂いた頃……。無駄遣いになりそうだから、お金を使いたくないって思ってたら、女将さんに言われたことがあります。欲しいなって思ったものを、すぐに買わずに数日待つといいって。それで、数日後にまだ欲しかったら買えばいいって。そうすれば、無駄遣いにはならないから、安心して好きなものを買いなさいって、言われました。メグさんも、それをやってみたらどうですか?」
メグは、セラの言葉にしばし考えると、小さな笑みを浮かべた。
「……それは確かにいい考えかも。買ったはいいけど、使わずにいる物もあるし。そういう無駄な物を省けば、きっとお買い物しても怒られないわよね」
セラは、メグが楽しそうに笑うのを見て、喜んだ。
「はい。きっとそうだと思います」
「それなら、早速見に行くわよ!」
二人は、船酔いに呻くジーナを部屋に残して、行商人を探しに、船内へ出かけていった。
一方その頃。ニースは食堂へお湯をもらいに行っていた。ニースは、今ではすっかり素顔を晒していた。船の中では、ニースの黒を見て近寄る商人や貴族も多くいたが、フェローシャス伯の証明書は大きな力があり、見せればすぐに皆去って行った。食堂では、グスタフとマルコムがお茶を飲んでいた。マルコムは、やってきたニースを見て、寂し気な表情を浮かべた。
「ニースが素顔でいられるのは、俺も嬉しいよ。でもなぁ。あの仮面は自信作だったんだけどなぁ……」
「マルコムは奇術師をやめても、彫師で食べていけそうだな」
ニヤニヤとグスタフが笑っても、マルコムは、はぁとため息を吐くだけだ。二人の話し声が聞こえたニースは、苦笑いを浮かべるしかなかった。
ニースはお湯をポットに入れてもらうと、慎重に男部屋まで運んだ。扉を開けると、くしゃくしゃに丸められた紙がニースのそばの壁に当たった。
「うわっ……!」
「ああ、ごめん、ニース。……はぁ。メグの詩はすごいなぁ。僕には全然真似できない」
ラチェットは、のんびりとした船旅の中で、ラース山脈を越えた時に作った声楽曲に、詞を付けようと頑張っていた。しかし、なかなか思い通りにいかないようで、ラチェットの周りには書きかけで丸められた紙がいくつも転がっていた。ニースは、そっと扉を閉めると、頑張るラチェットのためにお茶を入れた。
「ラチェットさん。作詞の手伝いを、メグに頼んだらいいんじゃないですか?」
ラチェットは振り向くと、困ったように頬をかいた。
「それはダメだ。少しぐらい、僕でも出来るって所を見せたいじゃないか……」
ニースは不思議そうに首を傾げたが、応援の気持ちを込めたお茶を、ラチェットに渡した。
「ラチェットさんは、充分すごいとぼくは思いますけど……がんばってください」
「ああ。ありがとう」
ニースからお茶を受け取ると、ラチェットは再び机に向かう。しかし、作詞に集中しようとするラチェットの脳裏に、船旅に出た日の事が過った。
ラチェットとグスタフは、メグがフィリップからプロポーズをされたと出航後に知ると、苦虫を噛み潰したような顔をした。グスタフは、怒りのあまりに、せっかくもらった証明書を危うく破る所だった。
『メグは、絶対に外にやらん! ラチェット。君がメグの気持ちをしっかり掴むんだ。決して諦めるな!』
グスタフはメグと離れたくないようで、旅の一座の一員であるラチェットが婿に来るなら許すと、ラチェットの恋を応援していた。ラチェットは、グスタフに言われるまでもなく、メグに振り向いてもらえるように必死だった。そのため、メグに少しでも認めてもらいたいと、詞を書き始めたのだ。
ラチェットは、頭を振って雑念を振り払った。
「座長に言われたからじゃない。僕だって、このままじゃいけないと思ってるんだ。いつまでも遅れを取りたくはない……!」
ラチェットは小さく呟き、メガネをくいと上げると、作詞に集中し始めた。
ニースは邪魔にならないよう、部屋に散らばる紙くずを静かに拾い集めた。ニースにとって、紙はそれなりに貴重なものだ。紙は庶民でも手に入れられる物だが、ラチェットのように簡単に捨てて良い物ではない。ニースは、まだ書けそうな紙を丁寧に伸ばし、集めていった。
ニースが綺麗に紙を整え、自分の鞄にしまい込むと、詞を書き上げたラチェットが、声をかけた。
「こんな感じでどうかな。ニース、どう思う?」
ニースはラチェットから紙を受け取り、しっかりと読んだ。ラチェットは、そわそわしながらも、冷めきったお茶に口をつけた。
「いいと思います。ぼくには、内容の良し悪しは分からないですけど、曲にちゃんと合うと思います」
「そうかい? 試しに歌ってもらえるかな」
「いいですよ」
ニースが、にっこり微笑むと、ラチェットはカップを置いて姿勢を正した。
ニースの澄んだ歌声が、狭い船室に響く。川を流れる木の葉のように、詞は曲に乗って踊る。ニースは歌いながら、メグの美しい踊りを見ているような気分になった。ラチェットが書きあげた詞は、メグへの想いが溢れる恋の歌だった。ニースにとって初めて歌う恋の歌は、どこか気恥ずかしく感じるものだった。
頬を上気させながらニースが歌い終えると、ラチェットは目に涙を浮かべた。
「ようやく……ようやく完成した!」
ニースは、ふぅと息を吐き、恥ずかしさを紛らわすように頬を軽く叩いて、笑みを浮かべた。
「良かったですね、ラチェットさん。グスタフさんたちにも聞いてもらいますか?」
「ああ。そうだね。その方がいいかな。座長たち、どこにいるんだろう?」
「グスタフさんたちは、さっき食堂にいました」
「わかった。早速呼んでくるよ。ニース、待っててくれるかい?」
「もちろんです」
ニースが笑うと、ラチェットは微笑んで礼を言った。
程なくして、ラチェットは二人を連れて戻ってきた。マルコムは椅子に座りながら、ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべた。
「ついに出来たんだってな。ニース、ラチェットのお守りお疲れさん」
マルコムの向かいに座ったグスタフが、呆れたように肩をすくめた。
「マルコム。お前はわかってないな。これはメグの気をひくための重大な使命だ。ラチェットが一人で成し遂げなければならないが、ニースじゃなきゃ曲に合うか確かめられないだろう?」
「別にお嬢が誰とくっついたっていいじゃないか。相変わらずグスタフは親バカだな」
「お前だっていつか分かるさ」
冗談を言い合っていたはずの二人だが、マルコムの表情が曇った。
「だといいけどな……」
マルコムが遠い目で窓の外を見たので、グスタフは苦笑いを浮かべた。話が終わったのを見て、ラチェットが口を開いた。
「お二人とも、準備はいいですか。忌憚のない意見をお聞かせください」
「ああ。いつでもいいぞ」
「はいはい。俺も協力しますよ」
二人の返事を聞いたラチェットは、ニースに目を向けた。ニースは頷きを返すと、静かに歌い出した。
柔らかに包み込むような愛しさと、心を焦がすような湧き上がる想いが、ラチェットの詞には溢れていた。ラチェットの書いた詞が恋の歌だと気付くと、マルコムはじっと俯き、グスタフは天井を見上げた。
ニースの歌が終わると、グスタフが鼻をすすった。
「うぅ……私は……私は、猛烈に感動したぁぁぁ!」
グスタフは椅子から立ち上がると、がばりとラチェットに抱きついた。
「ラチェットォォォー! お前は、こんなにも切ない想いをメグに抱いていたのかぁぁ!」
「ざ、座長⁉︎ 感動して頂いたのは嬉しいですが、落ち着いてください!」
「うぉぉぉ!」
グスタフの豪快な男泣きに、ラチェットがたじろぐ。しかし、グスタフは一向にラチェットを離そうとしなかった。いつもならグスタフを止めるはずのマルコムは、俯いたまま動かなかった。ニースは不思議に思い、マルコムに声をかけた。
「マルコムさん、どうしたんですか?」
マルコムは軽く咳払いをしながら、ニースに顔を向けずに答えた。
「あ、ああ、うん。歌は良かったよ。……俺は少し風に当たってくる」
マルコムは、それだけ言うと静かに立ち上がり、足早に部屋を出て行った。ニースは心配に感じながらも見送った。
「マルコムさん、どうしたんだろう。船酔いかな……」
グスタフはラチェットを解放すると、鼻をかんだ。
「ニース。マルコムのことは、しばらく放っておいてやれ。皇都が近づいてきてるから、あいつも色々思うところがあるんだろう」
ラチェットは、肩についたグスタフの涙を拭くと、グフタフに尋ねた。
「マルコムさんは、皇都に何かあるんですか?」
「ああ。男には色々あるだろう? そういうことだ」
ニースとラチェットは顔を見合わせ、首を傾げたが、グスタフはそれ以上、何も言わなかった。その日は夕食の時間になっても、マルコムは戻って来なかった。
翌日。セラに新しい歌詞を覚えてもらうという名目で、メグも付き添いとして男部屋に呼び出された。二人は、グスタフ、ラチェットが緊張した面持ちで見守る中、ニースの歌を聞いた。
歌を聞くうちに、メグとセラは心が高揚していくのを感じた。自然と力が込み上げてくるような旋律に乗る、情熱的な歌詞に、二人はほんのり頬を染めた。
「すごいです、ラチェットさん! 歌詞が曲の雰囲気にピッタリです!」
セラが興奮した面持ちで声を上げると、メグもにこやかに笑った。
「なかなかいいじゃない。やるわね、ラチェット」
メグが褒めたので、ラチェットは顔を赤らめた。
「そ、そう? 気に入ってもらえたなら、良かったよ」
照れて俯くラチェットを見て、グフタフが痺れを切らした。
「それで、どうだメグ。今の歌で、ラチェットの気持ちは伝わったか?」
「……気持ち?」
メグは目を伏せ、ニースの歌を思い返した。
――恋の歌だと思うけど……。お父さんがわざわざ聞いてくるってことは、何か他に意味があるのかしら……?
胸に手を当てて、歌詞の意味ではなく、歌を聞いて感じた気持ちを、メグは確かめた。
――気恥ずかしいけど、ドキドキしたわ。戸惑いと一緒に、一歩踏み出す勇気みたいなのも感じたし……。もしかして……?
メグは、はっと笑みを浮かべると、ラチェットの手を握った。
「わかったわ! あなたの気持ち!」
ラチェットは、急に手を握られ驚いたが、キラキラと輝く笑顔でメグに見つめられて、胸がどきりと高鳴るのを感じた。
「ほ、ほんとに……⁉︎」
「ええ! 大切に思うなら、諦めるなってことよね!」
ラチェットは、何かが違うというような、複雑な表情を浮かべたが、頷いた。
「え……? う、うん。まあ、確かに僕は諦めたくないって気持ちで書いたけど……」
グスタフが、感動したように頷いた。
「そうだぞ、メグ。大切なものを掴み取るために、決して諦めるなと、私が叱咤したことから、この歌詞が出来たようなものだ。この歌詞には、私の願いも込められているんだ」
グスタフの言葉を聞いて、メグは嬉しそうに笑った。
「お父さん……やっぱり、そうなのね。私、決めたわ! もう我慢するのはやめる!」
メグの言葉に、ラチェットが驚きの表情を浮かべた。
「え! が、我慢するのをやめるって……⁉︎」
「そうか、そうか。もしかしてとは思っていたが、メグもそういう気持ちがあったんだな」
ラチェットの胸は期待に高まり、グスタフは喜びで拳を握った。しかしメグはラチェットの手を離し、くるりとセラに顔を向けた。
「セラ! 私、早速行ってくるわ!」
「はい。まだ残ってるといいですね」
颯爽と部屋を出て行ったメグに、ラチェットとグスタフは唖然とした。一人冷静なニースは、セラに尋ねた。
「ねえ、セラ。メグは何を我慢してたの?」
「えっとね。昨日、行商人の人に頼んで品物を見せてもらったんだけど、その中に可愛い猫のぬいぐるみがあったの。ほかのお客さんたちが気づいて、どんどん売れちゃったぐらい、可愛いぬいぐるみなんだよ。でも、グスタフさんに無駄遣いだと怒られるかもって、メグさんは買うのを我慢してたの」
セラの話を聞いて、ニースは納得し、ラチェットは泣きそうに顔を歪め、グスタフは顔を引きつらせた。セラは、三人それぞれの表情の違いに、楽しそうに笑った。
そうして、何度目かの船旅の後に、一行はようやく皇都へ続く街道を馬車で走り出した。パトリックと鉢合わせたくない一心で、遠回りの道を選んだ一行だったが、船旅のおかげで予定より少し早く、皇都へとたどり着く事が出来た。暑い日差しは徐々に勢いを弱め、季節は夏の終わりを迎えようとしていた。




